第191話

「――マジで、朝匡は頑固すぎるんだよっ」 

 

 二人きりになって、綾人は喧嘩の真相を話してくれた(やっぱり、弟の宏ちゃんの前では話せへんこともあるよね)。

 

「そっか……お兄さんの誕生日プレゼントを買いたくて、バイトの理由を言えへんかったんやね」

 

 そもそもは、お兄さんのお誕生日をお祝いしたい――そんな健気な気持ちが、事の起こりみたい。……綾人が、すごく照れて誤魔化すんやけど、かみ砕くと、そういうことやと思う。

 お兄さんの好きそうな靴を見つけたから、どうしても自分でプレゼントしたかったんやって。

 問題は、お兄さんは綾人のバイトを知らなくて。綾人も、言えば止められるのを解ってたから、バイトに出ることを隠してたことやった。

 

「でも、オレなりに考えて、高校のダチの兄貴がやってる小料理屋で、働かせて貰ってたんだよ。オレがオメガでも態度変えなくて、マジ良い人なんだ。今回のことも、快くオーケーしてくれて。なのに、朝匡の奴……」

 

 悔しそうに、綾人は唇を噛み締める。

 綾人の願いを知っていて、取りなしてくれようとした店長さんに、お兄さんが「いかがわしい店で働かせられない」って怒鳴ったらしい。

 ぼくは、第三者やけど血の気の引く思いがした。――恩人に、大切な人がそんなことを言ったら。

 

「それは、苦しいね……」

 

 なんとか言うと、綾人は頷いた。

 

「そんで、マジむかついてさ。オレに怒るだけならまだしも、なんて酷い奴なんだって。だからオレ、誕生日プレゼントの為だったとか、言いたくなくなったんだ」

「……そうやったの」

「そしたら、もう外には出さねえって。ずっと閉じ込められてて……今日、あいつが仕事行った隙に、なんとか出てきたんだ」

 

 綾人は、すんと鼻を鳴らして俯く。

 

「綾人……」


 ぼくは、綾人を何と励ましていいか……必死に言葉を探った。 

 お兄さんは、今までお会いした限りでは……頑固そうでも、こんなに無茶をする人には思わなかったのに。

 

「ごめんな、成己。新婚なのに……」

「何言うてるん! 頼ってくれて嬉しいんやから」

 

 綾人は、しょんぼりと肩を落としている。

 ぼくは慌てて、隣に座り直して、そっと膝の上の手を握った。

 

「ね、気にせんと居ってよ。なんでも話して……そうや、ごはん、何食べたい? 綾人の好きなもの作るからっ」 

「……うう。サンキュ、成己ぃ」

 

 必死に励ますと、綾人の瞳がうるりと潤んで、大きくなる。

 ぽすん、と肩に乗っかって来た頭は、火の玉みたいに熱かった。――泣きそうなせいかもしれへん。

 ぼくは、麦色の髪をそっと撫でた。

 

「綾人。つらい?」

「……わからん。でも、朝匡と居たくねえ」

「うん……」


 人が好きで、優しい綾人。お兄さんのことだって、大好きやからこそ……今回のことは、どれだけ堪えたやろう。

 ぼくは、しくしくと泣いている綾人の頭を、じっと撫でていた。

 

 




 

 なんでなんやろう。

 お兄さんも、綾人も想い合ってるのに……どうして、こんなことに。

 ぼくは、複雑な気持ちでささみにパン粉をはたいた。


「――成、大丈夫か?」

「あっ、宏ちゃん」


 はっとして、振り返ると……台所に宏ちゃんが入ってくるところやった。


「……綾人君、どうだった?」

「うん……今はね、眠ってる。やっぱり気を張ってたんやろうね」


 ひとしきり涙を流して、疲れが出てきたんやと思う。

 ふらふらし始めた綾人を、客間に案内すると、すぐに眠り込んでしまったん。


「そっか……ありがとうな、成」

「ううん、こちらこそ……! 宏ちゃんの方は、どうやった?」


 恐る恐る尋ねると、宏ちゃんは神妙に眉を寄せた。


「まあ……兄貴のやつは案の定、激昂してたな。綾人君は、しばらくうちに居させることと、お互いに落ち着くまで会わせない、って言っといた」

「……そっか。大丈夫かな? 綾人、無理に連れ戻されたり……」


 お兄さんの綾人への執着は、凄いものがあるらしい。

 どうせ黙っていても居場所がバレてしまうから、先にバラして牽制したほうがいい――そう、宏ちゃんは言ったんやけど。


――怒ってるお兄さんが、怒鳴り込んできたらどうしよう……


 不安なのが顔に出てたのか、宏ちゃんが凛とした声で言う。


「大丈夫だ。こっちは筋を通した。――いくら兄貴でも、俺の縄張りに踏みいらせたりしない」

「……!」


 強い眼差しに、はっと息を飲んだ。


「お前の大事なものは、俺が守る。安心してくれ」


 宏ちゃんは、決然と言ってくれた。心強くて、つい涙ぐむと……慌てた宏ちゃんに、頬を包まれる。


「ど、どうした? やっぱり怖いか?」

「ううん! 宏ちゃん、ありがとう……ホッとしただけなん」

「……そうか?」


 シャツに頬を寄せると、森の香りがした。――穏やかで、暖かくて……ぼくを安心させてくれる。

 宏ちゃんは、頭を撫でてくれた。


「成、ごめんな。兄貴の馬鹿のせいで、気を揉ませて……」

「なんで、宏ちゃんが謝るん。綾人の味方になってくれて、嬉しいんやから」


 すまなそうな宏ちゃんに、驚く。――宏ちゃんがいてくれるから、大丈夫だって思えるのに。


「ぼくの大事な友達のこと、守ってくれてありがとう」

「成……」


 ぎゅっと手を握って、笑う。宏ちゃんが、目を細めて……笑いをこぼした。


「ふふ。……パン粉まみれだな」

「あっ! ごめんなさいっ」


 お料理の最中やったん、忘れてた!

 慌てて手を離すと、宏ちゃんが隣に立つ。


「俺も一緒に作るよ。ささみチーズか?」

「ありがとうっ。あのね、綾人、フライ食べたいって言うてくれたん」


 手を洗って、ふたりで調理台にむかう。

 綾人は、揚げ物が好きなん。晩ごはんのリクエスト聞いたら、「フライ」って。


――好きなもの食べて、元気だそうって……前向きでえらいな……


 健気な綾人に、鼻の奥がつんと痛くなる。宏ちゃんが、大らかな笑みを浮かべた。


「なら、とびきり美味いのを作るか!」

「うんっ」


 ぼく達は、せっせとパン粉をつけた。

 


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