第159話

 夜も更けたころ――ぼくと宏兄は、ベッドに入った。

 明日は早いから、いつもより早く床につくことにしたんよ。


「……」


 すでに明かりを落とした寝室は、間接照明の穏やかな光に照らされてる。天井をぼうっと眺めていると、隣で宏兄が体を起こした。


「……どうした、成。眠れないか?」


 布団をはぐりながら、宏兄が心配そうに言う。


「えっ」

「ずっと、浮かない顔をしてるだろう。何かあったのか?」

「……!」


 大きな手に頬を包まれ、目を見開いた。

 気を付けていたつもりやったのに。宏兄、気づいてたんや。

 ぼくは、慌てて起き上がり、頭を振る。


「ううん! 何でもないねんっ」

「本当か? 具合が悪いなら……」

「大丈夫っ。ただ、ちょっと緊張してるだけ……!」


 心配そうな宏兄に、にっこりと笑って見せる。


――陽平のことで落ち込んでた、なんて……宏兄に絶対、ばれたくない。


 なんとか、明日のことで緊張してたってことで、ごり押さなくっちゃ。


「どきどきして、肩に力が入っちゃって」


 さも凝っている風に、肩をとんとん叩いて見せると、宏兄は目を細めた。


「そうだったか……成、ありがとうな」

「わっ」


 ひょいと抱え上げられて、宏兄の足の間に座らされてしまった。

 ふわりと漂う森の香りに、どきりとする。


「あっ、えっ。宏兄?」

「リラックス出来るように、手伝わせてくれ」


 宏兄が、にっこり笑った。






「……あっ!」


 突然、宏兄の指が深くに入って、ぼくは声を上げた。きもちよくて、体が逃げそうになる。


「ほら、成。大人しくしなさい」

「だって……ひゃっ!?」


 宏兄はぼくの胸に手を当てて、ぐっと後ろに引き寄せた。その拍子に……もっと奥まで押されて、変な声が出てしまう。

 恥ずかしくなって、背後を睨んだ。


「……もうっ、宏兄! そこばっかりダメっ」

「そうか? じゃあ、こっちから攻めようかな」

「えっ……あはははっ! 脇はいやー!」


 ふにふに、と脇を揉まれて、ぼくは笑い転げてしまう。宏兄も笑って、ぼくを抱きしめた。低い声が、悪戯っぽく囁く。


「はい、大人しく寝る。マッサージの効果が薄れるだろ?」

「……う。はぁい」

 

 ぼくは観念して、ベッドに俯せた。腰から背中を優しく擦られる。


「ふぁ……」


 心地よくて、ため息が漏れる。


「けっこう、凝ってるなあ」

「……そう?」

「うん……いつも頑張ってくれてるもんな」

「宏兄……」


 優しい声に、胸がじんと熱くなる。

 大きな手に肩を包まれて、丁寧に指圧される。指で押されたところから、心地よさが広がった。


――宏兄の手、あったかい……優しい。


 穏やかな安らぎに、目を閉じた。

 体だけじゃなくて、心までほぐれていくみたい。丁寧なマッサージに、体がマットに溶け出してくような気がした。




「――はい、おしまい」


 仕上げに、ぽんと両腕を叩かれて、手が離れた。ぼくは、夢見心地から覚めて、体を起こす。


「わっ……すごく軽い。ありがとう、宏兄っ」


 体がふわふわと軽くて、感激しちゃう。にっこりすると、宏兄は満足そうな笑みを浮かべていた。


「良かった」

「えへ……宏兄、ぼくもお返しするっ」


 こんないい気分、宏兄にも味わってもらわなきゃ。

 ぼくは意気込んで、大きな手を引いて、横になるように促した。


「ありがとな。気持ちだけ貰っとく」

「そんな。遠慮なんて……」


 きょとんとするぼくに、宏兄は苦笑する。


「いや。お前に触られたら、その気になっちまいそうで」

「……えっ!?」


 あけすけな言葉に、頬が熱る。宏兄は「はは」と笑いながら、ぼくの頭を撫でた。


「そういうわけだから、寝ようか」

「……っ」


 ぼくは、穏やかな笑顔を見上げた。深い優しさがせつなくて、胸がきゅっと痛くなる。

 

――優しい宏兄。いつも、ぼくを気遣ってくれて……


 何か役に立ちたいと、強く思った。ぼくは、宏兄の手を握る。


「成?」

「あの……っいいよ。ぼく、大丈夫」

「……!」


 大きな手を胸元に導くと、宏兄の目が僅かに見開かれる。どきどきと早鐘をうつ心臓が、宏兄の手に当たってる気がする。


「成、お前……」

「もう、怖くないから……」


 勇気を出さなくちゃ。――ぼくは、宏兄の奥さんなんやから……! 

 ぼくは、パジャマのボタンに指をかけた。


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