第130話【SIDE:陽平】
「じゃ、先に帰ってもいいから」
センターの看護師に案内され、ロビーを出て行く晶は、まるで可愛くないことを言う。俺はひらりと手を振って、ロビーのソファに腰を下ろした。
試験勉強でもして暇をつぶしていようと、バッグからタブレットを取り出す。
「……」
しかし――どうにも集中できない。俺はタブレットを仕舞うと、ソファから立ち上がった。
「……なんか飲むか」
とは言ったものの、喫茶室に向かう気にもなれず、ふらふらと鏡のように磨かれた廊下を歩く。
センターの内装は真っ白で、目にまぶしいほどに明るく、清潔だ。真っ白い制服を着た職員たちが、静かに業務を行っている以外、人はいない。
――あいかわらず、余所余所しい場所だな。
内心で独り言ち、足の向く先任せに歩いていると――少し雰囲気の違う区画に出る。
壁紙の色が、目にまぶしい白から、やわらかなクリーム色に変わっている。開放的な大きな窓からは、緑の鮮やかな庭が見えた。
「あ……!」
俺は、僅かに息を飲む。
――ここは……
この区画は――一度だけ、来たことがあった。華奢な手に引っ張られるようにして、歩んだ記憶が甦ってくる。
その記憶が確かなら、長い廊下はこの先でコの字に折れ、その奥に「居住区」があるはずだ。
『陽平、こっちやで』
振り返った成己の、わくわくした笑顔を思い出す。
婚約したばかりの頃――自分の住む部屋を見て欲しいと、連れてこられたんだった。成己は弾む鞠のような足取りで、出会う職員みなに、俺のことを紹介していた。
『ぼくの親友で、婚約者の城山陽平さん!』
いちいち面倒くさい奴だと思いつつ……はしゃいでいる成己を見るのは悪くなかった。
「……」
ぴた、と歩みを止める。
……この廊下の先には、成己の居住区がある。行くところのないあいつは、十中八九ここにいるはずで……あと一日で、ここが終の棲家になる。
あいつの夢は、潰える。
「……っ」
婚約できて、あれほど喜んでいた成己。逆に、今は……どんな気分でいるかは、考えなくてもわかることだった。
――自業自得だ。あいつは、晶を傷つけようとしていたんだからな。
それに、あいつは家族が欲しかっただけだ。
晶と違って、俺じゃなくても良かったはずだ。だから、俺には関係ない――そう思って、心の靄を払おうとするのに。
『陽平!』
成己の笑顔を思い出すと、俺の足は……勝手に、居住区に向かって歩みだしていた。――会わなければならない、そんな使命感が胸の奥に揺れている。
「――お待ちください!」
「!」
しかし、少しも進まないうちに呼び止められる。
振り返ると、白い制服を纏った職員と、警備員が立っていた。二人は揃って険しい顔をして、近づいてくる。
「城山様。それから先は、関係者以外は立ち入り禁止となっております。どうか、ご容赦くださいませ!」
職員の声は、警戒心をあらわに強張っていた。その目は、禁足地に足を踏み入れようとする、無知な暴漢を見るようだった。
――はあ? この俺を、変質者みたいに扱いやがって……!
無礼な態度に、頭に血が上った。――俺は、この先に行ったことがある。お前なんかに口出しされなくとも、居住区であることくらい、知ってるんだ。
そう言いかけて……すんでで口を噤む。確かに、今の俺は成己と関係はないのだと、思い出して。
だったら、こいつらを押しのけて行ったとして、この先のセキュリティゲートに阻まれる。
「……」
そう気づいて、俺はにわかに気力が萎えた。
――馬鹿馬鹿しい。なんで、俺が成己に会いに行かなきゃなんねーんだ。
無言で踵を返し、来た道を引き返す。
その間も、職員達の刺すような視線を背に感じていて、苛立ちが募る。
「チッ」
なにがセンター職員だ。甘い環境で、仕事しやがって。
うちを含む――数多の企業から高い上納金をせしめておいて、この接客レベルなんてな。
刺々しい気持ちでロビーに戻った俺は、唐突に聞こえてきた聞き覚えのある声に、目を見開いた。
「――皆さん、お仕事お疲れさまです。つまらないものですが」
「まあ、野江様! いつもお心遣い、ありがとうございます」
事務室のカウンターに座る職員に、にこやかに手土産を渡している男。
並外れて大柄なそいつは、しょぼい服装に身を包んでいても、かえって威風が漲っている。――そういうところも、気に食わなかった。
「いやいや。成のことで、お世話になりますからね」
あの男が、成己のことを口にした途端、項の毛がぞっと逆立つような不快に見舞われる。
――あの野郎。何の力もないくせに、また成己の周りをうろうろしてやがるのか。
野江家の次男――たいした経済力もない、チャランポランのくせに!
俺は怒りのままに歩みを進め、男の背に怒鳴りつけた。
「――おい!」
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