第265話

 思いがけず、陽平と出会ってしまい、ぼくは気が動転した。

 

「はなしてっ!」

「成己!」

 

 力いっぱい後ずさると、陽平が慌てたように距離を詰めてくる。

 

「待ってくれ。成己!」

「痛っ」

 

 強く腕を握りしめられて、痛みに眉を顰めた。陽平は「悪い」って力を緩めたけれど、手を離してはくれない。

 ぼくは悔しくて、唇を噛み締める。

 

 ――そもそも、何で陽平がセンターにいるん?!

 

 フリーのアルファである陽平は、センターに用事なんかないはずやのに。

 じっと睨んでいると、陽平はどこか戸惑ったように、視線をウロウロさせてから――おずおずと口を開いた。

 

「その……久しぶりだな」

「……手を離して」

 

 のんびり挨拶をしたい気分じゃなくて、そっけなく言う。

 それよりも離して欲しくて、そこばかり睨んでいると、陽平は慌てて手を開く。

 

「わ、悪い」

「……」

 

 ぼくは自由になった手首を擦り、陽平を見やる。

 ……会ったのは、お義母さんの誕生会ぶりや。――久しぶりに会った陽平は、少し痩せているみたい。不思議と、ぼくを見る目には、以前のような険を感じなかった。


――『欠陥品のくせに』


 でも、あの時ぶつけられた言葉と、冷たい眼差しを忘れたわけじゃない。

 さりげなく遠ざかろうとするぼくに、陽平が叫んだ。

 

「待て! ……お前、その――怪我、どうしたんだよ!」

 

 素っ頓狂な声が、廊下に高く響きわたる。

 ぼくもぎょっとしたけど、本人はもっと驚いたみたいで、頬をさっと赤らめていた。

 

「え……?」

「今日、お前の家に行っ……通りがかったんだ。そうしたら、ちょうどお前が野江と出てきて……怪我してんのが見えたから、気になって」

 

 陽平の視線が、ぼくの頬をなぞる。

 

「だから、追いかけてきたんだ。タクシーつかまえて……けど、途中で渋滞して、見失って。見当付けてきたから――会えるとは、思わなかった」

 

 陽平は、ぼそぼそと言い訳するみたいに話しきって、唇を尖らせた。――きまりの悪い時の、陽平のくせ。でも、懐かしい気持ちがしたのは一瞬で、怪訝さが勝る。

 

――なにそれ。偶然見かけたぼくが、怪我をしていたから、追っかけてきたってこと……? 

 

 ちっとも、意味が解らない。

 黙っていると、陽平は身を乗り出してきた。

 

「なあ、成己。なんで怪我したんだよ?」

「そんなん……陽平には関係ないやんか」

「……んだよ! 気になんだから、仕方ねぇだろ? お前、トロいわりに怪我なんかしねぇんだからさ」

「……」

 

 陽平は苛々と髪を掻きむしり、言った。

 

「だから……お前が、怪我なんかしてっから――野江の奴は、何やってんだと思って! まさか、あいつのせいじゃ……」

「――!」

 

 宏ちゃんを引き合いに出され、カッとなる。

 

「やめてや! 陽平に、そんなん言われる筋合いない!」

「……っ!?」

 

 力いっぱい睨みつけると、陽平はぎょっと身を引いた。

 胸がむかむかして、止まらない。よりによって、宏ちゃんのことを言うなんて、許せなかった。

 

「宏ちゃんが、どれだけぼくを大切にしてくれてるか、知りもしないで……! そういうの、ほんまに腹立つから!」

「な、成己――」


 ぼくは、頬の湿布に触れる。もう、殆ど痛みを感じないけど――痣を見せたくなくて、貼っていた。

 ずっと心を砕いて看病してくれる宏ちゃんを、これ以上苦しめたくなくて。


――『ごめんな、成』


 痛みに魘された夜、夢うつつに聞いた優しい声を、思う。

 宏ちゃんは……ぼくの痛みまで引き受けようとするように、抱きしめてくれた。 

 

――宏ちゃんが、ぼくを傷つける事なんて無い。いつも、ぼくのほうが……

 

 胸がずきりと痛む。

 滲んだ涙を手の甲で拭い、陽平を睨みつける。


「……怪我はぼくの不注意やし、宏ちゃんは凄く、凄く優しいです。心配してもらう必要、ありませんので!」


 きっぱり言って、踵を返す。もう、話したくなかった。


「……っ待ってくれ!」

「――あっ!?」


 突然、後ろから伸びてきた腕に、抱き寄せられてしまう。


――え……!?


 ばらの香りが鼻を掠め、目を瞠った。


「嫌や!」


 身を捩って、陽平の胸を押しのける。――なのに、ますます力が込められて、逃れられない。泣きたくなって、叫んだ。


「やめてよ! なんでこんなことすんの!」

「成己、成己……聞いてくれ。俺は、晶に騙されてたんだ……!」

「……っ?!」


 思いがけない発言に、思わず抵抗を止めてしまう。

 気を良くしたのか、陽平は早口に捲し立てた。


「晶は、椹木を好きだったんだ。俺しか頼れねえなんて、嘘だった……それに、あいつにお前と野江が怪しいって言われて、お前を疑った。だから、俺は本当は」


 バシン!


 ぼくは、言葉を遮って――力いっぱい、頬を張り飛ばす。


「……っ!?」


 陽平はびっくりしたみたいに、固まった。その隙に、なんとか腕を抜け出して――怒鳴りつけてやる。


「ふざけんといてっ!」

「な、成己……」


 陽平は、おろおろしている。「信じられない」とでも言いたげに。

 余計にむかついて、髪の毛が逆立つ気がした。


「騙されてた? だから、何なんよ! 陽平が、蓑崎さんを選んだことに変わりはないんやから……!」


 あのとき、陽平は――蓑崎さんを守るために、ぼくと婚約破棄した。蓑崎さんを庇うために、ぼくを閉め出したんだ。

 ぼくにとっては、それが全てなんやから……!


「……っ」


 無遠慮に踏み荒らされた、胸が痛い。こみ上げる涙を堪えていると、陽平は呆然と立ち尽くしている。

 ぼくは今度こそ、その場を走り去った。

  


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