第24話


「ブチ様-。ブチ様どこにいらっしゃるのですか?いたら、返事をしてくださいませ。ブチ様ー!」


 ブチ様だけ何故か部屋の中にいない。

 アンナライラ嬢が来るまでは確かに一緒にいたのに。

 一緒にシャワーを浴びたのに。ブチ様、私に触られるの嫌で気絶しちゃったけど。


「ブチ様。いらっしゃいませんか-?」


 ユリアさんはブチ様が目を覚ましたと言っていた。まさか、ユリアさんがブチ様を安全な場所に連れて行ったのだろうか。

 ああ、でも。アンナライラ嬢にびっくりしてどこかに隠れてしまっているのだろうか。

 ブチ様はこの保護猫施設で唯一懐いてくれなかった猫様だ。

 もしかしたら、私のことも怖がっているのかもしれない。だから、どこかに隠れてしまっているのかも。

 猫様は本気で隠れるとどこに隠れているのかわからないほど、かくれんぼの天才だ。


「ブチ様……。無事ですよね……。」


 きっとブチ様のことだから無事でいるんだと思う。

 だからきっと隠れているだけなんだと思う。

 そうは思ってもブチ様のことが心配で心配でたまらない。

 やっぱり姿を確認しないことには安心できない。なんたってアンナライラ嬢が保護猫施設に乗り込んできた後なんだもの。

 もしかしたら、アンナライラ嬢がなにかしたのかもしれないと思うと見つからないブチ様のことが心配で心配で堪らなくなってくる。


「ブチ様……。お返事を……。ブチ様……。」


 次第にブチ様を呼ぶ声が小さくなっていく。

 不安に揺れているのが声にも表れて、声がかすれていく。


「ブチ様……。」


「……にゃ。」


 不安で不安で胸が押し潰れそうになった頃、小さな鳴き声が聞こえた。

 他の猫様たちよりも少しだけぶさいくな鳴き声。ブチ様の鳴き声。


「ブチ様っ!?」


 ブチ様の声が聞こえたことが嬉しくて私はぱぁっと顔を上げた。そして、辺りを見回す。

 ブチ様は物陰に隠れるようにそこにいた。

 私はブチ様の元に駆け寄る。

 本来、猫様たちは急に近づくと逃げる習性があるが、ブチ様は逃げることなくその場に香箱座りをして私のことを待っていてくれた。


「ブチ様……。」


 思わず目が潤んでくる。

 ブチ様が無事だったことに、ブチ様が返事をしてくれたことに、ブチ様が私を待ってくれていたことに嬉しくて涙がこぼれ出す。


「ブチ様……。よかった……。ほんとうに、よかった……。よかったよぉ……。」


 私はブチ様に手を伸ばすと優しく抱き上げる。

 ブチ様は暴れることなく私の腕の中でじっとしていた。

 それがまた嬉しくて私の目からは後から後から涙がこぼれ出す。


「にゃあ……。」


 ブチ様は戸惑ったように鳴くと、ザラリとした小さな舌で私の涙を拭うように何度も何度も舐めた。






☆☆☆☆☆






 王城のとある一室に女性はいた。

 部屋の中にはろうそくの僅かな明かりがあるばかりで薄暗い。


「ふぅ……。あの子ったら捕まったみたいねぇ。」


 この国の国王よりも、王妃よりも豪華な部屋の中、真っ黒なドレスをまとった女性がソファーに寄りかかりながら真っ赤な飲み物の入ったワイングラスを傾ける。

 こくりっと女性の喉が鳴った。


「馬鹿な子ね。せっかくあの子に未来の王妃の座を用意したというのに、自分から壊しにいくだなんて。シルキーなんて頬っておいてユースフェルトで我慢しておけばよかったのよ。」


 どろりと曇った瞳で空を見つめる。

 女性の身体全体から黒い靄が上がり始める。


「計画が台無しだわ。」


 女性は独りごちてもう一口グラスの中身を飲む。

 どろりとした喉ごしを感じて女性はにぃっと笑った。


「せっかく作った子なのにねぇ。見目が良く、魔力が高い子を依り代にしたというのに。なんで自我なんてやっかいなもの持ってしまったのかしら。」


 女性は過去に思いを馳せる。

 この国を牛耳るために息子であるユースフェルトを王の座につかせ、その妃として傀儡の少女を用意する。すべて用意周到に準備を進めてきたのだ。

 男爵の娘を依り代にするために、わざわざ一度殺したというのに。


「まさか、シルキーに目をつけるだなんて……。とんだ失敗作だわ。」


 ワイングラスをぐいっと傾けて残りの液体を口の中に流し込む。


「ほんと、失敗作ね……。」


 何年もかけて用意したというのに。

 女性は目を伏せた。

 何年もかけて準備したものが白紙になろうとしているのだ。


「でも、今更あの子をけしかけても遅いわね。もう王も王妃もあの子の愚かさに気がついてしまった。もういくらあの子が取り繕うとも、時期王妃になることはないわね。」


 残念だわ。


 そう言って、女性は薄く笑った。

 口の端をどろりとした赤い液体が一筋こぼれ落ちる。

 ワインのような甘い芳香はない。

 生臭いそれは、女性のための若返りの秘薬。


「それに……あの子の身体はもう限界だわ。いくら私が魔力を注いでも壊れかけた身体からは魔力が漏れ出ていく。そして、もうすぐ朽ち果てる。」


 長い年月をかけて作り上げた作品なのに残念ね。と、女性はもう一度呟いた。そして、部屋の中央の陣の上に置かれている髑髏に視線を向ける。

 月明かりに照らされた髑髏の目の部分からゆっくりとしずくが音もなくすべり落ちた。

 女性の……王の妾妃であるユフェライラの真っ赤な唇が嬉しそうに弧を描いた。



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