第209話【SIDE:陽平】

 成己がいない。

 その事実は、俺を酷く狼狽させた。部屋中のドアを叩き開け、成己を呼んだ。しかし、どこにも成己の姿はない。

 

『成己! どこだ!』

 

 頭を掻きむしった。スマホを取り出して、あいつの番号を呼び出した。

 呼び出し音が続くのに苛つき、衝動的に切っては何度もかけ直す。

 

 ――どこへ消えた? あいつに行くところなんて、無いはずなのに……!

 

 もしかして、俺の言葉に悲観して……?

 最悪の想像が浮かびかけた、その時だった。ぷつり、と呼び出し音が途切れ、通話が繋がった。

 

『成己! どこに――』

『城山くん』

 

 しかし――呼びかけに答えたのは、成己の声ではなかった。

 低く、自信に満ちた男の声音。野江――そう気づいたのと、相手が話しかけてくるのは同時だった。

 

『やあ。ずい分、ごゆっくりだったね』

『なんで、あんたがッ……どう言うことだ! 成己はどこだ?!』

 

 なんで、成己の電話に野江が出るんだ。わけが解らず、完全に頭に血が上ってしまう。電話口に怒鳴りつけると、野江は静かな声で言った。

 

『成は、俺と一緒に居るよ』

『……は?』

 

 耳を疑った。

 

――……成己は、野江のもとに行ったのか? 俺の家を出て。

 

 寄り添う野江と成己の姿が浮かび、不快に脳がグラリと揺れる。

 

『ふざけんな……ッ! 成己を出せよ!』

『あの子は席を外してる。話したいなら、君が来いよ』

 

 野江の声は、落ち着き払っていた。俺をいなす響きさえあって、歯ぎしりする。

 

『てめえ……人のものに手を出したのか』

『文句があるなら。君は成のアルファとして、責任を果たすべきだな』

 

 ぴしゃりと遮られ、瞠目する。

 

『俺が成を守ったから、何だって言うんだ。三日も経って、やっと連絡してきた君が』

『……!』

 

 カッと頭が煮えて、言葉を失う。あと二三言言い残し、野江は通話を切った。――言い返すことも出来ないままで、やり場のない怒りを持て余す。

 

『成己の奴……俺を馬鹿にしやがって!』

 

 心底、許せないと思った。

 まさか、野江の所にいるなんて……心配していたのに、全てを無下にされた気がしたんだ。

「俺だけじゃない」のだと、成己が勝ち誇る様を幻視し、心が荒れ狂った。

 


 

 

 物思いに沈んでいると、不意にインターホンが鳴った。

 急いで出て見れば、晶が目を丸くして立っていた。

 

『よ。なんとなく……お前の事、心配になってさ』

『晶……』

 

 母さんに俺が帰ったと聞いて、様子を見に来たらしい。とりあえず家に上げると、洗濯物を片付けたり、残り物を捨てたりと、晶はまめまめしく世話を焼いてくれた。

 晶に気にされていることが、傷つけられた自尊心を温めてくれる。

 

『あー、美味そうなの発見』

『食いたいなら食えよ』

 

 成己に買って来たものだったが、最早どうでもいい。それより、晶へのお礼にしてしまえ――そう思って、二人でプリンを平らげてやった。晶はことさら明るく振舞っていて、いじらしく思えた。

 

『――ええっ。成己くん、野江さんと一緒に居たのか?! 三日も!』

『ああ。野江が電話に出て……間違いねえよ』

 

 野江と成己が共に居たことを話すと、晶は憤慨してくれた。

 

『信じらんねえ。腹いせにしても酷すぎる。陽平が浮気なんてする奴じゃないって、なんで解んねえんだろ……?』

『野江が良いんだろ。俺より、付き合い長いし……』

『そんなことない。お前は良い奴だろ。成己くんは、馬鹿だよ……』

 

 成己は愛されているから、俺の価値を解っていないんだって。早く説得しないと、彼は必ず後悔するって、俺の頭を抱いてくれた。

 晶に優しくされるほど、成己への悔しさでたまらなくなる。

 

 ――成己、なんでだよ! お前は、俺だけじゃないのか……!

 

 髪を梳かれ、芳醇な香りに包まれるうちに……乱暴な衝動がこみ上げてきた。

 もうどうにでもなれと、間近にある頭を引き寄せて、唇を奪う。――すぐに絡んできた舌からは、甘いプリンの味がし、余計に苦しかった。

 

 


 

 それからは、嵐のようだった。

 晶を寝室に連れ込んで、激しく求めあった。晶に欲望を突き立てるほどに、成己への憎悪が搔き立てられた。俺に許さなかったくせに、野江には抱かれたのだろうか、と。

 

 ――『あの、陽平っ。今夜どうする?』

 

 越してきた夜のことだ。成己はそう言って、ぎゅっと俺の手を握った。

 パジャマがわりのスエットを纏った体から、ほんのりと甘くフェロモンが香っていて。成己の、真っ赤に火照った項を見たら……急に、気恥ずかしくてたまらなくなった。

 まだ早いと思った。色々言って誤魔化して、背中を向けて布団に潜り込んだ。

 

 ――『……そっかぁ! たしかに、ゆっくりでええよね』

 

 成己は頷いて、俺の隣に寝そべると、すぐに寝息を立て始めた。正直、肩透かしを食った気がしたが……たしかに成己の体は幼い。だから、心も幼いに違いないと、納得したんだ。

 俺たちは、まだこのままでいい、って。

 

 

 それなのに――俺が手を出さなかったものを、野江に触れさせやがった。

 むしゃくしゃしながら白い体に挑みかかると、晶は嫌がらず、俺を受け止めてくれた。それどころか、両脚を俺に絡め、「もっと」と甘く喘いだ。

 

『陽平、好き……! こんなの、お前だけだからっ……』

『晶……!』

 

 必死に俺を求める晶に、心が癒される。

 成己に、思い知らせてやりたかった。――俺だって、お前だけじゃないんだと。

 

『晶。俺も、ずっと好きだった』

 

 成己なんかどうでもいい、と言い聞かせるよう……晶に愛を囁いたときだった。

 

 ――バタン!

 

 いきなりドアが開き、成己が部屋に飛び込んできたのは。

 


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