十二
「遅いよ、シロ」
食堂まで降りると、白いワンピースに身を包み、猫背のまま机の上に頬杖をつく莉花の姿がある。せめてもう少しきっちりしてくれ、と白は思ったものの、誰よりも寝過ごした手前、文句を言うのも躊躇われ、悪い、と応じて隣に座った。
「眠かったのはわかるけど、私も寂しかったんだからね」
あからさまに不満を口にする幼なじみのいつも通りっぷりに安堵しながらも、悪かったよ、と繰り返す。そうこうしているうちに、後方から朝食が乗った盆が置かれた。
「お待たせしました。どうぞ、お召し上がりください」
ちらりと後ろを見やれば、揚羽が邪気のない笑顔を向けていた。
「待ってました。おっいしそぉ~」
声の末尾を震わせた莉花は、素早く手を合わせて、いただきます、と宣言した。白も少し遅れて、同じ言葉を口にしてから、正面の食事向き合う。
白米に味噌汁、ほうれん草のおひたしに鮭の切り身。白自身も家庭でよくみるものではあったが、漂ってくる汁と魚の匂いがかぎりなく食欲を引き出していく。
一箸目。味噌汁の中から麩をつまみ揚げパクり。程好く沁みこんだ汁がじわっと広がり、体が温まる。強すぎず弱すぎない冷房が効く食堂内では、ちょうどいい保温効果だった。続いておひたし。こちらも素材の味が強いものの、鰹節と絡みつつも、程好い弾力で顎に返ってくる。そして、いよいよ、鮭を箸で解したあと米に乗せたあと、一緒に口に含み一噛み。米の甘さと塩鮭の柔らかさとしつこくらないくらいのしょっぱさが舌の上に広がり、すぐに次の一口を求めたくなり、一気に掻きこむように食した。
「坊ちゃま、お行儀が悪いですよ」
「いいでしょ。見てるのは揚羽さんと莉花くらいなんだし」
その莉花もまた、目を丸くしながら米を掻きこんでいる。揚羽も別段、あまり真剣に注意するつもりもなかったらしく、左様ですか、と軽く流した。
「言われてみれば、旦那様も一人の時はよく掻きこんでますしね。わたくしの気にしすぎだったようです」
昔、注意された記憶があるんだけどなぁ。かつての祖父からのしつけの一端を思い出し、理不尽さをおぼえなくもない。結局のところ、人間、自分には甘くなるということだろうか。
「そのお爺様は、今どうしてるの?」
おそらく、昨日と同じく書斎にいるのだろう。そうあたりを付けつつも、世間話の延長で尋ねてみた。
「そう言えば気になってたんですよね。私が起きた時にはもう家にいなかったから」
莉花の言に白は、おやっ、と思う。ここ数年の記憶では、よほどの用事がないかぎり、屋敷内いることが多かった祖父が、外出しているらしい。いったい、どこへ行ったのだろう。
揚羽は、実はですね、とバツが悪そうな声を出す。
「朝に、少し出かけてくる、とだけ仰られて……そのまま出勤する鹿子様と一緒に車で町まで向かったのはわかるんですが、それ以降の足取りはわたくしにも……」
これまた珍しい。白の知っている範囲ではあるが、母から役目を継いだ揚羽は、半ば祖父の秘書のような役目を果たしているのもあり、かなり細かいスケジュールまで知っているはずだった。以前、帰省した際に手帳を取り出した揚羽に、祖父の許可をとった上で見せてもらった時も、かなりびっしりとした書き込みがあったおぼえがある。そんな使用人の鑑のような女性が知らないというのは、実は深刻な事態なのではないのか、という懸念が芽生えてきた。
「揚羽さん的にはなんか心当たりがあったりしないの?」
なんとはなしに湧いた不安に駆られてあらためて尋ねてみるが、女使用人は、不本意ながら、と首を横に振ってから、ただ、と前置きする。
「昨夜から今朝方にかけての旦那様は、いつもと様子が違いました。まるで、何か心配事があるような調子で、朝食の間もどこか上の空だったように思えます」
なにがあったんでしょうか? 誰に尋ねるでもない様子で言葉を放ってから、揚羽はわずかに顔を曇らせる。いかにも気がかりそうな女性の顔を見つめたあと、隣でもぐもぐと顎を動かす幼なじみの方へと視線をやった。
「なに?」
こんもりと頬を膨らます莉花に、なんでもない、と応じてから、十中八九原因はこの少女であると判断する。もちろん、幼なじみが直接何かをしたというわけではない。ただ、昨日の祖父の莉花に対する態度からすれば、少女の存在が祖父の中になにかしらの感情を誘発し、その結果としてこの外出が起こったのだろう。
では、祖父はいったい莉花の存在から何を喚起させられたのか? 白の思考は早くも行き詰まる。圧倒的に材料が足りていない。暮らしをともにしている時間が少ない孫の限界といえた。
「あのぉ、揚羽さん。おかわりしても大丈夫ですか?」
どこか控えめなに手を上げる幼馴染の声で、早くも現実に連れ戻される。こころなしか、頬も赤く染まっているように見えた。
「もちろんです。ご飯も味噌汁もまだまだたくさんありますから、遠慮せずにお召し上がりください」
先程までの複雑そうな顔はどこへやら。一転して、楽しげに応じた揚羽は、差し出されたお茶碗を受けとってから、お望みであればおかずもありますし必要であれば作りますので、と卵や味海苔、焼き鮭やふりかけ、など様々な選択肢を提示してみせる。
「うぅん、どうしようかなぁ」
一つだけなんて選べないなぁ。楽しげな様子の莉花を見ながら白は、とりあえず祖父が帰ってきたら聞いてみるか、と思い直してから、自らも残っている朝食にとりかかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます