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雲辺寺へ向かう途中の佐野道は、二キロの道のりで四百メートルの高さを登る、いわゆる遍路ころがしだ。そのため、今日は朝から意気込んでいたのだが、実際に歩いてみると私には少し疲れるハイキングコース程度の道に感じられ、何とも拍子抜けだった。不思議に思ったが、雲辺寺に着いてから時計に目をやると、ここまで四時間に近い時間をかけてのんびりと歩いていたのだった。確かにこのペースで歩いたのなら疲れを感じるはずもない。
巨大な夫婦杉の横を通り過ぎ、完成からまだ十年という真新しい仁王門をくぐり抜けて、私は六十六番札所雲辺寺の境内に入った。ひたすら歩いてきたその足を止め、背中に背負ったリュックサックを降ろすと、その途端に先ほどまではつゆとも感じなかった寒さを感じて身震いした。それもそのはず、雲辺寺山の山頂に境内を構える雲辺寺は八十八か寺の中で標高が最も高い場所に位置しているのだ。太龍寺と同じようにロープウェイが山麓駅と山頂駅を結んでいるため、空中散歩を楽しみながら雲辺寺を訪れる参拝客も多く、境内はかなり賑わっていた。
お参りを済ませ、広い境内を少し散策していると、昨日言葉を交わしたデンマーク青年にひょっこり会った。宿泊所が近ければ一日の行程も似たようなものになるため、これは想定内の出来事である。去年の春に歩いた初めてのお遍路を思い出す
と、やはり同じ面子としょっちゅう顔を合わせていたのだった。
境内にある「おたのみなす」という茄子のオブジェを前に、これが「茄子」と「成す」の駄洒落であることを苦労しながら何とか説明し、せっかくなので連れ立って山を降りることにした。話し相手がいると、やはり道中は楽しくなるものだ。
それにしても彼、ビゴーの追いつくのが余りにも早いのを不思議に思って訳を尋ねると、今朝は途中までヒッチハイクで来たそうだ。昨日も、お遍路の一部はバスを使ったと言っていたが、まさかヒッチハイクとは少し驚きだ。
「実はこれ、二度目のヒッチハイクなんです」
札所と札所の距離が長い高知県を歩いていたある日のこと、太陽がすでに傾き始めていたというのにその日の宿がまだ決まらず、ビゴーは途方に暮れたらしい。そんな時にヒッチハイクを試みると、ようやく一台の車が止まってくれた。ビゴーを車に乗せてくれたのは非番の警察官だった。
「怪しい外国人が変なことをしないようにと思って乗せてくれたのかもよ」
私がそう言うと、ビゴーは「たぶんね」と言って笑い声をあげた。
遍路ころがしの登り坂よりも、私には下り坂の方が辛かった。私の体感では登りよりも傾斜が急なのだ。途中からは坂が階段に変わり、私が最も苦手にしているタイプの遍路道になった。もっとも、歩きづらさを感じているのはビゴーも同じらしく、二人とも足元に集中して口数が減り気味だ。やがて自然路がアスファルトの舗装路に変わると再びおしゃべりが復活した。
六十七番札所大興寺は境内の庭園が大層美しいお寺だった。手水場の向かいに直立する三鈷の松も立派で、ビゴーはミニチュアを持ち帰りたいなどと無邪気に言っていた。普通、松の葉先は二本に分かれているが、三鈷の松は枝分かれが三本になる。四葉のクローバーと同じように、三鈷の松は縁起が良いとされている。
鐘楼の鐘を一回撞いてから本堂と大師堂でお参りを済ませ、後は墨書と朱印を頂くだけと思い納経所へ向かおうとすると、
「あれ? 大師堂がもう一つあるな」
実は大興寺には、弘法大師を祀る大師堂とは別に、天台宗第三祖の智顗(ちぎ)を祀る天台大師堂があるのだ。
「本寺院は、同じ境内で真言天台二宗が兼学したという、珍しい来歴を持っています」
納経所でこう教えて頂いた。両大師堂にある弘法大師坐像と天台大師坐像はどちらも同じ年に製作されたことが近年の調査で明らかになったそうだ。
美しい日本庭園を愛で、色んな話を聞き、すっかり満足して私たちは境内を後にした。ここから次の札所までは約九キロ、二時間ちょっとの道のりである。
観音寺市に入り、県道六号線が遍路道となり交通量も増えた。歩道が狭くなり、歩行者の存在を全く忘れ去っているかのような道幅しかない個所もしばしばある。歩き遍路にとって優しい道とは言えない。いよいよ札所が近づいた辺りで踏切を渡ったが、これは昨日、私が伊予三島まで乗ってきたJR予讃線の線路だ。財田川にかかる三架橋を渡ると札所はもう目と鼻の先である。
地図で札所の場所を確かめた時、私はてっきり、六十八番札所神恵院と六十九番札所観音寺は道を挟んで向かい合っているものだとばかり思い込んでいた。地図上ではこの二寺が上下に並んでいたからだ。
ところが実際にその場所へ着くと、二つの札所が一つの境内を共有しているのだった。山門にも「七宝山 観音寺 神恵院」と両者の名前が併記されている。納経所も共有なので、ここでは納経帳のページを一度に二ページ埋めることになる。
しかし、本堂と大師堂の雰囲気は神恵院と観音寺とで全く違っていた。神恵院の本堂は何とも無機質なコンクリート製の箱型建物の奥に隠されていて、何の目的でこんな建物を作ってしまったのかが私には謎である。大師堂は普通なのだが、本堂の印象が強いせいで、質素な大師堂の存在はぼやけてしまう。
それとは対照的に、観音寺の本堂と大師堂は全体的に赤色が目を引く美しい堂宇だった。ペンキを塗りたくったようなはっきりとした赤色ではなくくすんだ色合いで、しかも柱の所々で色が剥げかけているのだが、そこにまた趣がある。
境内を改めてぐるりと見渡してみて、まるで両寺がわざと違いを際立たせようとしているのではないかと、私は訝しんだ。
私たちが揃って感嘆の声を上げたのは境内の片隅に生えた巨大な楠だ。より正確には、その巨木の根っこである。地上で大きく波打つ根は巨木を支えるに余りあるように見えた。この根こそが生命力の源なのだと思えた。
「これは、すごいよ……」
ビゴーがようやくそれだけを口にした。
「いやあ、一体何百年前からあるんだろうね」
樹齢の見当すら付かず、私はそう答えた。大興寺の三鈷の松とは違い、ビゴーもこれのミニチュアが欲しいとは言わなかった。
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