第4話

「……あー、あかん! ため息ばっかり。気持ち切り替えよっ」

 

 ぱちん、と両頬を叩き、家事に精を出す。洗濯物を干し、掃除をして、丸サボテンのサボちゃんに水をあげる。

 

「サボちゃーん、たくさん飲むんやでぇ」

 

 話しかけながら、お水を上げると心が凪いでいく。

 サボちゃんはセンターから一緒に来た、ぼくの相棒。

 一昨年、センターを出ることになったとき、仲の良い看護師さんが「餞別に」って譲ってくれたんだ。

 やから、サボちゃんと向き合っていると、優しい先生たちのことを思い出す。

 

「……みんな、陽平と暮らすって言うたらいっぱい喜んでくれたなぁ」

 

 家族を持つっていうぼくの夢を、センターの先生たちは知ってくれていたから。




 

 ぼくの婚約者――城山陽平しろやま・ようへいとは、高校一年生のときに出会った。


「なあ、それ。桜庭先生のデビュー作だろ?」

「えっ?」


 図書委員の仕事のかたわら、お気に入りの本を読んでいたぼくに、陽平が声をかけてきたんが始まりやった。 

 陽平は、城山グループっていう大きな会社の御曹司で、アルファ。オメガと言っても、これと言って目立ったところのないぼくとは、同級生って以外に、接点は無かったと思う。


「桜庭先生は「全章シリーズ」が売れてるけど、初期作もいいんだよな。児童書で、ハードボイルドと違いすぎるから、読んでる奴あんまいねえけどさ」

「ええよねっ! とくに、この「さぼてん堂シリーズ」、温かくてじーんとくるってゆうか。親友のヘアピンの話はもう、大号泣」

「わかるわー! 桜庭はトリックもいいけど、真骨頂は人間ドラマなんだよ」


 ただ、ぼくらは揃って、推理小説家・桜庭宏樹先生の大ファンやった。

 それで意気投合して、友達になったんや。


春日かすが、新刊読んだか?」

「もちろん! 犯人だれやと思う?」

「俺はなあ、義妹が怪しいと――」


 最初は、顔合わすたび本の話ばっかしてて。


「え! 城山くん、センター来たこと無いん? めずらしー」

「両親が恋愛結婚で、好きなやつと結婚しろって方針でな。だから許嫁もいねえ」

「へーっ、素敵なご両親やなあ! あ、でも、いっぺん遊びにおいでよ。ジュース飲み放題やで」

「ぷっ。ガキくせー奴」


 次第になんもなくても一緒におるようになって……

 

「――なあ、成己。お前、俺の婚約者にならねぇ?」

 

 高一の終わりに、そう言ってくれた時は度肝を抜かれた。

 だって、フリーのアルファである陽平は、当然ながらモテていて、そのくせ、誰とも付き合う様子はなかったし。ぼくへの態度にも、熱っぽいものを感じたことは無かったから。

 

「えっ……ぼく? なんで!?」


 放課後の、二人っきりの教室で。思わず聞き返したぼくに、陽平はそっぽを向いて言った。


「んー……大した理由はねえけどな。俺、お前となら上手くやってけんじゃねえかって、なんとなく」

 

 夕焼けに照らされた横顔が、めずらしく照れているように見えて……ぼくは、急にどきまぎしたんや。

 陽平は、少しぶっきらぼうだけど、真っすぐないい奴で。一緒に居て楽しい、大切な友達だった。

 だから――ぼくも、陽平とならと思ったんだ。

 

「嬉しい……! ぼくも陽平とやったら、ずっと一緒に居たい」


 差しだされた手を握ると、陽平は「そっか」って頷いて、ちょっと笑って。

 それから、ぼくに触れるだけのキスをした。


「!」

「これからよろしく」


 キスしたくせに、ぶっきらぼうな声がおかしくて、ぼくは思わず笑ってしもたんや。

 ときめきとか、よくわからんけど……ぼくは陽平が好きやなあ、と思って。 



 婚約してからも、仲良くやっていたと思う。

 そりゃ、ときどき喧嘩もしたけど、お互いに言いたいことを言うほうだから、すぐに仲直りしたし。

 陽平が大学に上がるとき、家を出るからと――このマンションの鍵を渡してくれた時は、天にも昇る気持ちやった。


「……うん」


 あのときの嬉しさ、忘れたらあかんよね。

 サボちゃんの棘をそーっとなでながら、ぼくは頷く。

 

「それに、あとひと月もしたら、家族になるんやしっ。幼馴染と再会してはしゃいどるくらい、大目に見たらなあかんよな」

 

 一月後の七月八日に、ぼくはニ十歳の誕生日を迎える。

 正式に、陽平とも籍を入れて――赤ちゃんを産む準備をすると、城山のご両親とも取り決められていた。

 

――ぼく、そうしたらお母さんになるんや。旦那さんの友達付き合いくらいで、狼狽えんようにならな。

 

 ぼくは不安を追いやり、むんと気合を入れなおした。

 

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