第134話【SIDE:晶】
翌朝、陽平を起こさないうちに、俺はマンションを出た。
……玄関が酷い有様だったけど、知らんふりをする。そもそも、あんなとこで盛ったあいつのせいだし。
「……ふあ」
まだ、明け始めたばかりの空の下、あくびを噛み殺しながら歩く。
連日の無茶のせいで、腰が死ぬほどだるい。ただでさえ、帰るのに気が重い家だってのもあって、ますます足取りは重くなる。
――まあ、帰らねえわけに、いかねえけどさ……
ポケットの上から、スマホに触れる。
昨夜のメッセージの差出人が「帰ってこい」と言ったのだから。
「返事……既読つかなかったけど、いるのかな」
今から帰る――便宜上、”俺の家”と呼ぶべき場所の、主。
俺の婚約者の顔を浮かべると、胸が重くふさがる。やっと、煩い実家を出られると思ったのに……とことん、俺には自由ってもんがないらしい。
『なら、せめて一緒に住みましょう』
大学に進学する条件として、始まった同居だった。
仕事で忙しい分、少しでもそばに居られるように――とか、なんとか言っていたけれど。本音は、俺がどこかのアルファと間違いを犯さないように、監視したいんだろう。
――あの人にとって、俺は血筋の良いオメガってだけなんだ。
それでも、あの人のメンツのために婚家の送迎車を使う。彼が呼べば、すぐにあの家に帰る。
それが、オメガとして俺に許された自由への「義務」って奴だから。
あの人の家は、大学から二駅ほど離れた街に建っている。
俺の進学と同時期に建ったその家には、最新のセキュリティシステムが備わっていた。外が見えないほどの高い塀や、堅固な門は牢屋みたいだ。実家のセキュリティに引けを取らないそれは――聞くところによると、俺の父がいくらか支援したらしい。
それを知ったとき、俺は乾いた笑いが零れた。
――アホくさ。アルファって、オメガの「腹」を守らせることにばっか執心して。
父って人は、ひと言目も五言めも、「体に気をつけろ」しか言わない。
蓑崎家の為になる相手の子を、無事に産むことだけを心配しているから。
俺は……どれだけ無理をさせられても、父の「息子」でいさせてくれるなら、それでよかったのに。
「ただいま、帰りました……」
セキュリティを解除し家の中に入ると、しんと静まり返っていた。訝しく思いながら、磨き抜かれた廊下を進むと――空っぽのダイニングに行き当たる。
「……いないんですか?」
あの人の姿は、ない。
ただ、ダイニングのテーブルに、書き置きがある。手にとって見れば……「急な仕事が入った」とのことだった。
「……なんだよ。折角帰ってきたのに」
少しでも顔を見たいから、とメッセージを送って来ておいて。結局、仕事優先なんじゃないか。
――俺の都合なんか、知ったこっちゃないんだ? アルファはこれだから……
倦んだ気持で、冷蔵庫を開ける。すると……そこには、ラップの掛かった朝食が入っていた。
「……あ」
思わず、目を見開く。
冷えた皿を取り出せば、ハムエッグとトマトサラダらしかった。どっちも、家政婦が作ったにしては不格好で……恐らくあの人の手製だろう。
『朝食を用意したので、よければ食べて下さいね。体を労ってください』
冷蔵庫の湿気でしんなりしたメモ用紙に、ひどい癖字が躍っている。
――忙しいのに、また俺のメシを作っていったんだ……
少し焦げたハムと、不器用に千切られたレタスに、不慣れな手つきが感じられる。
俺は、震える手でメモを握りつぶした。
「……っ」
どうせ、あの人は自分の子供を産む体を、粗末にしたくは無いだけだ。父と同じで……
そう、わかってるのに。
「……っ、馬鹿みてぇ」
こんなことしないで欲しい。
俺の体にしか、関心などないくせに……優しいフリをして、心を掻き乱すのは。
――一体、何様なんだよ……!
我が身を抱き、キッチンの床にへたり込む。
こんなことに簡単に騙されて、適当に熱くなる体が疎ましい。
「……はは……」
じくじくと熱く潤む下腹に、笑いが漏れた。
自分も、アルファの関心を求めるオメガなんだと思い知らされて。
――成己くんみたいなら、良かった。
アルファを求め、素直に自分を肯定できるオメガ。
あんな風に生まれていれば、どれだけ幸せだっただろう?
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