第38話 旦那様はお怒りです 8


セルシスフィート伯爵邸の庭には、何頭もの飛竜がいる。そばには竜騎士団を招集したのか、ウォルト様が姿を現わすなり、竜騎士たちが整列した。


「ウォルト様……これは何ですか!?」

「俺の部下の竜騎士たちだ」

「部下!?」

「俺は、竜騎士団の一部隊を率いている。隣国から帰還していたから、ちょうどよかった」

「何がですか?」


わけがわからないままで、ウォルト様にしっかりと肩に手を回されていると、整列している竜騎士の中から一人が出てきた。


「ウォルト様。全員揃いました」

「ああ、助かる」


何が助かるのでしょうか?

そんな疑問が頭をめぐり、ウォルト様を訴えるように見ると彼と目が合う。


「もしかして、またどこかに遠征ですか?」

「違う。部下たちは、ウォールヘイト伯爵領にしばらく着くことにした」

「はい?」

「魔物討伐に苦労しているようだし、魔物の被害がなければ、少しは民の暮らしは楽になるだろう」

「ウォルト様の部下といえども、勝手に竜騎士団を動かせば、アルフェス殿下や陛下に怒られますよ!? 職権乱用では!?」

「人聞きの悪いことを言うな。アルフェス殿下の許可は頂いた。そのために、王都まで行ったのだ」

「本当に……ウォールヘイト伯爵領のために?」

「そうだが?」


ウォールヘイト伯爵領のためにウォルト様が動くなど、考えてもなかった。

どうしよう。嬉しいと思ってしまう。


「でも、竜騎士団は高くてですね……」


竜騎士団を雇えるほどのお金は持ってないし、ウォールヘイト伯爵領にもない。

竜騎士団は、ルギィウス国で一番高い騎士の地位で、雇うお金も高額なのだ。

それが一部隊となると、高額もいいところだ。


「金は気にするな。アルフェス殿下からの詫びでもある。ティアナの噂の真偽も確かめずに疑って悪かったと言っていた」

「アルフェス殿下が……」


誤解を解きに行くと言って、王都に出かけたウォルト様。私のふしだらなウソの噂を信じて帰って来たくせに、一緒に暮らして私を知れば、彼は私をウソの噂から守ろうとしてくれていた。


「……ウォルト様。ありがとうございます。私、なんと言っていいか……」

「ティアナが喜んでくれるならなんでもする。君が大事なんだ」


ギュッと抱きしめられて、背の高いウォルト様に包まれる。その逞しい胸板にしがみついた。

安心する。心地よい熱は、ウォルト様だけなのだ。


「ウォルト様。私も頑張りますね。必ず、セルシスフィート伯爵邸を過ごしやすい邸にしてみせます」

「ほどほどにな……今回のようなのは無しだ」


わかってます。ウォルト様の冷たい顔で怒られると迫力があるのです。


「ああ、それと部下も紹介する」

「はい。お願いします」


ウォルト様の気持ちに感無量になり、潤んだ目尻を拭いていると、ウォルト様が私を紹介した。


「ルース。彼女が、俺の妻のティアナ・セルシスフィートだ。慎ましい女性だから、近づかないように」

「はい」


慎ましい女性だと言われたのは初めてだ。ふしだらな噂は暗にウソだと言っているのだろう。

しかし、目の前に整列したウォルト様の部下方々を見ると、ウォルト様の私への仕草に困惑しているようにも見える。むしろ、驚いている。

それでも、ウォールヘイト伯爵領を守ってくれるために来たのだ。私には、感謝しかない。


「ティアナ。彼が副官のルース・カディッシュだ」

「はい。ティアナ・……セルシスフィート、です。どうぞ、よろしくお願いします」


今まで、セルシスフィートだと名乗ることがなくて、実際に口にすると何だか恥ずかしい。

するりとセルシスフィートだと口から出てこなくて、思わず嚙みそうになる。

竜騎士たちは、私とウォルト様の前に跪いた。その光景に思わず肩がすくみ上るほど驚いた。


こんなことをされるのも初めてだ。私は伯爵家でも、そんな上流な生活をしてきてなかったのだ。


「奥様。どうぞよろしくお願いいたします。必ず、この命にかけてウォールヘイト伯爵領を守ってみせます」

「は、はい! よろしくお願いいたします!」


命はいらない。竜騎士らしい誓いの文言なのだろうけど、重いのですよ。

竜騎士たちの挨拶が終わると、ウォルト様が立つように手で合図する。


「では、すぐにウォールヘイト伯爵領に行ってくれ。目印は俺の飛竜のヒューズがいるから、そこに行け。ああ、そう言えば、誰かに話を通した方がいいな。ティアナ、誰に言うのが一番だ?」

「で、では、とりあえず、小作人頭と領地管理人代理をしているところへ……私もあとで参ります」


領地管理人を雇うお金がないから、今は私がしているのだ。でも結婚してから毎日ウォールヘイト伯爵領にいられずに、管理人代理を雇っている。

どうせ離縁するつもりだったから、ずっとは必要ないと判断してのことだったのだ。


「と言うことだ。それと、ルース。セルシスフィート伯爵領とウォールヘイト伯爵領の諍いは禁止だ。もし、諍いを起こせば両成敗だ。両者とも仕置きしろ」

「どちらか一方が悪くても、ですか?」

「そうだ。話は俺が聞く。不満があるなら、領主の元に来るように伝えろ。セルシスフィート伯爵邸は、いつでも受け入れると言え」

「わかりました。では、すぐに出発します」

「頼む」


ウォルト様からの指示を聞き終わると、ルースの合図のもと竜騎士たちが一斉に飛竜に乗って羽ばたいて行ってしまった。

残された私とウォルト様が、飛竜が飛び立つのを二人寄り添って見ていた。


「ウォルト様……ありがとうございます。本当になんとお礼を言っていいか……」

「いい。もっと早くに寄り添うべきだった」

「そんなこと……」


竜騎士団を連れて来てくれただけでも、私には破格の待遇だ。

私では……ウォールヘイト伯爵領では、とてもじゃないができないことなのだ。


「……最初は、ティアナと結婚さえできればいいと思っていた。初めて、自分から声をかけようと思った唯一の令嬢だったんだ。だから、何もかもが腹立たしくて……」


だから、私のふしだらな噂がショックだったのだ。


「でも、そうじゃないと気が付いた。セルシスフィート伯爵として自分の領地を守るのは当然だと思っていたが、今はそれだけではないとティアナのおかげで気付いた。妻の領地も、セルシスフィートの当主であり、セルシスフィート伯爵領を納める者として俺が守るべきなのだ」


ウォルト様なら、良い領主になるだろう。私にできないことを、いとも簡単にしてしまう。それだけの地位も動かせるだけの器量もある。

立派だ。


「……私も、頑張ります」

「嬉しいよ。でも、変なことをしないように。他の男に近付くのは看過できない。ティアナのことになると、どうしても嫉妬してしまう」

「そんなものは必要ありません。私は、ウォルト様だけです……」


ウォルト様に寄り添うと、顎を上げられて軽くキスをされる。


……そっと唇が離れると、甘いキスの余韻さえも恥ずかしく思える。小柄でよかった。

俯けば、赤ら顔をこの明るい見通しのいい庭でも、ウォルト様に見られる事がないのだから。


「では、邸で食事をしよう。ルドルフが、ブランシュが鳴いていて手こずっているようだ」

「はい。それと、ウォルト様にお伝えすることがあります」

「なんだ?」

「トラビスのことです。自分で何とかしようと思っていたのですが……」

「合わないか?」

「そうですね。だから、トラビスはアリス様に差し上げます。セルシスフィート伯爵邸の執事は、ルドルフにいたします。……反対しますか?」

「しない。ティアナに仕えられないなら、セルシスフィート伯爵邸の執事はできない。それに母上が置いて行ったと言うことは、すでに見限っていたのだろう」

「では、近いうちに排除いたします」

「わかった」


そう言って、ウォルト様の肩に回している手に力が入る。


「それと、もう一つ」

「はい。何でしょうか」

「夫婦の決まり事を増やす」

「まだ、ありますか……一緒に暮らしてますし、もう離縁は……」

「……毎日キスして……目を離したら、すぐにどこかへ行ってしまいそうだ」


ウォルト様が屈んで顔が近づいてくる。ウォルト様の逞しい胸板にそっと手を添え瞼を閉じた。


結婚の決まり事がもう一つ増えてしまった。


そう思いながら、お互いに寄り添い合ってセルシスフィート伯爵邸へと帰宅した。






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