第12話



 その機械の手はどうにも柔らかそうだった。


 どういう構造なのかわからない。俺たちトカゲと同じ九本指。

 その表面と指先から、白く冷たく輝く鱗粉が舞っていた。空気中の水分が冷却されて凝縮し結露している。

 それがどれほどの冷たさなのか、俺にはわからないが。

 少なくとも、トカゲは低温に弱い。

 俺は剣を構えて、真っ向から首なし騎士と対峙した。

 騎士は動かない。

 操作しなければ機械は生物のように揺らめいたりしない。死体のように静止できる。

 首がないんじゃ、動物を相手にしたように、瞳の輝きから心を読むこともできない。

 眼球もなく、やつはどうやって外部の情報を得ているのか。

 肩部にセンサーのようなガラス球が埋め込まれている。あれを砕いてみたいところだが、構えが絶妙に肩への動線を阻んでいる。そこは狙われたくないってわけだ。

 だが、それよりも。

 俺は胴体にわずかに走っている亀裂の方が気になった。笑い皺のようなヒビが微かに入っている。

 たとえ視界や情報を奪っても、闇雲に暴れられれば近づけない。

 俺たちだっていつまでもこのコールドスポットに留まるわけにはいかない。この機械を確実に停止させ、中にいる『誰か』を引きずり出さなきゃならない。

 その『誰か』が何者なのか、空想を組み立てる時間はなかった。

 首なし騎士がわずかに膝を屈めて車走したのと、俺が身を伏せて剣を突き込んだのが同時だった。


「!」


 機械の中にいるやつが、息を呑む気配を俺は確かに肌で感じた。

 まさか突っ込んでくるとも、突っ込んできて氷腕を掻い潜られるとも思っていなかったはずだ。

 さっきのレザントの剣が折れた時に、やつだって感じたはずなのだ。


 ――この剣とやつの機体では、やつの機体のほうが硬い。


 だから俺が剣を構えたのはあくまで脅し、ポーズ、その場の流れでしかない。やつはそう思っていたはずだし、現実際、そうだった。

 この剣でまともにやつの機体を斬ったら、折れる。

 そんなことはわかっている。

 誰よりも一番、この俺がわかってる。

 だが、もしこれが踏みにじられるだけの虐殺でないのなら、どれほど理不尽でも戦いと呼べるのなら、俺はこの剣を使うしかない。

 たとえほんのわずかでも斬り込む角度と力加減を間違えれば問答無用で折れるとわかっていても。

 折れると思いながら握った剣で、敵を退がらせることはできない。

 何があろうと斬ると俺が信じていなければ、敵は必ず突っ込んでくる。

 あの巨躯に突っ込んでこられれば、何も考えずに暴力をぶんぶん振り回されれば、勝ち目はない。

 俺は突いた。最速最隘の刺突。

 だが、亀裂を正確に突いたというのに――鎧の胴体は微動だにさえしなかった。

 剣が撓み折れる寸前の空咳を聞いた気がして、反動に逆らわずそのまま俺は後方へ跳ねた。着地して氷の膜をがりがりと削り下地の赤泥が俺の足の幅分だけ長く伸びた。剣を握り直し、その刀身のずれた重心を感じる。

 しくじった。だが、

 折れるまでは、まだある。

 刀匠タカマツの剣は応えてくれている。

 それまでは、斬る。

 斬ってみせる。


 俺が構え直した時、背後から斑色の疾風が走った。

 レザントだった。

 トカゲの爪はまともに角度が入れば獣甲類の外革すら切り裂く。

 首なし騎士に剣ごと弾き飛ばされた時にかなりのダメージを負ったはずなのに、レザントは一直線に首なし騎士の足下から潜り込み、肩にある球体を狙った。やつもたぶん、あれがセンサーの類なのだと推測していたのだろう。レザントは速かった。

 怪物は、それよりも速かった。

 膝を持ち上げた。動きとしてはそれだけだ。機動をプログラムしてあったのかもしれない。

 躊躇いがなかった。

 トカゲの柔らかい腹部を、直下から鋼鉄の膝頭が強打した。


 何かが潰れる音がして、


 レザントの身体は放物線を描いて騎士の後方へ流されていった。

 そのトカゲの顔が驚愕と苦痛に歪んでいる。口の端から先端の割れたスネーク・タンが溢れていた。失神したのかもしれない。

 それでもやはり、俺の相棒は流石だった。

 腹部に蹴りを喰らった瞬間、掌を返して爪を伸ばし、自分の爪が嫌な角度でへし折れるのも構わずに、球体センサーに爪が突き立つ位置に腕を動かしていた。怪物の膂力込みで爪を突き立てられた球体は粉々に砕け散った。

 首なし騎士はすぐに一歩引き、手でセンサーを庇うような動きをした。やはりそれはやつにとって、何か重要なパーツだったらしい。

 そして俺はすぐに、やつが失ったものが『右目』だとわかった。

 手を構え直し、俺に向き合った時、やつは左側に多く回り込んだ。死角をカバーするように。それはつまり、残念ながら、まだ『左目』が残っているということ。おそらくは左肩にもついている、左右対称のガラス球。

 だが俺の突きと、レザントの目潰しのおかげで、やつは動揺し、態勢を整えようとしている。

 脅すように、余裕ぶるように、構えた両腕をゆらゆらと揺すっている。

 ここがコールドスポットになった瞬間に何が起きたのかは知らないが、機体のあちこちは損傷しており、よく見れば手首の裏から配管が見えていたり、右足を動かすときに金属が潰れるような軋み音がしていたりした。


『足を怪我していて、すすり泣いている』。


 情報通りだ。

 あとはあの腕に脳天を掴まれて、コイツの冷凍能力を俺自身で証明する羽目にならなけりゃあ、完璧だ。

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