第172話【SIDE:陽平母】

 どういうことなのよ!

 私は、眼前に広がる光景を、わなわなと見つめた。

 

叶夫かなおさん、本日は誠におめでとうございます!」

「いやあ、三人もオメガを娶るとは剛毅な……! 良家であっても、長男一人しか娶れないものを……さすが、野江家は力強い」

「ぜひ、あやかりたいものですな……」

「それに綾人様も成己様も、とてもお美しい……素晴らしい方を娶られて、羨ましいですわ」

 

 パーティの主役……忌々しい野江叶夫のえ・かなおを囲み、パーティの参加者たちは、くちぐちに誉めそやしていた。

 羨望、嫉妬、賞賛――いつもなら、私がほしいままにするその視線を、一身に受け、当の野江夫人は、凡庸な顔を上機嫌にほころばせている。

 

「ありがとうございます、皆さん! どうぞ、これからも野江をよろしくお願いいたします!」

 

 大きな声で音頭を取り、グラスを掲げる。周囲の者たちも、笑顔でそれにならった。

 どっ……! 野江夫人を中心に、大きな歓声が沸き起こり、その音の波に頬が張られるような気持ちになる。

 

 ――なんなのよ、これはぁ……! ふざけんじゃないわよ!

 

 ぎりぎりと、奥歯を噛みしめる。

 先ほどの余興の前にあった、野江夫人の次男の結婚のお披露目のせいよ。優秀な長姉・長兄だけでなく、脛かじりの根無し草と言われていた、次男までもオメガを娶った。

 そのニュースは、ただ一人のオメガを娶ることさえ難しい連中を威圧するには……十分だったってことのようね?

 

 ――だから、お披露目させないように……ちゃんと忠告してやったのに、あのクソ男!

 

 成己さんが――あんたの息子ととんでもない不貞を働いていて、うちと婚約破棄になったって。「結婚を認めれば、社交界の醜聞になるわよ」って忠告してやったら、感謝していたくせに。

 それなのに、こんな風にお披露目するなんて、恥知らずにもほどがあるわ。

 私は、野江夫人の囲む人の輪を、焼き殺したいような気持で睨んだ。すると、隣で友人の上原夫人が、「ゆ、弓依さん?」と怯えた声を上げる。

 

「あのう、大丈夫かしら?」

「……大丈夫って、何が?」

 

 引き攣りそうな米神を指で揉み、私はほほ笑んだ。すると、友人達はおどおどと顔を見合わせ、意を決したように言う。

 

「ごめんなさいね……私達、弓依さんの気持ちを考えると、こんなこと……って思うのだけど。でも、友達だから言うのよ。まずいのではなくて?」

「……は?」

 

 いけない、声が尖ってしまったわ。友達が怯えてるじゃない……息を吸い込んで、問い返した。

 

「何がまずいの?」

「……宏章さんのパートナーって、陽平さんの婚約者だった方でしょ? 夫人と、すごく仲が良さそうだったわね」

「それが。はっきり言って」 

 

 苛々と問い返す。上原夫人は、ハンカチを握りしめながら、震える声で言った。

 

「……その。ひょっとして、野江夫人は、貴女の流した噂を、面白く思ってないんじゃないかと思うの。謝っておいた方が、良いんじゃないかしら」

「――!」

 

 ひゅ、と息を飲んだ。

 余りの屈辱的な言葉に、一瞬何を言われたかわからなかったの。

 

 ――この私に……城山夫人に、あの男に頭を垂れろと言うの?

 

 ぱしん! 乾いた音が響く。

 気がつけば、私は友人の頬を張り飛ばしていた。

 

「ふざけないで頂戴! あなた……私に泣き寝入りしろだなんて、大した友情ね! 絶対に、謝ったりなんかしないわよっ!」

「ゆ、弓依さん……でも」

 

 上原夫人は頬を押さえ、傷ついたように瞳を揺らす。私は、そのことにも腹が立った。――私の味方になると言ったくせに! どうせ、貴女も一緒に噂を流したから……怯えているだけでしょう!

 

「放っておいて! 謝りに行きたいなら、貴女がいけばいいわっ」

 

 そう言い捨て、私は踵を返す。

 

 ――私は城山弓依よ。野江など恐れるものですか……!

 

 ずんずんと大股で歩き、野江夫人に近づく。

 なんとしても、発言を撤回させなければいけない。だって、野江家が「YES」と言えば、せっかく私が作った「春日成己は不貞者」と言うイメージが覆ってしまう。

 

 ――そうなったら、陽平と晶ちゃんへのバッシングは免れない。二人の恙ない婚約のために、ここは落とせないの……!

 

 いくら城山と蓑崎であったとしても……いえ、良家だからこそ、スキャンダルを待つハイエナがうろついているものなのよ。 

 ひどいでしょう? 陽平ちゃんも、晶ちゃんも互いが好きなあまり……気が逸ってしまっただけなのに。

 結婚前に契ってしまうことくらい、若い二人にはよくあること。――それでも、婚約中に他のオメガと関係を持ったとなると、アルファとして責任問題を問われてしまう。晶ちゃんだって、絶対に婚約者に不貞だと罰されてしまうわ。

 

 ――そんなのはダメ。私は、二人には何の傷もなく結婚してほしいのよ!

 

 何物にも脅かされることなく、皆に祝福され、羨ましがられて、結婚させてあげたい。これって、母親として、当たり前の望みでしょう?

 

 ――だからこそ……成己さん。スキャンダルの的は、あなたでなきゃいけないわ!

 

 毒を持って毒を制す。

 あなたの醜聞で社交界を埋め尽くし、陽平ちゃんと晶ちゃんから気を逸らしてあげなければいけないの。所詮、あなたはセンターのオメガだもの。もともと失うものなんてないだろうし、いいでしょう?

 いいえ――そもそも私達、良家が生かしてやってるのだから、役に立つべきなのよ!

 

「野江さん!」

 

 私は決然と、野江夫人に声をかけた。

 

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