第6話:Sランク降格
カイルが薬を買って看病に通い詰めた甲斐あって、聖女は細々とそのいのちを伸ばすことが出来ていた。
それが、ただの延命にしかならないものであったとしても。
聖女のいのちがいつ尽きてしまうかもしれなかったとしても。
「──ギルド側で行った調査結果の報告と……ギルド長がカイルさんと直接お話したいことがあるそうです」
Sランクパーティーのちからをもってしても失敗した異界の探索など、それ以下のちからしか持たないランクの探索者に務まるわけがない。
異界探索の再挑戦、など当然出ることのない方針だった。
──Sランクパーティー崩壊後、事後処理の一切はギルドがすべて引き継ぎ、カイルには情報共有のみがなされるかたちとなった。
「まず、カイルさんたちが探索した異界について」
カイルへの情報共有もまたギルド職員の女性シェリアが担当しており、シェリアは資料の内容を目で追いながら順を追って報告する。
カイルさんの
「──当該の異界につきましては、入り口自体に強力な封印処置を施し、これを厳重に監視します……というより、Sランク探索者を欠いた現状のギルドの力では、残念ながらこれが限界です」
「アレは……僕たちを襲った時には異界の入り口からは出てこなかったですが、これからも出ない……という保証はできません」
カイルたちを襲った出来事は、カイルとミリアムの証言のみを情報源として報告書を作成する他なかった。
Sランクパーティーを崩壊まで至らしめた存在がなんなのか、正体はまるで分からず、報告書として記せたことは、何をされて、どうやって殺されたか、ぐらいのものだ。
著しく情報が不足し現実味の無い内容が、それでも報告書としての形を成しているのは、ただひとえにSランク探索者の証言であるという理由だけだった。
「……はい。 それに、ギルド側の調査時は幸いカイルさんとミリアムさんの報告にあったものには襲われませんでしたので、それについての調査はできませんでした」
「アレは、魔術を侵蝕して、破綻させることもできる、ようなので……封印用の術式はいくつか用意する必要があるかと思います」
「原理は分からないですが、そのようですね。 ですので……封印式の構築には是非ともカイルさんのご助力をいただきたいのですが……」
「──僕なんかのちからは……っ、お役に立ちませんが、それでも可能な限り……協力させていただきたいです……」
「ありがとうございます。 後のことは我々でどうにか……は、無理でしょうから、これ以上の被害が出ないよう祈るばかりです」
「……そう、ですね……。 僕も、そうします」
異界について話を終えたのか、シェリアは資料をまとめて腕に抱え込んで立ち上がる。
「──では、私からの報告は以上となりますので、次はギルド長とのお話をお願いします」
「わかり、ました……」
シェリアと一緒にギルド長の執務室へと足を運ぶ途中、落ち着きを欠いたようにチラチラと向けてくるシェリアの視線をカイルは感じていた。
「──カイルさん、その……大丈夫、ですか?」
「え? 大丈夫……ですよ?」
何に対しての大丈夫、なのかは分からないけれど。反射的に。
カイルが思わず疑問符を浮かべて返すのだからシェリアは自分の言葉足らずを自覚したようだった。
「──その、噂の件……です。 最近では『
そういうこと、か……。ただ押し黙ったカイルの脳裏に、周囲から聞こえてしまった自身への誹謗中傷やイレーネの父親からの罵声や暴力の数々が引きずり出されてくる。
「もちろんギルドはそのような根も葉もない出任せを鵜呑みにしてはいません。 これまで多大な貢献をしてくださったSランク探索者に対する侮辱についても看過できるものではありません! しかし、こちらとしても対応をしかねておりまして……」
「お力になれず本当に申し訳ございません」そう真摯に頭を下げるシェリアを責める気持ちは、カイルはまったく抱いたりしていない。
「パーティー崩壊の原因はともかく、イレーネのお父さんに恨まれているのは事実ですから……」
「……そんなの、あなたは何も悪くないのに……」
──Sランク探索者という存在に、失敗は許されない。Sランク探索者の失敗は人々への裏切りを意味する。
誰かが決めたわけではないにも関わらず、いつのまにかそのような重責を誰もがSランク探索者に対して課していたのだと、シェリアは実感していた。
それはカイルも同じであり、そういった理不尽な観念が今のカイルを冷酷に責め立てている。
そして、Sランクというちからに対して抱かれた人々の憧れが誰かの嫉妬を生み、嫉妬が嫌悪を嫌悪が憎悪に歪み、悪意に満ちた空気がカイルの心を短期間で確実にすり減らして蝕んでいた。
「……大丈夫ですよっ!大丈夫……そう思ってくれる人がいれば、僕はそれだけで充分です……っ!」
少年は努めて明るく一歩大きく踏み出して振り返り、ギルド職員さんに笑ってみせた。
──大丈夫、大丈夫大丈夫。そう、自身に暗示をかけるように。
「……カイルさん」
……けれども少年は、笑えて、いなかった。健気にも強がってみせた幼い少年は、自身の口角が上がっていないことにすら、気がついていない。
もはや笑顔すらも失ってしまっているカイルが、一足先にギルド長の執務室へとたどり着く。
「──失礼いたします……っ」
ギルド長エイデン。元は王家直属の近衛師団に所属し、師団長を務め上げたという偉大な経歴を持ち自身もAランク探索者としての活動を通じて今に至る男性だ。
初老の年齢を理由に一線を退き、ギルドの運営管理に専念してはいるものの、その実力と信頼は未だ衰えを知らないと噂される。
「──カイルくん、よく来てくれた。 当面の休暇を打診したはずだが、ずいぶんな無茶をしているようだね」
「……そ、そんなことは……ないと思っています」
「……まぁ、いいだろう」
ふと小さく溜息をついたエイデンは、カイルと共に執務室にやってきたシェリアと目を合わせる。
「では、私はこれで失礼します」
ギルド長であるエイデンと探索者カイルふたりの話し合いのつもりでいたシェリアは軽い会釈と共に執務室の扉に手をかける。
「──あぁ、いや、君も同席してくれ。 事務手続きの打ち合わせが山ほどあるからね」
「事務手続き、ですか?」
ギルド長の執務室という割には、他の職員たちが使う執務室と広さは変わらない。
ギルド長が使う事務用の机や椅子も、部屋の中央に設置された応接用のソファーとテーブルも特に高価な調度品というわけではなかったが、よく手入れされていると思わせる清潔感があった。
それだけ手入れされているものを使うのは恐れ多いと思わず身を引いてしまっていたのはカイルだけではなかったようだが、ギルド長に促されるがままカイルはシェリアと共にソファーへ腰掛ける。
「私からの話というのは、カイルくん、君の今後についてだ」
「…………っ」
「カイルさんの今後、ですか?」
「あぁ。 まずは決定事項からだ」
聖女ミリアムが昏睡状態から意識を取り戻した頃、ギルド長エイデンはひとつの決断を下さねばならなかった。
「──補助魔術師カイル、本日付で君をSランク探索者からCランク探索者へと降格する」
シェリアは自分の耳が聴き取った言葉の意味が解らず、ソファーが後ろにズレるほどの勢いで立ち上がる。
「ギルド長待ってくださいッ!! カイルさんが降格とはどういうことですかッ?! しかもAランクではなく、BランクどころかCランク探索者なんて、不当な判断としか言いようがありませんッ!!」
探索者ランクの最高位であるSランク。以下はAランク、Bランク、Cランクの順に最下位をDランクとされている。
SランクからCランクへの降格など常軌を逸していると言っても過言ではないはずだ。
にもかかわらず、当の本人であるカイルは、静かに小さく頷き「わかりました」とだけなのだから、ギルド職員であるシェリアの目には、カイルがただただ投げやりになっているようにしか見えなかった。
「シェリアくん、これはカイルくんからの自己申告を踏まえたことや、カイルくんの現状と今後に配慮した決定事項だよ」
「……はい。充分……理解しているつもりです」
「そんな……カイルさんこれは明らかに不当な判断です! ひとつ下のランクに降格する事例はありますが、それ以上の降格などあり得ません! こんな判断は絶対におかしいです! これが人々に計り知れない貢献を尽くしてくれたSランク探索者に対する──」
「シェリアくん落ち着きなさい。 何も私は異界探索失敗の責をカイルくんに負わせるために探索者ランクを降格しようというわけではないんだ」
「……そうです。 降格は……むしろ僕から申し出たようなものなんですから……」
聖女ミリアムが意識を取り戻したと聞き見舞いに行ったその日、カイルは自分が魔術を使えなくなっていることを自覚する。
後日改めて試したところ、魔術がまったく使えなくなっているというわけではなかったが、SランクどころかAランクにも及ばない精度まで魔術の技量が落ちていた。
その原因はトラウマ──過度な心的外傷による魔力操作の阻害症状によるものだった。
意識を取り戻した聖女へのギルドによる聴き取りを元にしても、カイルは異界探索にてSランク補助魔術師の名に恥じぬ魔術行使を見せていた。
しかしそれでも仲間を失ったという結果に、カイルは自分自身を強く責め立て、自責の念に押し潰されようとしていた。
それに追い打ちをかける周囲の人々からの憎悪、心無い誹謗中傷。謂れのない悪評。暴力。
──そして、痛ましく床に伏す聖女の姿すらも、カイルの心を抉って止まない。
……カイルにはもう、探索者としてSランクに足り得るだけのちからは残されてはいなかった。
「……これで、よかったんですよ」
「そんな、そんなの……あなたが今まで救ってきた人々が納得するはずがありません」
「シェリアくん、よく聞くんだ。 私が言いたいのは、探索者のちからはランクだけで測れるものではないということだ」
ついでに言っておくが、とギルド長は言葉を続けた。
ランクなどまたいつでも昇格させれば良い。 当然、降格より難しい手続きをいくつも踏む必要はあるがね。
「では、わざわざカイルさんの探索者ランクを降格する必要はないはずです!」
「立場には相応の責任が伴う。 Sランク探索者の重責は、Aランク以下の比ではないということが解らない君ではないだろう? 負うべき責任を背負うために、ちからは何より欠かせない」
「それはカイルくんが一番、誰より理解しているんだよ」というギルド長の言葉を、カイルは黙って受け止めて頷いている。
「──はっきりと言おう。 今のカイルくんにはSランク探索者たる実力は無い」
「……はい、重々……承知してい、ます……」
「……なにより、カイルくん個人への悪評が探索者の中だけに留まることなく多くの人々に広がり続けるこの現状だ。Sランク探索者であり続けたところで、活動に支障をきたすのは目に見えている」
「──エイデン様ッ!! ギルド長であるあなたがそんな戯言を鵜呑みにするおつもりですか?! カイルさんのこれまでのご活躍とギルド側の調査で、そうではないということは明確に示せるはずですッ!! それを──」
「──シェリアさんッ!!」激昂するシェリアの腕を掴み、言葉を遮って声を張り上げたのはカイルだった。
「……あの、ちゃんと分かっているんです。 ギルド長が、僕にこれ以上……負担がかからないようにするために、探索者ランクを降格してくださったんだって……」
今はSランク探索者に相応しい実力を持ち合わせていない事実。
真偽はどうあれカイルへの悪評が広がり続けている事実。
カイル個人だけでは今まで通りの探索者活動が出来ないという事実。
それらすべてを受け入れてそれでも、カイルがひとりの探索者であり続けることをギルド長自らが認めてくれている。
「──だから……ありがとうございます、エイデンギルド長」
シェリアは納得し切れていないようだが、これで良かったんだと、カイルは納得している。
カイルはもともと、探索者ランクに執着していたわけではなかったのだから。
──ただ、パーティーメンバーと一緒に。
同じ場所に立ちたくて、同じものを見たくて、同じ時を過ごしたくて、同じものと戦いたくて、同じ場所へ行きたかった。ただそれだけなのだから。
カイルにとって、Sランク探索者の称号は、そのためだけのものだったのだから。
「……カイルくん、君には本当に重い責任を背負わせてしまっていた。 結局、私には君を救うだけの力はなかったよ。こんなかたちでしか君に逃げ道を示せないなんて、ギルド長として本当に申し訳なく思う」
「良いんです。 すこしだけ……ほんのすこしだけ……肩の荷が降りたような、気がしましたから……」
──これからは、Sランク探索者としてではなく……ひとりの探索者として歩んで行く覚悟が、決まったような気がするから。
「……カイルさんは、これからどうするんですか?」
しばらくの沈黙の間に、シェリアの瞳が潤み儚く揺れていた。振り絞る声もどこか震えていて弱々しかった。
「そのことだが、カイルくん……この街を、離れてみないか?」
「街を……離れる、ですか?」
カイルのこれから、それについてはこれまでもこれからも変えるつもりはない。
だが、ギルド長エイデンが口にした提案はカイルがまったく予想をしていなかったことだった。
「君はずっとこの街で活動していただろう? なんだったら、これを機にオーグラントを出て他国を巡ってみるのはどうだろうか?」
「……国を、オーグラント王国を出る……?」
探索者という立場なら、他国に渡っても探索者ギルドで依頼を受けて仕事をすることができる。
カイルは、生まれ育ったオーグラント王国から出て他国に足を運ぶような経験がなかったわけではない。
しかし国を出て、知らない土地に行くということを、カイルの脳内はまったく想像出来ずにいた。
「他国へ渡っても不自由なく探索者活動ができるように我がギルドから紹介状を書くこともできるが、どうする?」
一瞬だけ、未知なる世界に意識を奪われた。だが、カイルにはこの場所でやることがある。
「お気持ちはありがたいですが、僕にはやることがあります」
「そうか、君にはやることが決まっていたか……」
「はい。 聖女のそばに、ミリアムのそばにいさせて欲しいんです。僕を庇ってくれた、僕が救えなかった聖女に、一生をかけてお詫びがしたいんです。 こんなの、ただの自己満足でしかないんですが……」
──僕は、僕の一生をかけて彼女に寄り添い続けるよ。
それが、最後まで生き残ってしまった僕の、パーティーメンバーだった僕のするべき、最後の役割だから。
──こうして、Sランクパーティー『
……そして現在に至る。
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