第48話

「ありがとうございましたっ」

 

 マンションまで送り届けてもらって、ぼくは頭を下げた。小川さんはにこやかに会釈し、車を発進させる。車が見えなくなるまで見送って――ぼくは、深くため息をついた。

 

「はぁ~……大ごとになっちゃったなぁ」

 

 いつものケンカのはずが、陽平は実家に戻っちゃうし、お義母さんには注意されちゃうし。もう、ふんだりけったりです……!

 なんとなく、まだ部屋に入る気分になれなくて、敷地内の公園のベンチに座った。鞄を膝に置いて、一息つく。

 

「……ふぅ」

 

 真昼の空に、白い雲が流れてくのが見えた。空調の効いた車内にいたからか、眩い日差しに肌が温められて、心地良い。

 

 ――陽平、外せへん用事ってなんなんやろう……

 

 なんて、考えてはみるものの。「蓑崎さんの用事やろな」って、あたりをつけてる自分がいる。また、二人で一緒にいるんやろなー、とか。想像で落ち込んでも、仕方ないんやけど。

 何度目かのため息をついたとき、鞄の中でスマホが震えた。見てみると――画面には宏兄の名前。


「もしもし、宏兄?」

『成。いま、話して大丈夫か』

「うん。さっき帰ってきたところで……あの、宏兄。ごめんね。いきなり、バイト行けなくなって……」 


 突然、陽平のうちに行くことになって、宏兄に迷惑をかけてしまった。

 申し訳なくてしょんぼりしていると、受話器ごしに低い笑い声が聞こえてくる。


『馬鹿だなあ。気にするな、そんなこと……急用くらい誰でもあるよ』

「宏兄……ありがとう」


 穏やかな声に、じんわりと胸が熱くなる。不思議なんやけど、今日はじめて……ほっとしたような気がした。


『ところで、どうだった。城山くんとの話し合い、うまく行ったのか?』

「ううん。それがねぇ……」


 ぼくは、陽平がいなかったことを話した。お宅まで行って空振りは、ちょっと情けなかったけど……胸に抱えてるんが、しんどくて。


『……そうだったのか。そりゃ、残念だったよな』


 宏兄は、しみじみと労ってくれた。ぼくは、ほほ笑む。


「えへ。また今度、訪ね直してみるつもり。ケンカしてたくないし……」

『偉いなあ、成は。あんまり無理するなよ?』

「うんっ」


 笑顔で頷いたとき――受話器ごしに、「店長~」と賑やかな声が聞こえてきた。


「あっ、ごめんね、宏兄……! お店の時間やのに話し込んじゃって」

『何言ってんだ。俺だって癒しがほしいよ』


 宏兄が、大らかに笑う。その背後から、「成ちゃーん!」と元気な声が聞こえてきた。賑やかで楽しそうや。思わず、笑みをこぼすと――宏兄が言う。


『なあ、成。――良かったら、店に来ないか?』

「えっ?」


 思いがけない誘いに、目を丸くした。


『実はな。本業の都合で、明日からしばらく店を閉めるつもりなんだよ。……それで、常連さんたちが、成に会いたがっちまってて』

「えっ」


 ぱっ、と胸に火が灯る。

 宏兄が、本業に集中するっていうのは、また書き始める合図。ファンとして、素直に嬉しい。

 それに、お店にも行きたい。宏兄と話して、ますます一人で居たくない気分やし。


『あ、もちろん無理にとは……』


 気づかう宏兄の言葉に、ぼくはかぶせた。


「ううん、行きたいっ!」

『え、いいのか?』

「うん。ぼくも、常連さんたちに会いたいもん。……でも、いいの?」

『はは、こっちの台詞だろ。じゃあ、すぐに迎えに行くからなー』


 楽しそうな宏兄に、ぼくも自然に笑ってた。







「ああ、成ちゃん。おじさんを忘れないでね」

「勿論ですっ。杉田さんも、甘いもの食べ過ぎちゃだめですよ」 

「店長、はやいとこ、再開してくれよな! ここは、俺たちのたまり場なんだから」

「はは。善処しますね」


 閉店時間を過ぎたころ。杉田さんや、他の常連さんたちが、名残惜しそうにお店を出ていく。


「ありがとうございました!」


 ぼくと宏兄は、笑顔で頭を下げた。賑やかな声が遠ざかり、ぼく達はそっと顔を見合わせる。


「おつかれ、成。じいちゃん達、ハイテンションで大変だったろ」

「ううん! 凄く楽しかった。ありがとう、宏兄」


 忙しく働いて、お客さんたちと話してたら、すっかりリフレッシュ出来ちゃった。ここのお客さんは、みんなニコニコしてて……それにつられちゃうのかも。

 宏兄は笑って、ぼくの頭を撫でる。


「こちらこそ」

「えへ……」


 大らかな笑顔に、ぼくもほほ笑みかえす。穏やかな空気が流れた。


「……腹減ったなあ。ひとまず掃除は置いといて、なんか食べようか」

「わあ、賛成っ」


 のんびりとお店の中へ入り、エプロンを外した。宏兄は、カウンターに入って、食器を重ねてる。

 ぼくはエプロンを休憩室の椅子にかけ、ついでにスマホを出して、連絡を確認した。


「……陽平からの連絡はなし……」


 頑固な陽平のことやから、予想はしてた。あっちも、そう簡単に折れるつもりはないみたい。

 唇を尖らせつつ、スマホを置こうとしたとき――ぴこん、と通知音が鳴った。


「え?」


 見れば、メッセージの受信。――送信者は蓑崎さんやった。そうしてるうちにも、ぴこん、ぴこんと通知音が続く。


「……」


 ものすごーく、いやな予感がしたけれど。意を決し、メッセージを開いた。

 ――すると。


『見てみて、連荘中~。陽平ママも、強すぎ』


 そんなメッセージと一緒に、蓑崎さんと陽平と、お義母さんの三人で、麻雀の卓を囲んでいる写真が添付されていた。

 場所は……一度だけお邪魔したことがある、城山家のプレイルームみたい。


「何やってんの、これ……!」


 思わず、スマホを握りしめる。

 みんな楽しそうで、ぐっと息が詰まった。陽平のやつ、ぼくと喧嘩してるのに、この笑顔ですか? 


――ていうか、やっぱり蓑崎さんの用事やったんやん!


 予想していたとはいえ、悔しい。ムカムカと胸が炙られちゃう。

 せやのに、メッセージが届いて、何度も通知音を鳴らす。


 ぴこん。


『陽平のやつ。今日、調子いいからって勝ち誇りウザ~』


 ぴこん。


『成己くん、なんで帰っちゃったの? どうせ、一人ですることないでしょ?』


 ぴこん。


『まあ、義実家ってウザいのはわかるけど。陽平ママは良い人だよ。成己くん、打ち解けなきゃ』


 ぴこん。


『それとも……店長さんと、また?』



「……!」


 通知が鳴るたび、顔が強張ってくのがわかる。


「なんで、こんなこと言うてくるん? なんなん、この人……もう、わけわからへん……」


 混乱が極まって、目の奥でバチッと火花が散る。

 次の瞬間――くら、と目眩がおこった。立っていられなくて、その場にしゃがみ込む。


――あ、やばっ……


 体が机にぶつかって、大きな音がした。


「成?」


 宏兄が、入り口にひょっこり顔を出し――ぼくを見て、顔色を失った。


「成! ――どうした!?」

「……大丈夫。ちょっとだけ、立ちくらみ、が……」


 椅子にしがみついて、丸くなるぼくの背を、宏兄が支えてくれる。ぼくは、キーンとする耳を押さえて、なんとか笑った。


「成、かわいそうに……疲れたんだな。ごめんな」


 宏兄は、申し訳なさそうに眉を下げていて。何度も、謝ってくれた。違うのに、宏兄のせいじゃないのに――申し訳なくて、涙が滲む。


「ごめ……っ」

「いいんだ。休もう……なっ?」


 宏兄はぼくの背に腕を回し、軽々と抱えあげる。揺らさないように、大切にソファまで運ばれた。

 「大丈夫」って言いたいのに。なかなか目眩が収まらなくて――


「宏にい……」


 ただ、宏兄のシャツを縋るように掴んでいた。



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