第226話【SIDE:晶】

 昼頃、俺は街に出ていた。

 陽平ママと、待ち合わせをする為だ。どうせ、お決まりの話をされるなら、使用人の目がある家よりも外のほうがいい。

 

「あっつ……」

 

 顎から、ぽたぽたと汗が伝う。

 寝不足の体にこたえて、気を抜くと車道に倒れ込みそうだ。

 

 ――ああ、フラフラする……

 

 暑いのは嫌いだ。

 朦朧としながら歩いていると、前から来たカップルにぶつかった。

 

「……っすみません」

「……いや、大丈夫すか?」

 

 舌打ちをせんばかりだった男の顔が、やにさがる。――目の奥に気持ち悪い欲情が見えて、ゾッとした。

 すると、女の方が男の袖を引いた。

 

「……ちょっと!」

 

 嫉妬に顔を歪め、男を引っ張って行く。

 去り際の、嫌悪丸だしの視線に、心がざらついた。

 

「うざ……興味ねーよ」

 

 キモい目で見られて、不愉快なのはこっちだっつーの。

 嫉妬深いやつって、頭悪いんだと思う。だって、浮気心を出す奴が悪いのであって、俺は被害者なんだ。俺を恨むなんて、お門違いにもほどがある。

 

――『絶対、許さへんから……!』

 

 ふと、さっきの女の顔に、成己くんが重なる。

 陽平と俺の仲を疑って、可愛らしい顔を嫉妬に醜く歪ませていた、彼。

 

 ――許さない、とか現実で言う奴いるんだなぁって、思った……よっぽど、自分は被害者だって思ってないと無理だよ。

 

 そのくせ、自分は簡単に結婚してるんだから、笑いしか出ないわ。そんなに軽い気持ちで「次々~」って行けるのに、人のことは呪うだなんて。

 

 ――誰でも良かったなら、なんで大騒ぎしたんだろ? 俺にめちゃくちゃ嫉妬して来てたから……なんでもいいから、殴ってから別れようって思ってたのかな。

 

 自分本位すぎて、吐き気がした。

 俺も、陽平もただの友達だし……成己くんとだって、友達だったのに。

 聞く耳持たずに、浮気だって決めつけて。俺を脅して、陽平を婚約破棄に追い込んでおきながら……自分は、あっさり浮気相手と結婚するなんて。


――マジ、ありえない。あいつ、薄情の塊か?


 友達なら、俺たちが望んで婚約者を裏切るような真似しないって、普通わかるだろうし。どれだけ辛い思いしてるか、感じられるはずじゃん。

 それなのに、自分は安全圏にいながら――ちょっと気に食わないからって、人を破滅に追い込むんだから。

 怒りで胃がむかむかしてきて、歩調が遅くなる。

 

 ――結局、成己くんだけが誰のことも、大事に思ってなかったんだ。あーあ……ほんと、打算的なんだろうな。 


 あんな風なら、俺も楽だったかなって考えて……首を振る。


 死んだ方がマシだ。


 舌打ちしたい気分で思ったとき、ポケットのスマホが震えた。

 見れば、ママからだった。

 

『ごめんね、少し遅れそうです。城山で予約してあるから、先にお店に入っていて貰える?』

 

 遅刻の連絡のようで、「了解ー」と返信を打つ。モヤモヤする気分のまま、またポケットにねじ込んだ。

 ママのことは好きだけど……最近、苦しい。

 まさか、俺と陽平を結婚させようとするなんて、思わなかったから。

  

 ――『婚約者さんとは別れたらいいわ! 勇気を出して!』

 

 そんな簡単な問題じゃないのに。

 だって、俺と椹木さんの結婚は、父さんが決めたんだ。……婚約解消なんてしたら、本当に父さんに見捨てられてしまう。

 

 ――『晶。お前には失望した――』

 

 恐ろしい想像に、身震いした。

 ……絶対にいやだ。

 この婚約は、守らなきゃならない。どうせ、愛されていないのに、滑稽かもしれないけど……。

 同じ名家生まれのオメガでも、蝶よ花よと愛されてきたママには――こんな俺は惨めに見えて、理解できないだろうな。

 そういう、お姫様みたいなところ、可愛いって思ってるけど……さすがに辛い。

 

「……はぁ」

 

 ため息が漏れる。

 暑いせいか、苛々して、ネガティブな思考が止まらない。

 大好きな人のことまで、こんな風に思わなくちゃなんないなんて、嫌なのに。

 

 ――仕方ないじゃん。ママも、陽平の新しい伴侶探しに、必死なのかもね。俺の気持ちを考える余裕なんて、ないか……

 

 そう言い聞かせ、痛む心を宥める。ママもまた……成己くんの、被害者なんだから。

 ほんと、成己くんってなんなんだろ。

 彼は、自分の言動がどれだけの人を追い詰めているのか、知らずに生きていくんだろうな。

 あの儚げな顔に、満面の笑みを浮かべて。

 

「……」

 

 知らず、足が止まっていたらしく――通行人に邪魔そうにされたので、のろのろと道の脇に避けた。ちょうどコンビニの前で、客の出入りの度に涼風が吹く。

 

 ――ちょっと涼んでこ。まだ時間あるし……

 

 店内に足を踏み入れると、無機質な自動音声に迎えられた。

 よくある無人タイプの店で、店員はいない。うざったい接客が無いのは気楽に思えて、嫌いじゃなかった。店内は、俺の他に数人の客がいた。男性客がじろじろ見て来て、嫌気がさす。

 

「……ぁ」

 

 ぶしつけな視線の先を追えば、白いシャツが汗で体にはりついていた。耳まで熱くなり、腕で胸を隠す。

 

「くそ……歩いてくるんじゃなかった……」

 

 詮索されるのが嫌で断ったけれど、大人しく送迎車に乗ってくるべきだったか。

 鬱々としながら、陳列棚の影に隠れると――また、誰か店内に入って来た。

 ふわ、と鼻先を芳しい香りが掠める。

 

 ――この匂い!

 

 そっと棚から顔を出して、窺う。すると……予想通り、聳えるような長身の後ろ姿が見えた。シャツとデニムだけの、シンプルな出で立ちなのに、目立ちまくっている。見るからに、アルファって男。

 

「野江……!」

 

 知らず、口に出していたらしく、男は振り返った。

 

「ん?」

 

 見下ろされて、ぐっと唇を噛み締める。けれど、アルファの前に立つときには、いつも「負けて堪るか」と意地が湧いた。背を伸ばし、まっすぐに目を見てやる。

 

「――どうも、野江さん」

 

 俺は、野江宏章――成己くんの、浮気相手で夫に、にっと微笑みかけた。

 


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