第15話


 私は傘を勧めるギャルソンの申し出を断って、雨の街を一人、歩き出した。こんな深夜に降る激しい雨まで夕立と呼ぶのか分からないけど、これは夕立で、いつか止むことが分かっていたからだ。


 カフェのある裏通りからビルの並ぶ表通りに出た。さっきまでの閑散としていた景色とは違い人であふれていた。老若男女が歩道だけでなく車道にまで広がって一方向に歩いている。

 仕事帰りらしいビジネススーツのサラリーマン、父親に肩車された幼児とその家族、手を繋いで恥ずかしそうにしているカップル、長い帽子のコック、車いすの老人とその車いすを押す少しだけ年の若い老人、スパンコールのドレスで着飾ったドラグクイーンの集団、ピザのデリバリーアルバイト、綿あめのようなフワフワの毛の犬に引っ張られている上流マダム、僧侶の集団の向こうのローラースケートの小学生の向こうにかつてのクラスメートの姿も見える。彼や彼女達はいままでどこにいたのだろう?

 真新しい通りのビルに高層階に設置された巨大なモニター画面には興奮して上気したみんなの顔が映っている。通りは熱気に包まれていた。雨は降っていたが傘をさしている人はほとんどいない。

 広場でお祭りでもあったのだろうか?

 どこかそれほど遠くない場所からポンポンと花火が上がるような音が聞こえてきた。音の鳴った方角を見ると、夜空にゆっくり尾を引いて火の玉がいくつも落ちていくのが見えた。新しい星が生まれたような明るい光。光がゆらゆらと落ちていく間、街が昼のように明るくなる。あれは花火なんかじゃない。テレビの深夜映画で見たことがある。たぶん戦争の道具。

 歓声のようなものが上がるのを打ち消すように巨大な爆発音が轟いた。続いて複数の場所からタタタタ、タタタタという連続した銃の音が聞こえてきた。

 突然鳴り響いたサイレンの音を合図に人々はいっせいに走りだした、逃げだした。行進する人々を映していた巨大モニターはビルの狭間で戦う兵士にフォーカスを合わせ、兵士達はカメラの外の敵に向かって銃を撃ち、ロケット砲を放っていた。装甲車がビルの瓦礫を越えて進んでいく。

 そんな景色を立ち止まって見ていた私に老人がぶつかり転げた。

「ごめんなさい」

 私はすぐに身を低くして彼を助け起こした。

「大丈夫ですか?」

 老人はアスファルトでうった膝をさすりながらも困ったような、照れたような表情をして私に向かって舌を出した。そのまま私の腕を振り払って、走る人の波に合流した。私の前を過ぎる人達は怖がったり、恐れたりしていない。まるでドラッグをきめたみたいに興奮した表情のまま、走り去っていく。

 再びポンポンポンと間抜けな音がして火の玉が降ってくる。でも雨が激しくなってきてさっきほど明るくならない。

 胸を撃たれた兵士が血を噴き出しながら倒れる。助けようとした兵士も頭を撃ち抜かれてビルの壁面にトマトをぶつけたようなドロリとした大きな染みを作っている。逃げ惑う市民が動かない死体となって積み重なっている。通りの向こうのビルのモニターにも、人波に飲まれて動けなくなったADトラックの荷台にも、空を飛ぶ飛行船のモニターにも同じ映像が映っている。きっと高度二千キロかなたの人工衛星にも電波は届いている。だけどビルの向こうではガスを吹き上げただけの嘘くさい炎が上がっていて、ベニヤ板の書き割りビルが倒れてくる前にここを離れなくてはならない。キョウイチさんを助けるんだ。

 周囲に目を配り、地下鉄の入り口を見つけた。ただ私がいる場所からは人の流れに逆行しなければならない。雨はさらに激しく、まるでジャングルの原生林を進む探検家のように人をかき分け進んでいかなければならない。体が当たるたび罵声が飛んだ、殴られたりもした。それでも進まなくてはならない。

 満身創痍でどうにか地下鉄の入り口まで辿り着き、まだ明かりが灯っている階段を下りた。地上にはあれだけの人がいるのに地下鉄に下りていくのは私一人だった。終電の時間はとっくに過ぎていたけど、改札は開いているので今夜はまだ動いているようだった。遠くからゴーという電車が近づく音も響いてくる。

 ホームまで駆け下りて出発のベルを鳴らしていた電車に飛び乗った。ここも乗客は私一人だった。道徳的なことは放り出して濡れた体で倒れるようにシートに座った。正面の黒い窓を鏡のようにして見ると、コスプレ警官に引っ張られたPILのTシャツの首周りが激しく伸びてしまっていた。危うく私の立派じゃない胸が見えるぐらいだった。ただこれもこういうデザインだと思えば悪くない。ジョンライドンだって悪く言わないはずだ。

 息を整えながら二駅ほど過ぎてやっと祖父の収容された施設を知らないことに気づいた。渡された名刺は怒りにまかせてゴミ箱に捨てていた。何か思い出すことがあるかもしれないと立ち上がってドアの上の路線図を見た。知っている駅があった。そこには病院があって、祖父もそこで治療を受けていた。奴らは祖父が施設に入る前に健康チェックをするようなことを言っていたような気がする。


「そんな名前聞いたことないな、戦争が始まったから忙しいんだよ」

 明かりが半分落とされた深夜の病院の受付に座った警備員が言った。壁にかかったテレビは見てるのに、手元にあるコンピューターの端末で調べる気もないらしい。私は受付の台を強く両手で叩いて抗議するが、この制服の脇に大きな汗染みをつくった太った男は手に持ったプラスティックコップに残った氷を口に入れてガリガリ噛み砕くだけだ。

「ほら、見れば分かると思うけど腕や足が吹き飛んだり、腹から臓物を垂らしたような怪我人が次から次に運びこまれてるんだ。先生も看護師も走り回ってる。悪いがあんたにかまってる時間はないんだ」

 男が目線の先に示す救急の入り口からは誰も入ってこない。私がここに来てから一人も入ってこない。ロビーは薄暗く静かで会計窓口の近くのソファに忘れられたクマのぬいぐるみを除いては誰もいない。忙しい雰囲気はどこにもない。

「面会時間はとっくに過ぎている帰ってくれ」

 警備員の男はそう言うが視線はテレビに集中していたので、私が帰るふりをしてそのまま奥に進んだことに気づかない。

 あの男以外は誰もいないので、とにかく病室を一つずつ調べていくしかない。壁の案内図を見ると、入院患者は六階と七階にいるようだ。ちょうど扉を開けていたエレベータに乗った。エレベーターは一階上がるごとに天井の蛍光灯を点滅させながらゆっくりと上昇していった。

 六階の病室を端から順番に調べていく。ここも照明は最小限に絞られていて暗い。廊下に置きっぱなしになっている点滴スタンドや空のストレッチャーにぶつかって寝ている患者を起こさないように慎重に調べていく。

 それぞれの病室の入り口に名前の書かれたネームプレートが貼られているのだが、部屋の中を覗いてみても誰もいなかった。どの部屋も誰もいなかった。個室も相部屋もいなかった。どこもベッドはきちんとメイキングされたままになっていて、人がいた気配はなかった。これだけたくさんのネームプレートの中には知っている名前がいくつかあったが、そこに祖父の名前はなかった。

 五階に上がってすぐ、懐中電灯を持った巡回中らしい看護師に呼び止められた。

「よかった、探したのよ」

 ベテランらしい中年女性の看護師は私を知っているような口調で言った。たぶん彼女と間違えてるんだろう。間違いを訂正するより、利用させてもらったほうがいい。

「今日ここに入院した祖父の掘込恭一の部屋はどこでしょうか?」

「私は夜勤に入ったばかりだから、今日のお昼のことはまだ把握してないの。後で教えてあげるから、あそこで待ってて。戦争が始まったから忙しいのよ、でもあなたの順番はすぐだから」


 私は同じフロアの待合室のようなところでテレビを見ながら待っている。

 ここはちゃんと天井の照明が点いて明るいけど、病棟の暗い廊下の寒々しい雰囲気から変わらない。それとも濡れた体にエアコンが効きすぎているだけだろうか。

 あんなにカフェで食べたのにまたお腹が空いてきていた。軽食の自動販売機があったのでスニッカーズを買った。ドラマのように叩かなくてもちゃんとガコンと落ちてきた。その隣の自動販売機でコカコーラも買った。本当は寒くて震えが止まらなくて温かいコーンスープか何かがよかったけど、ホットドリンクが販売されるような季節はもうやってこない気もする。忘れたと思っていたお金はいつの間にかスカートのポケットに入っていた。迎えに来ると言っていた看護師はなかなかやって来ない。

 戦争のニュースは嫌だったのでチャンネルを変えた。こんな時間なのでNHKのニュース以外は通販番組しか放送していなかった。それも覚えにくい電話番号を伝えた後で出演者が手を振って終わろうとしている。アタッチメント豊富な高圧洗浄機を買うチャンスを逃したが悔しくない。チャンネルを変える。天気予報が流れている。アナウンサーが読み上げない文字だけのシンプルな天気予報。曇りのち晴れ、降水確率0%、最高気温四二度、熱中症警戒アラートの後ろには真夜中の移動遊園地が映っていた。

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