第295話

 好き嫌いのない宏ちゃんの、唯一食べられへんのがパイナップル。

 それを知ったのは、ぼく達が子どもの頃。一緒にごはんを食べる日にね、パイナップルのアイスが出されたことが、きっかけやったん。

 

『……ひろにいちゃん、アイスにがて?』

『そんなこと、ないぞ?』

『ウソ。悲しいかおしてるもん』

 

 いつもと同じに食べて見えるけど、何となく辛そうと思ったん。そしたら、宏ちゃんは観念したように、スプーンを置いて教えてくれたんよ。

 

『実は……パイナップルが嫌いなんだ。かっこ悪いから、人前じゃ食べるけど、正直吐きそうで』

『無理しちゃだめーっ』

 

 それからね。一緒に居る時にパイナップルが出ると、ぼくが食べてあげることになったんやで。

 

『いつもサンキューな』

『ぼく、パイン好きやから嬉しいよ』

 

 宏ちゃんが困ってるのに、不謹慎やけどね。

 いつもカッコよくて、頼りになる宏ちゃんの力になれて、嬉しかった。

 

 

 

 

 っというのが、ぼくの知ってる宏ちゃんのパイナップル事情なんやけど。

 

「宏ちゃ……宏章さんが、パイナップルケーキを?」

 

 何かの間違いでは――そんな気持ちを押し隠し尋ねると、お義母さんはにっこりする。

 

「そうなんだよ。このお店――ここじゃなくて本店の方だけど、昔から通ってるの。……あの子たちが小さい頃、僕も政くんも忙しくってね。家を空けることもざらで……だから、いつもご機嫌取りに、ケーキを買って帰ってあげたんだ」

 

 懐かしい思い出をたどるように、お義母さんは目を閉じる。

 

「夏が一番、多かったね。メロンのショートケーキにマンゴータルト、ガトーアナナス。「三人で好きに選んでいいよ」って言うのに、いつも同じものを食べてたなあ。暁子ちゃんがマンゴー、ともがメロン、宏がアナナスって」

「そうなんですか……」

 

 頷きながら、東さんに見せて貰った写真をふと思い出した。

 すごく綺麗な女の子と、お兄さんと思しき男の子と一緒に、ケーキを食べる幼い宏ちゃん。そのケーキは、たしかにぼくの手元にあるものと同じやった。

 

「放ったらかしてるせいか、お兄ちゃんとお姉ちゃんは拗ねてそっぽ向いてさ。「ケーキがあるよ」って呼びかけても、不機嫌で寄ってこないの。あれには困っちゃったなぁ」

「お義母さん……」

「でも、宏はね。お兄ちゃんたちを放って、いつも一目散に駆けて来たよ。で――「母さん、俺パイナップルのやつ」って言うんだ」

「……!」

 

 ぼくは、はっと息をのむ。お義母さんはくすくすと笑い、肩を震わせた。

 

「昔っから、マイペースなんだよね。すると、朝と暁子ちゃんも「お前だけ食うな」って走ってきて、取り合いになるんだよー。可愛かったなあ」

 

 お義母さんの穏やかな声を聴きながら、ぼくは――ふと思うことがあって。

 それが、とても正しい気がしてならなくて……泣きたくなった。

 

 ――宏ちゃん……今すぐ、会いたい。

 

 そうして、ギュって抱きしめてあげたくてならなかった。

 お茶を飲み終えて、お会計をするときに――ぼくは、お土産を買うことにした。使用人の皆さんに焼き菓子の詰め合わせと。宏ちゃんにケーキを。

 

「えっ。宏の、それにするの?」

 

 お義母さんに、何度も確認されつつ……ぼくは、「これにします」と我を通した。宏ちゃんの気遣いが、どちらに向いているとして――この果物なら、優しいあの人を傷つけることは無いと思ったから。

 

 

 

 

 そうして、野江邸に帰りついた頃――空はすでに、橙色に染まりかけていた。

 

「お帰りなさいませ、奥様。成己様」

「ただいまー。これ、成くんから」

 

 出迎えに来てくれた東さんに、お義母さんがお土産を渡してくれはった。

 

「ありがとうございます、成己様」

「いえっ。遊びに行かせてもらって、楽しかったです……あの、宏章さんは?」

「いえ。まだ、お戻りでは」

 

 東さんは、もっけとして頭を振らはった。

 

「まだ戻ってないのかい? えらくかかってるなあ」

「はい。あ……そうです、その代わりと言いますか。御来客がございます」

「えっ。誰が――」

 

 お義母さんが訊き返したときやった。

 

「おふくろ、遅かったな」

 

 聞き覚えのある低い声が、玄関ホールに響いたのは。


「――朝!」


 寛いでいたのか、スーツを少し着崩したお兄さんが、歩み寄ってくる。

 お義母さんもまた、嬉しさを隠せない小走りで、迎えに寄っていかはった。


――お兄さんも、帰ってはったんや。もしかして、宏ちゃんを心配して……?


 驚きながらも、お兄さんに慌てて頭を下げる。


「お久しぶりです、お兄さん。お世話になっています」

「ああ……お久しぶり、成己さん」


 その黒い目の奥が、硬質な光を放っていて――ぼくは、戸惑った。



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