第14話
「母さん…僕は病気なのかな…」
レドは母にそう問いかける。
「……それは…」
母が口を開く。が、その解答がレドの耳に届く前に、彼は目が覚めた。
「よお。」
目を覚ましたレドに、ケインが声をかける。
「ああ…ずっと看病してくれてたんですか。すいません。」
「…起きんな。そのまましばらく寝とけ。点滴取れちまう。」
レドは腰を落とし、再び枕に後頭部を乗せた。
「…まあお前に何があったかは聞かんよ。…無理に話す事はない。」
問いただされるのでは、と内心思っていた自身の心情を読み取られ、レドはまたしても罪悪感を感じた。また気を使わせてしまった。また迷惑をかけてしまった。他人に対してどうでも良いだの言っておきながら中途半端に後悔している。僕は何をしたいだろうか。とやはり自己嫌悪を繰り返す。
「……って普段なら言うが、今回ばかりは別だよ。」
続けてケインが放った言葉に、レドは体を硬らせた。
「お前がずっと何かに苦しんでるのは知ってたよ。なんとなく察せた。……自分から部屋に飛び込んでったらしいじゃねえの。……それだろ?その苦しみの根源ってのは。」
「……」
「ああ…いや違ったならすまん。……取り敢えず答えてくれねえか?お前は何に苦しんでるんだ?」
「……」
レドは沈黙を貫いた。そうして答えたとしても、きっとお前は悪くないと答えられる。それじゃだめなんだ。そうなってしまえばきっと僕は自己を否定してしまう。
「……答えたくないか?だが俺は他人の苦しみにズカズカ入りこんで傷口に触れるようなクソ野郎だからな。そう簡単には折れられねえのよ。目の前の人間くらいは救いたいタチなもんでさ。…だからもう一度言う。……お前は何を抱えてるんだ?」
その瞳からは高圧的なものを感じなかった。かと言って優しさなども感じなかった。レドは自分でも気付かぬ内に、自身の過去を話していた。幼い頃から両親に異常性を察知されて、夜な夜な2人がそれについて会話していた事、友人が誰1人できなかった事、犬を殺した事、父を殺した事、母を殺した事、それら全てを打ち明けていた。
「……そうか。」
この数秒後に彼はきっと一瞬目を逸らす。そして一定の距離感を持って会話を再開するのだろう。とレドは予想した。しかし、ケインは一切目を逸らさなかった。今までの人間との間に感じてきた距離感も無かった。
「なんつーか…お前は随分と贅沢だな。」
「え?」
「お前…誰かに裁いて欲しいだなんて考えてないか?」
「…!」
「図星か?……まあ俺もそう言う時期あったから分かるんだわ。他人を拒むくせして他人に贖罪を求めるなんて…随分と厚かましいよ。話したとしてもそりゃ相手は共感出来ないかもしれないさ。それでも答えは返ってくる。納得するしないに限らずさ。」
「……」
「まあ、結局他人に幾ら言われようが、最終的には自分が決めなきゃならんのよ。お前を裁けるのはお前だけだし、お前を許せるのはお前だけだ。他人との繋がりってのはそのヒントでしかない。……でもその繋がりがないと人は生きていけねえのよ。……だからそろそろ、他人を信じてやれよ。赤の他人に向き合う勇気を持てよ。…俺がお前の赤の他人になってやる。だから死にたいなんて思うな。」
自然と涙が頬を伝っていた。こんな感情になったのは初めてだった。
「でも…どうやってやれば良いのか…」
「少しずつで良いんだよこう言うのは。まずは見つけてみな、お前の目標を。それが達成できたらきっと…自分を許せるんじゃねえの?」
彼は自分のような人間に本気で向き合っているんだ。本気で生きていて欲しいと思っているんだ。レドは、少しだけ生きてみたいと言う感情が湧き上がってきたのを感じた。
「あ、お前を治療したスタンフォードっつー奴に礼言っとけよ。多分明日にゃ退院できる。」
ケインは病室を出ようする足を一瞬止め、涙を拭ったレドにそう声をかけた。
ケインの背をレドは見ていた。夜遊びを毎日しているが、もしかしたらそうではないのかもしれない。……苦しんでいるのは彼の方なのではないか。そう言った疑問が彼の頭を巡った。そこにはなんら根拠はなく、単なる感覚でしかなかった。
「やっぱりドラゴンクロウは何をするか分からないですよ…」
「勝手に指示なんか出して…。」
救急退院はヒソヒソと愚痴をこぼしていた。
「やあやあやあ!」
突如背後に迫るクレアに2人は肩を跳ね上げた。
「ぎゃあああああ!すいませんごめんなさいああお母さん僕は仕事を全うし…」
「死を察するのが早いよ。……色々迷惑をかけたね。……今回のご協力感謝する。」
クレアの会釈に、隊員は仰天した。
「あ…いや…こちらこそ…」
「じゃあ患者は引き受けたから、そろそろ戻ってもらっても…」
「どう説明するんです?患者をフリー魔道士に引き渡したなんて。」
「ああ…そこは色々ツテがあってね。割とどうにかなるよ。…君たちのことはその際探索家の冒険譚くらいには褒めちぎっておくからね。」
「「あざーっす!」」
「ふっ…所詮賞賛の元に人は抗えんのさ…。」
クレアは、悪人ヅラという言葉を体現したかのような表情でそう呟いた。
翌日ーーーー
「あのー…退院して速攻でこれは何なんですか?」
事務所に戻って唐突に陥った昏睡から目が覚めたレドは、自身がクレアの部屋の壁に四肢を固定されていることに気づき、そう言葉を漏らした。
「忘れたのかい?いいや忘れたとは言わせないよ!言ったら電気ショック浴びせちゃうからね!あひゃひゃひゃひゃ!」
「……まさか実験台とかなんとかの…」
「そう!その通り!なんせ合意の下だからね…仕方ないよねはあはあはあ…」
「もうどうにでもなれ…」
「…じゃあ今回やる事は…血液採取と新作の回復薬(ポーション)の実験役、あとは君の適切な魔道機関の作成だね。」
「…待ってくださいそれって僕をこうやって磔にする意味がないんじゃ」
「何を言う!雰囲気だよ雰囲気!悪の研究者感が出て捗るだろうがボケが!それが分からん奴なんぞくたばっちまえええええ!」
「どんどん思想が過激になってません?」
「昏睡させ、そして磔にし、薬品でどんどん実験を…ぐふふふふふふ…」
「こんな人でも医術師になれるってこの国大丈夫か?」
「あ、ちなみに私は医術師兼魔導機関師だからね!そこんとこ忘れないで!」
「だめだハイになってら。……っていうかこの臭いなんなんですか?なんかとっ散らかってますし…」
「……聞かないほうがいい。」
「怪しさを増幅させて不安を煽るのやめてください。」
「ははははは!君の苦しむ姿を見せた前!」
「あ、割と唐突にそのノリに入るのね。」
「さあ針入れちゃうよー!」
「はいどーぞ。」
「入れちゃうよー…」
「溜める必要性あります?」
「入ーれーちゃー」
「いいんで早く!」
彼女の注射針がレドの手首を捉えるその寸前、突如部屋の扉が開いた。
「あっ…ふーん…。まあ趣味は人それぞれだしそれを否定するつもりはないんだ。だから取り敢えず静かに…な。」
シャーロットは目を細め、早口で諭すように喋りながら、部屋を出ようと後づさった。
「シャーロット氏の血液を調べたい。」
「主語も過程もあったもんじゃねえ!」
「ほら…酒ばっかり飲んでるから血ドロドロじゃない?血がドロドロのエルフだと回復薬の効果はそういう際に違いがあるのかなあって。」
「誤解してるようだが俺は別に血ドロドロじゃ…おいちょっと待て注射針をフェンシングのようにこちらに向けるな!医療従事者に全力パンチ喰らうぞ!」
「キシャアアアアアアア!」
襲い掛かるクレアをかわし、シャーロットはそのまま床に押さえつける。
「あー…お前実験台にされてる感じか?」
「…はい。」
「まあこいつは…ほら…実験になるとこんな感じなんだよ。」
「それはもう治療を受ける側なのでは?」
シャーロットはそう言うと、クレアを引きずって部屋を出ようとする。
「あのー…僕はこのままですか?」
「あ、すまん忘れてた。」
「ここまでされて忘れます?」
手錠の拘束を解かれ、レドは床に手をつけた。二度と彼女の実験には付き合うまい、とレドは決心した。
レドは居間のソファに座り込むと、コーヒーを手に持って息を吹きかけ冷ましていた。
「ふー疲れた……寝れねえか。ちょっくら吸うけど良いか?」
シャーロットはレドの方を向き、タバコを片手に問いかける。
「別に良いです。……所で貴方は外で何をしてるんですか?いつも不在ですが。……裏社会やらその他での仕事ですか?」
「どうしてそう思う?」
「以前ここに裏社会の組織が此方に攻めてきて、待機していた新人が1人死んだとクレアさんから聞きましたので。貴方程の人間がちゃんと目を利かせていたらそうはならない筈。それをしなかったのは…そう言った界隈を貴方が好んでいなかったからでしょう?その反省から裏社会との繋がりを持つようになったんじゃないかなあ、と。」
「…正解だよ。ある程度の取引とかをそこでしてる。…軽蔑したか?」
「いいえ、最近この場所が好きになってきましたから。」
「…その理由はケインか?」
「…まあそうです。」
「あいつはさ……色々不器用っつーか…色々不安定っつーか…だからお前が支えてやれ。」
「貴方じゃダメなんですか?」
「俺じゃ親にはなれんよ。……誰かを指し示すなんて事俺には出来ん。」
「その割には所謂『弾かれ者』の集まりであるここを創設していますが?」
「俺は指し示しちゃいないさ。…ただ誰かが誰かを指し示せる、あるいは誰かに指し示してもらえる場を作っただけだ。…無責任だと思うだろ?俺に取っちゃここは隠居後の生活さ。」
「成程、貴方もまた何かを抱えてる訳だ。」
「随分と達観してんなあお前。」
「正直な所直したいですね、この癖は。」
レドはシャーロットからゆっくりを視線をずらした。
ーーーーーーーーー
「あのさあ…これで何回目?また住所間違えてんだけど。」
「すいません…。」
「すいませんじゃないよ!ホントはやる気なんて無いんじゃないの?まじめにやってたらこんなに間違えないよ。ねえ?」
「……」
「なんか答えたら?直ぐ押し黙るけどさあ!」
ケインは只管に下を向いていた。新聞配達も満足に出来ない自分を彼は呪った。
「今決めて。続ける?辞める?」
「…続けま…」
「続けるじゃないよ!だいたいさあ…」
太った男はケインを尚も怒鳴り散らした。
「今日何時だっけ…」
アルバイトの帰り、ケインは自転車を漕ぎながらメモ帳を確認した。20:00にバーの手伝い…今日はこれだけか。……つーかきたねー文字だな相変わらず。ケインは苦笑しながら自転車を漕ぎ続けた。
壁に貼り付けられたポスターの紙に彼は目を運ぶ。
『魔導師の年齢引き下げ反対!』
「……正直同感。」
レドの顔を思い出しながら、ケインは再びペダルを漕ぎ始めた。
「お、ケイン!この前猫探し協力してくれてありがとな!」
花屋の男がケインを呼び止め、ケインに感謝を述べる。
「あいつ野良猫とガキ作ってたよな。……本音一回聞いていい?やっぱり悔しい?」
「38で独身はまだチャンスがあるから!あるからあ!」
「ギャハハハ!まあ頑張れよ。」
ケインは再び自転車を漕ぎ始める。
「あ、婆ちゃん…もつよ。」
ケインは自転車を止め、横断歩道で待機する老婆の荷物を両手に抱える。
「いつもありがとうねえ。…ほんとに。」
「礼を言われる程でもないっすよ。取り敢えずどこまで?」
「向こうまでで大丈夫だよ。」
「あいよ。」
ケインは荷物を運び切りると止めていた自転車の元へと戻り、三度自転車を漕ぎ始めた。
「……これで良いんだよな。うん。俺の人生これで良いんだ。」
心情を口に出してしまっている事を、ケイン自身気づく事はなかった。
事務所に戻るつもりが、自然と近くの公園のベンチへと座り込んでいた。
「はあー…」
ケインは煙草に火をつけ口に咥えた。
「…なんでずっと付けてきた?」
後ろに潜んでいたレドに、ケインは力の抜けた声で話しかける。
「ああ…少し先輩が気になったので。」
「ったく…お前なあ。俺じゃなかったら逮捕だぞ逮捕!」
ケインはそう言いながら煙草の火を消そうとする。
「あ、いいです。そのまま吸ってて。」
「ああ…そう。…で、なんで気になった?」
「先輩が僕同様苦しんでいるんじゃないかと思いまして。」
「馬鹿言え。幸せですよ俺は。」
「でもいつも貴方は疲れてる。……他人との繋がりに執着して疲弊しきっているような…」
「……」
「貴方は僕に他人を信じてやれと言いましたが…逆に貴方はお人好しなんだ。…そんな生活ばかりだといつか限界が…」
「分かってるよ。……んな事は分かってる。毎日バイトしても上手くいかないし、人助けしても見返りなんて感謝の言葉くらいだ。でもやるしかねえだろ?クレアは研究やら実験やら回復薬やらで事務所の金稼いでるし、所長は事務所をずっと支えてる。じゃあ俺は?何が出来るんだ?お人好しを取ったら何が残るんだよ…。残ると言ったらただ腕っぷしの良さだけの役立たずだ!…分かってんだよ。俺が口だけだって。」
ケインは煙草を手に持つと、自身の腕に顔を埋めた。
「あー…クソっ…しんどいわ…」
「違いますよ。先輩はそんな人間じゃないです。少なくとも、僕は貴方の言葉に救われたんだ。……こんな感情になったのは初めてなので、正しい事なのかは分からないですが…先輩の助けになりたいんです。…先輩が出来ない事を僕がやります。かつてシャーロットさんの出来ないことをやろうと貴方が決意したのと同じように。」
「…そっか。それがお前の目標ってやつか?」
「…今のところは。」
「ありがとな。…ちょっと元気出たわ。」
ケインはレドの頭を掴むと、グリグリと撫でた。
「あの…先輩。少し付いてきて欲しいところがあるんです。」
ケインは自転車のハンドルを握り、手で押しながら、レドと並んで歩き出した。足の疲れがいつもより少し和らいだ気がした。
ーーーーー
「ヴァルヴァローニ、クロロフォートが死にました。」
「そうか…。奴らは危険だな。早急に始末せねば。」
「決行は?」
「まあ待て焦るな。こちら側から下手に攻めれば国公魔導師が早々に出てきておじゃんになる。なんらかの流れに乗じて行うのが最適だろう。」
「ちょうど奴ら、依頼があるみたいよ。」
「そこだ。そこを叩くぞ。」
「「了解。」」
「魔族の時代は近い…。冷静にいこう。」
「……あなたは何をお考えで?」
「突然どうした?」
「いえ…組織に忠実なあなたに限ってそんな事はないか…なんでもありません」
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