第2話 中編
「えーと、あとはこの宝石箱を……あ、ちょっと待って。これは置いていきましょう」
お婆様の屋敷に向かうため、メイドのマリーに愛用しているものだけトランクに詰め込んでもらっていたが、宝石箱から子供向けの古いブローチを取り出した。
婚約したばかりの頃、ジェローム様がプレゼントしてくれた物だ。
「あの頃のままのジェローム様だったら……」
顔を真っ赤にしながら両手でブローチを差し出しす姿を思い出し、自嘲的な笑みを浮かべて机の上に置いた。
以前からミシェルがジェローム様に色目を使っているのは知っていた、それでもジェローム様が私に対して誠実であれば結婚するつもりだったのだ。
いつからか私に会った後にミシェルと庭を歩いていたり、私が出かけている時にも家に遊びに来ている事があった。
あの時に
恋はしていなくとも、情が全くなかったわけではない。
「何もかも今更よね」
机の引き出しから魔力を
お婆様から急ぎの報せのためにと渡されていたもので、手紙を書くとお婆様の元へ鳥となって飛んで行くのだ。
簡単な状況説明と、今日から侯爵家でお世話になるという旨を書き綴って魔力を込めると、手紙が鳥の姿に変わって窓から飛び出して行った。
今は社交シーズン直前だから、お婆様も王都の屋敷に来ていると数日前に手紙が届いた。
これがあとひと月早ければ、馬車で一週間かかる領地まで一人旅するところだった。
「アニエスお嬢様、本当に行ってしまわれるのですか……」
荷造りを終わらせたマリーが悲しげに私を見上げる。
私がいなくなったらお義母様とミシェルが好き放題しそうだし、特に私を慕ってくれていたマリーはきつく当たられるだろう。
「マリー、もし耐えられなかったら侯爵邸にいらっしゃい。話を通しておくから」
「アニエスお嬢様……!」
今すぐついてきそうなマリーを落ち着かせ、玄関に向かうとお父様と家令が待ち構えていた。
「今までお世話になりました。では……」
「ま、待て! 考え直さないか!? 婚約は解消していい! 他の婿を探そうじゃないか!」
どうやら援助を打ち切られるのを回避すべく、私を引き止めるために待ち構えていたらしい。
これまで完全に私に無関心だったくせに、厚顔無恥とはお父様のためにある言葉じゃないだろうか。
「元婚約者とこれからも顔を合わせて生活しろとでも? しかも婚姻前に純潔を散らすような妹と暮らしていては、私の体面にも傷が付きますもの。ミシェルを勘当して追い出すなんてお父様にはできないでしょう?」
「ぐ……、いや、だが……」
「当たり前でしょう!」
葛藤しているお父様の言葉を遮るように、大きな声を出したのはお義母様。
その後ろには私を睨みつけるミシェルもいる、どうやらお父様の声を聞いて駆けつけたのだろう。
「ふふ、どうやらここまでのようですね、お父様?」
「早く出て行きなさいよ! ほら! 私がドアを開けてあげるわ!」
ミシェルが玄関のドアを開けた瞬間、一羽の鳥が飛び込んできた。
「キャッ! 何よこの鳥!?」
その鳥は私の手の上で一枚の便箋へと変化した、これはお婆様からの手紙だ。
その内容は今すぐ来ても大丈夫という事、そして……。
「失礼。アニエスを迎えに来たのだが……。アニエス!」
開いた玄関から現れたのは、祖母の兄の孫、つまりは私にとって
二歳年下で、幼い時から私を実の姉のように慕ってくれているのだが、私を見つけた途端に大輪の薔薇のような笑顔を見せた。
お婆様のからの手紙の続きには、遊びに来ていたヴィクトルが話を聞いた途端に迎えに行くと言って飛び出したと書かれていたのだ。
そのヴィクトルの登場に目の色を変えたのはミシェル、先ほどまで私を見ていた憎々し気な視線とは一転、頬を染めてチラチラとヴィクトルを見ている。
「お姉さま……、その方はもしかしてヴィクトル様では……? お姉さまとお知り合いなの?」
私に向けてこんな甘ったるい声を出したのは初めてではないだろうか。
見目麗しく人気のあるヴィクトルとは、面倒を避けるために母の実家でしか言葉を交わしていなかったのでミシェルは親戚とは知らなかったのだが……姉の婚約者を寝取ったばかりだというのに、他の男性に色目を使うなんてどういう神経をしているのだろう。
もうこの家に戻って来ることはないだろうし、一度くらい仕返しをしても許されるだろう。
ちょうど柱の陰に騒ぎを聞きつけて来たのであろう、ジェローム様もいる事だし。
「あら、そこにいるジェローム様と契りを交わしたばかりだというのに、他の男性を気に掛けるだなんてはしたなくてよ?」
「…………ッ!! 酷いわお姉様!」
顔を真っ赤にして悲鳴のような声を上げるミシェル。
その言葉に思わず瞬きを繰り返してしまった。
「それは姉の婚約者と不貞を働くより、私が事実を口にした方が酷いと思っているのかしら?」
「キィィ~~ッ!!」
「「ミシェル!?」」
真顔で質問すると、ミシェルは奇声を上げて失神してしまった。
すぐに駆け寄った両親と違い、ジェローム様は柱の陰から出てこない、恐らくヴィクトルに気おくれしているのだろう。
「お取込み中のようだから、僕達はそろそろ失礼しようか。ほら、ちょうど迎えの馬車も到着したみたいだし」
門の方を見ると、侯爵家の家紋の入った馬車が到着したところだった。
馬が一頭別にいるところを見ると、どうやらヴィクトルは単騎で飛び出してきたようだ。
「アニエスお嬢様、どうかご自愛下さいね」
馬車まで荷物を運んでくれたマリーが瞳をうるませながら言った。
「マリー……」
「離れがたいなら連れて行けばいいよ。大おば様がどうせすぐに何人か解雇しないといけなくなるだろうから、気に入った使用人を連れてきてもいいってさ。手続きは後でどうとでもしてくれるって言ってたよ」
見つめ合っていた私達の間に顔を出したヴィクトルの言葉で、私はマリーの手を取る。
「だったら私について来てくれないかしら? 荷物は後で取に来ればいいから、今から一緒に来てちょうだい、お婆様に紹介するわ」
「はい……!」
こうして私とマリーは馬車に乗り込み、ヴィクトルの先導でお婆様の待つ侯爵邸へと向かった。
ミシェルが倒れたせいで、私達を見送ったのはこちらに頭を下げる家令だけだったけれど。
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