第195話

 晩ごはんのあと――湯気を立てるお茶をたずさえて、客間を訪ねた。

 ドアをノックすると、高校の名前の入ったジャージに、首からタオルを下げた綾人が、ひょっこり顔を出す。


「綾人っ。お茶、飲まへん?」

「わ、サンキュ。頂きます」

 

 にっこり笑ってお盆を掲げると、綾人は中に入れてくれる。

 ベッドの上にスマホと、今日着ていた服が、きちんと畳まれて置かれていた。いい子やなあ、と和みつつ言う。


「お洗濯、良かったらもらってくね。着替えならぼくの貸すから、遠慮しないで」 

「あ……ありがとう。ごめんな、至れり尽くせりで。風呂も先に貰っちまったし……」

「なに言うてるん。ゆっくりくつろいで!」

 

 ローテーブルにお茶を並べて、向かい合う。綾人は、湯気を吹いて、はにかんだ。

 

「へへ……緑茶、久しぶりに飲んだ。美味い」

「美味しいよね。ぼく、あったかいのが好きで……」

「オレも好き! 合宿所でさ、よくお茶が用意されててさ。ダチ同士でいれると薄かったり、濃かったりで」

「そうなんや。楽しそう!」

「うん……懐かしいなぁ」


 楽しそうに話していた綾人は、ふと表情を暗くする。ぼくは、その急な変化に驚いた。

 

「ど、どうしたん?」

「ううん、何でもねえ。美味いなあ、お茶」

「うん……」


 綾人は笑ってから、ずずずとお茶を啜っていた。――その様子から「聞かないで欲しい」と言う訴えを感じ取り、ぼくは言葉を飲みこんだ。







 ――綾人、大丈夫かなあ。

 


 客間を出て、トボトボと歩く。


「やっぱり、すごく落ち込んでるよね……どうしよう」


 お夕飯も、「美味しい」ってたくさん食べてくれたけど。どことなく、空元気っぽかったと思うねん。

 

 ――大切な人の元気がないときって、どうしたらいいのか……


 ぼくは、うーんと唸る。


「そうや。なんか、美味しいお菓子とか……気晴らしになることとか、探してみようかな……」

「成、どした?」


 突然、後ろから抱き寄せられる。


「わーっ」


 びっくりして、腕に抱えた服とお盆を落としそうになった。

 胸の前に回った腕にどぎまぎしながら、振り返る。

 

「もうっ、宏ちゃん。びっくりしたっ」

「あ、すまん。……なんか、深刻な声がしたもんで」

 

 心配そうに聞かれて、うっと詰まる。

 宏ちゃんは小脇に資料を抱えたまま、書斎の扉は開きっぱなしで……わざわざ来てくれたのがわかったから。


「実は……」


 書斎に招き入れられ、ぼくはおずおずと話す。


「綾人、大丈夫かなって思ってたん。元気にしてるけど、無理してるんやろうなって……」

「ああ……」

「ぼく、なにか出来ることないかなぁって。もっとこう、いい励まし方っていうか……」


 辛いの頑張って耐えてるのが、健気で可哀想で……なんとかしてあげたい。

 宏ちゃんを見上げると、「そうだなあ」って首を捻ってる。


「綾人君には、時間が必要なんじゃないかな」


 宏ちゃんは、静かに話し出した。


「兄貴と揉めたこともだが……色々なことが重なって、疲れてるように見える」

「……色々なこと?」

「うん。なんとなく想像はつくが……憶測でものを言うのは好きじゃないからな」


 宏ちゃんは、穏やかな声で続けた。


「俺達は、見守ってあげよう。事情を知らなくても、ただ側にいることが、支えになることもある」

「あ……」


 ぼくは、ハッとした。穏やかにほほ笑む夫を、凝視してしまう。


――ひ、宏ちゃんって……大人~……


 でも、確かに――ぼくも陽平とのこと、宏ちゃんに話せてないけど。宏ちゃんが側に居てくれることが、心強い。

 ぼく、自分が心配やからって、焦っていたのかもしれへん。


 『ウザいんだよ! いちいち構うな!』


 そう言えば……陽平にも、よく怒られた。

 暗い顔してると、ついうろちょろと構ってしもて。それで、言いたくないことを言わせちゃって……

 そっとして欲しいときがあるくらい、ぼくもわかるのにね。 


――もう、ぼくのばかっ。


 頭の中で自分をポコスコ殴っていると、宏ちゃんは不思議そうにしてる。


「どうした、しょんぼりして」

「宏ちゃん……ぼく、だめやねぇ。お節介で……」


 宏ちゃんは噴き出した。


「いいじゃないか。綾人君は、嬉しいと思うぞ? 成みたいなお節介焼きが、おろおろしてくれるの」

「は、励ましてなーいっ」


 腕を振り上げると、宏ちゃんに抱きしめられる。


「……いいんだよ、成はそのままで。綾人君は、お前を頼って来てくれたんだから」

「……!」

「ただ、お前も頑張りすぎないように。支える方こそ、元気じゃないとな」


 頭を撫でられて、じんわりと胸に熱いものが湧いてくる。


「うんっ。わかった!」


 ぼくはにっこりして、頷いた。


「兄貴の方は、俺がちょくちょく様子見てくるよ。綾人君に出てかれて、参ってるだろうし」

「ありがとう……! 宏ちゃんも、無理しないでね」


 ぎゅっと広い背に抱きついた。

 

「喧嘩とかしちゃ、いややで」

「おう、任せとけ」


 宏ちゃんは大らかに笑う。――この人が居てくれて、良かった。

 ぼくは、安堵して木々の香りに包まれた。 


 


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