一日目
一
微妙に不規則な列車の揺れに身を任せながら、白はぼんやりと窓の外を見やる。ガラス一枚越しにだだっぴろい田畑が広がっていた。その更に後ろにはいかにも鬱蒼とした森に覆われた山が延々と横たわっている。代わり映えのない景色に、心の中でまたかと思う。
「見てみてあそこ。ほら、鷺いるじゃん! 何羽も!」
一方、向かい側のシートに座る莉花は、季節はずれの比喩になるが、雪が降ったあとの犬みたいにキャンキャンと楽しげにしている。
「リカ。ずっと言ってるんだが……」
「ああ、ごめんごめん。うるさかったよね。ついつい、ね」
バツが悪そうに頭を掻く幼なじみに対して、思わず溜め息が漏れる。
明け方に合流してからおおよそ四時間。三度ほど電車を乗り換える間、おおむねこのテンションのままでいるのには、いっそ感心してしまいそうだった。とはいえ、普段の莉花はもう少し大人しめであるので、こればかりは夏休みと旅行という二つの要素が混じりあった結果だろう。
「ねぇねぇ。あそこにあるトラクターおっきくない!」
こんな具合に少しばかり頭の螺子が抜けてしまっているせいか、莉花はまるで白の指摘など忘れてしまったかのように窓の外を指差す。一応、きもち、声を潜めているように聞こえなくもなかったが、その均衡もすぐさま破られるだろう。幸い、客があまり多くないのもてつだってか、今は同じ車両に乗っている人は、白と莉花だけであるのは救いだったが。
「リカ……」
「ああ、ごめんごめん。それはそうと」
雑に指摘を流そうとする莉花に、これは一回、本格的にお灸を据えなくてはならないのでは、と本腰を入れようとした矢先、
「今回も探すつもりなんだよね」
芯を食った問いが放たれ、思わず口を閉ざしかける。先程まで笑みを称えていた莉花の表情もわずかに固くなっているように見えた。
「そのつもりだけど……」
「頑張るねぇ」
感心とも呆れともつかない声音に、悪いか、と聞き返せば、べっつにぃー、と気のない声で応じる莉花。表立ってこそいないものの、いくらかの不満を抱えているのは理解できる。そこを引き出したいところではあったものの、旅行の始まりから空気を悪くするのも躊躇われて、黙りこむ。そのかたわらで、再び薄らと微笑み景色を眺める幼なじみの姿を横目に映す。
俺のすることが嫌ならなんでついて来たんだよ。白はそんなことを思うものの、やはり今の段階で直接聞く気にはなれず、もはや見飽きた景色にじーっと視線を注ぎ続ける。さほど新鮮さのない風景が与える無機質な感動。その先に今度こそ、記憶に焼きついたあの景色にたどり着ければ、と諦めがちに願った。
しばらくして、古めかしい古めかしい木造の駅も降りる。目的地だった。
「あんた、
切符を切ってもらっている最中、ジャガイモみたいなかたちの頭の中年男性駅員は、白の母の旧姓を交えながらそんなことを尋ねてくる。よくよく見返せば、帰省の際に、ちょくちょくここで顔を合わせている駅員だった。
「お久しぶりです」
頭を下げれば、覚えてもらえて光栄だ、などと手を差し出された。一拍遅れて、握手を求められているのだと気付き、少しだけ焦りながら握り返す。茹だるような暑さのせいか、駅員室内にいる中年男性の掌は汗ばんでいて、少々気持ち悪かった。
「そっちのお姉さんは見ない顔だね。兄ちゃんの彼女かい?」
またか、と白は思う。ここにかぎらず、普段、住んでいる街でも、初対面の相手にはそれなりに聞かれる事柄であった。
直後に莉花は駅員に向かってお辞儀をする。
「はじめまして。シロ君の幼なじみをしてる、茨城莉花って言います。今回はシロ君のお母様……クロエさんの代役で来ました」
「代役ってことは……黒江ちゃん、なにかあったのかい?」
すぐさま莉花が目線で伺いを立ててくる。白は一瞬、楽をできるな、と考えかけたものの、わざわざ来てもらっているのにもかかわらず、無駄に疲れさせてしまうの申し訳ないと思い、口を開いた。
「たいしたことではないんですけど。今、親父に海外に連れ回されてまして……」
「へぇ。海外ねぇ」
想像もできねぇや。大袈裟に漏らす駅員に、莉花は、駅員さんは行ったことないんですか、海外? と無邪気に尋ねる。ちなみに幼なじみの少女はおぼえているかぎりではこの国以外の土を踏んでいないし、白もまた同様だった。
駅員は、ああ、と二人の問いを肯定してみせて、
「町には大学に入ってからここに赴任する直前まではいたけどな。それでも外国は行ったことがないな。もしかして、兄ちゃんの親父さんは金持ちだったりするのかい?」
金を含む豊かさという意味では、母の実家である椎葉家もそれなりであるが、海外というのが駅員の想像の中でより遠大な場所という印象があるのか、白の父方に金持ちの理想を見出しているらしかった。もちろん、そんなことはない。
「結婚二十周年だそうで、親父が見栄を張ったんですよ。昔から、そういうとこは子供なので」
とにもかくにも、白の目に映る両親は、物心がついてからというもの、とても仲が良かった。いまだに時折発生する、両親たち二人だけの世界に居心地の悪さをおぼえることもしばしばである。そんなわけで、今年はよく言えば少年のように、悪く言えばガキっぽい父親の見得により、お盆の時期にあたる里帰りは延期及び中止になりそうだった。そこに割りこんできたのがこの髪を染めた幼なじみだった。
「いいじゃない。仲良きことは良きことかな、だよ」
胸を張り、人懐っこい笑みを向けてくる莉花に、そりゃそうかもしれないが、と応じる。家の外から見るのと、身近で耐えずイチャイチャされるのでは感じ方が大きく異なるのだと、半ば本気で説きかけるが、仮に説得できるにしてもかなりの言葉数がいりそうなのと、暑さのせいで難しいことを考えるのが面倒だったのもあり、そうだな、と曖昧に同意を示すに留める。
「そうかそうか。それで、茨城さんと言ったか。さっきの質問にこたえてもらっていない気がするんだが」
二人の他に乗降客がいないせいか、駅員は引き続き話しかけてきた。白と莉花がさほど急いでいなさそうに見えることと、この中年男性の当初に投げかけた、莉花は白の彼女であるのか、という質問に対する答えが返ってきていないからだろうか。白としては、あわよくば忘れてくれた方が楽だったな、と思っていたが、
「違いますよ」
ひんやりと、周囲の温度が下がったような感覚。今までの人懐っこさを窺わせる声とは対照的な無機質な響き。いつ聞いても、心臓に悪い、と白は感じる。
「そ、そうか……そりゃ悪かった」
この空気は駅員にもしっかりと伝わったのか、声がやや上ずっていた。
「はい。そうなんです。よく言われますし、仲良く見えるのは嬉しいんですけどね」
一転して人懐っこい調子を取り戻したように見える莉花の振る舞いとともに、こそげ落ちていた夏の暑さが返ってくる。実際の温度は下がっていなかっただろうことからすれば、ただ単に錯覚から解き放たれたというだけなのだろうが、やはり、できればこういう感じの言葉をこの幼なじみに発させたくはないと、白は思った。
一方で白としては、莉花が自分になにを求めているのかいまいちわからないままだったが。
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