第168話【SIDE:晶】

 会場に戻り暫くすると、人波のなかに陽平の姿を見つけた。

 俺は、これ幸いと俺に腕を貸す男を見上げ、言う。

 

「すみません。城山さんに、ひとこと伝えてきていいですか。何も言わずに、会場を出てしまったので」

「ああ、そうですね。では、私も共に……」

「いいえ。それくらい、一人で平気です」

 

 俺はきっぱりと言い、一礼すると、陽平に向かって歩き出す。背に視線が刺さるのを感じ、唇がむずがゆくなった。――ガキじゃあるまいし、と足を速めた。

 けれど、しばらく歩いてから振り返ると、もう他の客と話していた。

 

「……なんだよ」

 

 結局、ポーズなんじゃん。


――……まあ、いいか。側にいると、気詰まりだったし。


 あの人、しきりに「体調は」と「無理をするな」しか言わないから。

 あまり過保護にされると、俺を一人の男として認めていないのが伝わって、苦しくなる。

 アルファは、そういうことをわかってない。

 

「陽平!」

 

 こちらに背を向ける弟分に、声をかけた。すると、陽平はぐるりと振り返り、足早に近づいて来た。

 

「晶! おまえ、どこに行ってたんだよ?!」

「うるせーな。どこ行こうが、俺の勝手だろ? ガキじゃないんだよ」

 

 大声で詰め寄られ、辟易とする。呆れ顔で言えば、陽平は不機嫌に眉根を寄せた。

 

「バカ。だったら、ひと言かけろよ。急にいなくなるから、何かあったのかと思って。探したんだぞ」

「へぇ……どうだか」

「は?」

 

 ぼそりと呟くと、聞き取れなかったのか陽平は、首をかしげてる。俺は、幾分鼻白んだ気持ちで、「なんでもねぇ」と肩を竦めた。

 

 ――よく言う。さっきまで、成己くんにボーッと気を取られて……俺のことなんか、見ても無かっただろーが。

 

 陽平って、こういう奴だ。

 気まぐれに構って、自分がどうでもいいときは、放ったらかし。それなのに、こいつの気遣いに百パー気づいて褒めてやんなきゃ、むくれんの。

 お坊ちゃん育ちで、人を気遣い慣れてないんだろうけど……まあまあ面倒くさい。

 

 ――だいたい、今さら。俺が、危ない目に遭ってたことも知らねぇで……

 

 そう思うと、なんか苛っとする。

 

「はぁ……わかったよ。手間かけてゴメンナサイ」

 

 突き放すように言ってやると、陽平は傷ついた顔をした。

 

「んだよ……俺なりに、お前を心配して……」

 

 悔し気に、唇を噛み締める。その情けない顔は、ガキの頃からちっとも変っていなくて……俺は「あーあ」と思う。

 腕を伸ばして、肩をがしりと組んでやった。

 

「うわっ」

「仕方ねぇなあ、陽平ちゃんは……ごめんなー? 寂しい思いさせて」

「なっ、頭はやめろ! セット崩れるだろ?」

 

 やわらかい髪をぐしゃぐしゃにしてやって、なんとか溜飲を下げる。

 絶望的な表情の陽平を、またちょっとかわいく思えたところで……俺は、ハタと気付く。

 

「あれ? 今日の主役はどこ行ったわけ」

 

 野江夫人の姿が見当たらない(人だかりになるからすぐわかる)。野江氏と、その息子の朝匡さんの姿はあるけれど……野江さんもいないみたいだった。

 

「ああ……もう、しばらく姿見てねえよ。まあ、あの人達のことだから、なんかイベントの準備とかじゃないのか」

 

 陽平は、気のない声で言う。こいつ、見た目より根暗だから、派手なノリはあわないんだろうな。

 でも、確かに野江夫人ならありえそうだ。パーティも半ばにさしかかってるし、その予想で合っている気がした。

 

 ――……成己くんも……いないみたいだな。

 

 俺は会場をぐるりと見回して、確信した。

 そう言えば……さっき、ショックで気が動転して、ワインをかけたような気がする。それで、ひょっとしたら帰ったのかもしれない。

 

「……はあ」

 

 俺は、安堵の息を吐く。

 さっきの今で、顔を会わせるのは辛かった。……それに、と陽平を窺う。

 こいつにとっても、良かっただろう。これ以上、他の男に贈られた服を、得意げに見せびらかされずに済むんだ。

 

 ――『成己……』

 

 焦がれる様な声で、呟いたこと。隣にいた俺には、聞こえちまった。

 陽平は馬鹿だな、と思う。あんだけ不義理されて、成己くんをまだ想ってるなんて。

 

 ――まあ、俺も同じか……

 

 乾いた笑いが漏れる。

 どれだけ利用されても……俺に甘えてくる陽平を、放っておけない。

 だって、こいつは「俺を守りたい」って、成己くんと別れることになったんだし。いつもの気まぐれなんだって、もうわかってるけど……可愛い弟分を突き放しきれないでいる。

 

「馬鹿だな、俺もお前も……」

「はぁ? 何だよ急に」

 

 肩に頭を預けると、陽平は目を瞬いた。

 ほんと、ニブい奴。

 


 

 

 ――野江夫人が、ステージに姿を現したのは、それからすぐだった。

 側近に手を取られ、ステージの中央に歩み出た彼は、にこにこと客を見回した。

 

「えー、皆様。本日は、私のために駆けつけていただき、誠にありがとうございます!」

 

 ぺこり、と頭を下げたのを皮切りに、スピーチが始まった。

 流石に野江夫人は場慣れしており、時折、ジョークを交えたトークで客たちをどっと沸かしている。

 とはいえ、ここに来てるのは彼の友達か、すり寄りたい奴らばかりなのだから、ウケて当然だろうけど。

 俺は、オトモダチ内閣の茶番に、あくびを堪えていた。

 

「――と、言うわけで。ちょっとゲームなんか、始めたいと思うんですが。その前にね、最近あったおめでたいことを、お話しさせてください。次男の宏章がですね、やっと身を固めたんですよ」

 

 野江夫人が明るい声で言ったことに、眠りそうだった意識が覚醒する。俺の周囲で「宏章さん、ご結婚か」「おめでたいね」とほのぼのと祝福のコメントが上がる。

 

「大切な友人である皆さまにも、新たな僕たちの家族をご紹介したいと思います! 宏章、成くん、入っておいで」

 

 嬉し気に声を上げた野江夫人が、ステージの袖に手招きする。

 わあっと歓声と拍手で、場内がどよめいて……俺は、隣で陽平の体が強張るのを感じていた。

 

 ――ほんッと、ウザい茶番だな……

 

 でも、こうなると……意気揚々と登壇するだろう彼に、せめてミソをつけられて良かった。あれだけのスーツ、そう代わりはないだろうし。

 そう思い、なんとか苛立ちを堪えていると……ステージの上に野江さんが姿を現した。にこやかに、客たちに頭を下げ……恥ずかしがっているらしい同伴者に、声をかけてやっている。

 

「成くん、早くおいで」

「は、はい……!」

 

 野江夫人に手招かれ、ついに成己くんが姿を現した。

 

「……っ!」

 

 その出で立ちに、息を飲む。


――嘘。なんで……!?


 彼は、最上等の品と一目でわかる着物を纏っている。乳白色の地に白椿があしらわれた、涼し気で可憐な絽は……彼の儚げな容姿を際立てていた。

 

「なんと、初々しい……!」

「それに、あの着物……夫人のものだわ。とても仲がよろしいのね」


 会場はざわめき、口々に褒め称えている。

 陽平も、食い入るようにステージを見つめていた。


「宏章の妻の、成己くんです。皆さん、仲良くしてくださいね。さあ、成くん」

「成己と申します。皆様、よろしくお願いいたします」


 そして、野江夫人に促され、マイクを手にした成己くんが、緊張ぎみに挨拶の言葉を述べると……歓声と拍手が上がる。


「おめでとう、宏章さん! 成己さん!」


 祝福の声のなか、野江さんと成己くんは幸せそうに寄り添い、ほほ笑み合っている。

 俺は、わなわなと体が震えた。


「……ありえねぇ」


 憎まれっ子、世に憚るとでも言うのか。


 ――どうして、あいつばかり上手くいくんだよ!! 人に助けられて、簡単に甘えて……!


 もう、見ていられなかった。

 俺は、踵を返すとその場を逃げ出した。


 

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