第38話 小川のテラリウム:祈りの森の主との邂逅

 

 朝起きるとふさふさしたものが頭の上に乗っていた。

 鼻に毛が入りそうでこそばゆい。

「お前、寝る前は頭の隣に居たのに……」

 

 仔犬の紫紺は、人の頭に乗っかって眠っていた。


 ふあぁとあくびをして、ベッドから起き上がる。

 紫紺もぱちりと目を覚ましたのかふんすふんすと匂いを嗅いで、無精ひげの生えている頬に鼻面を擦りつける。


 とりあえず冒険の書で今日のやることをチェックしようかなと開いてみれば。


『おはようございますワン。今日も良き散策日和ですワン』

 語尾に変なのがついてる。

 まさか……。


「紫紺に対抗意識燃やしてたりする?」

『貴方様の最高のパートナーはそんな犬ころじゃないですワン』

 く、拗れてやがる。


「はいはい、今日は裏週期の最後、雷日だったな。今日午前中に採取を終わらせて、昼食を兼ねて町で納品を済ませよう。納品希望の素材一覧というか、どのテラリウムでどの素材が採取できるかとかリスト化できたりする? そうしたら効率的にテラリウムで採取できるんだけど」

『承知しました。【森のテラリウム】【小川のテラリウム】【平原のテラリウム】でそれぞれピックアップ致します』

 さすが冒険の書、優秀。

『当然でございます。貴方様の旅の道連れですので』

 よしよし、冒険の書も気分よくなってくれて良かった。


 まだ寝ぼけているような紫紺を小脇に抱えて、一階に降りると、顔を洗って髭を剃る。

 そうして朝ごはんの支度をすることに舌。

 冒険者食事キットの中から、固形スープに固いパンで軽く済ます事にした。

「きゃふ」

 この干し肉は次な。……朝は軽くだからな。

「きゃふ!」


 そっと干し肉を小さく裂いて紫紺にあげる。

 この可愛い瞳に負けまくってるんだけど……。

 でも、しっぽパタパタが可愛すぎるんだもんなぁ。

 

 カウンター側に行けば暦表の木片を一つずらして雷日にセットする。

 紫紺を抱きながらは作業が出来ないので、そっと床に降ろすと、昨日のように狂乱はしないみたいだ。


 魔力水の噴霧器を持って、森のテラリウムから順番にそれぞれのコルク栓を抜いて噴霧しようとしたが……。


「まって、昨日見た時よりも色鮮やかな花が咲いてるんだけど」

 吸い込まれないようにそっと横から覗き込んだが、昨日よりも花の種類が増えている気がする。本当にミニマムだけど。

 なんか藪がごそごそ動いている気もする。

 シュッシュと吹きかけて、一度薬品棚に戻し、次の小川のテラリウムを取り出す。


 小川には肉眼でくっきりとわかる程に魚影が見えた。

「うわ、テラリウムで小魚とか小エビとかを育てるのは夢だったけど、本当にこの小さなテラリウムの中に生態系ビオトープが形成されているんだな……」

 昨日はここまではっきりと見えなかったので、感動してしまう。

 平原のテラリウムは昨夜作ったばかりなのか、生き物の気配はしない。


 さて、どのテラリウムで採取しようかな。

 腰に付けた素材調達用の試験管も20本新しいものになっている。新素材、どんとこい!


 冒険の書の素材調達リストが完成したという事だったので、見て見ると、欲しかった素材が見つかった。

「え! カラクルの木の実って森じゃなくて小川の近くに生えてたあの木の事なのか!」

 カラクルの木の実は砕いて料理に掛けるとピリリとした調味料になるらしい。

 せっかくだからとギルマスに納品して新しい料理に使ってもらいたいと思っていたけど、小川にあったのか。

 

「小川のテラリウムの魚影……きっと川魚……魚なら木に刺して焼いて塩を振って食べる……俺にもできるか……?」

 もし無理でも昼にギルマスに渡して調理法を教えてもらう方法もある。

『小川のテラリウムではイノリゴケ、川魚各種、イノリガニ、モリトカゲ、カラクルの木の実、麻痺草、睡眠草、神聖結晶、黒色結晶、紫雲結晶、青雲結晶などが採取できます』

 よし、いちばん最初は小川に行こう。

 小川のテラリウムを手に取ると、きゅぽんとコルク栓を取る。

「紫紺」

「きゅふ?」

 あどけない顔でこちらを見てくるわんこの存在に、俺以外の存在ってテラリウムの中ではどうなるんだろって一瞬考える。


「あ、そうか。現実世界では時が止まるんだっけ。なら不安要素は少ない方がいいな」

 もし紫紺を一緒に連れて行って何かあった方が怖い。

 そう思いながら小川のテラリウムに意識が吸い込まれていった。


「うわー、やっぱり朝の小川散策は気持ちいいな」

 意識がぐるりとまわって降り立ったように思えたのは、小川の少し外れたところにある地面。

 なにか周りにどんぐりみたいな木の実が幾つも落ちている。

【???】を鑑定すると、【カラクルの実】。近くにある細長い木がカラクルの木だった。

 ぐあ、昨日もあったのかな。俺の見逃しか!?

 カラクルの木の実とカラクルの木の木片、そしてその木にしばしば絡まっている蔦の様なものはカラルクの蔦(名前が微妙に違う)を試験管に採取した。

 カラクルの実は結構落ちていたので、ごっそりと……麻の袋にいっぱい詰め込む。

 この素材分別用の袋、今度いっぱい発注しよう。

 蔦が良くしなり上手く使えそうだったので、いくつか空の袋の口を広げるようにぐるりと巻く。

 これでなんちゃって魚の罠になったらいいな。

 簡易罠の製作とカラクルの木の実は袋いっぱいに採取できたので、マジックバックにしまい、川に向かう。


「いや、だからさ……桁外れだろ……」


 この小川に採取しに来たのは昨日の事だ。小川の下流では、取りすぎないようにと注意したが、イノリゴケはごっそりと採集している。

 だが、まぁ、この見渡す限り……。

「昨日よりも増えてる……魚も昨日は岩陰にちょっといたぐらいなのに、ここからでも群れが確認できるぞ……」

 取りすぎ注意、環境保護! なんて思いながら採取量を調節しないといけないな、なんて思った矢先に……採取場所が増えてる。


 もしかして、このテラリウムの中って……成長が早い?

 いや、違うな。俺が眠っている間にもこの森では時が流れているって事なのか。

 だから、種が育ち新たな木々も芽吹く。


 なんてこった。深くは考えまい。

 ……ひとまず採取には困らないって事だな。

 

 下流中流の岩陰に、先ほど作った即席の罠を仕掛ける。袋の奥に、川で取れたイノリコケやイノリカニを放り込み、セットしておく。

 魚が上手く入ってくれたらいいのだけど。

 上手くいかなかったら別の方法を試してみればいい。

 

 その罠を仕掛けて待っている間に、俺は上流の川岸に行く。

 昨日よりも魔力が満ちているのか、麻痺草だけでなく睡眠草もたくさん生えていた。

 それぞれ昨日の採取分も合わせて40本ずつになるように採取した。

 昨日箱庭の素材用にと神聖結晶を多めに採取したはずだけど、川底に大量に蓄積されている。

 これもいっぱい採取しておこう。

 黒色結晶、紫雲結晶、青雲結晶はそれぞれ、25、6個採取できたが、他にも良い素材が手に入った。

「鏡幻石……これって鑑定鏡クリティカル・テラーの素材になるやつか」

 鑑定の能力補助魔道具! 思わぬ発見ににまりとする。


 鏡幻石は頑張って探したけれど、2個しか見つからなかった。

 だけど俺はテラリウム職人。

 素材として試験管に採取さえしてしまえば、次に作る山のテラリウムとかに最初から仕込んでおけば後で沢山採取できるはず!

 なんて川辺にしゃがみ、川の岸辺で薬草を摘み、朝から動きまくったせいで、ちょっと疲れてしまった。


 こんな時には、贅沢品。

 ビールとおつまみで休憩する。

「ぷはー、生き返る!」

 最近はちょっと真面目に作業することが多かったからビールも控えていたけど、やっぱり旨いねぇ。

 おつまみも回復効果あるから必要物資必要物資。

 

 なーんて川岸で休んでいると、空気が変わった。

 なんというか、魔力? 気配? 厳かな雰囲気というか、全てを圧迫するような……。


 奥から現れたのは巨大なトナカイだった。

 ひぇ、動けない。俺はいつのまにもののけな森に迷い込んでしまったのか。

 そのトナカイの角はまるで木の枝のように枝分かれして、そこから新芽が出ていた。


 熊じゃなくてよかったーー!! なんて思ってしまうのは感想としては違うかもしれない。

 でも、トナカイなら喰われる可能性が少ない……! なんて思ってしまう。

 

 大きなトナカイはじっとこちらを見て、二度俺にお辞儀するような動きを取った。

 ばさばさと木のような角がしなり、木の枝一枝が落ちる。

 トナカイに鑑定を行うと【モリノヌシ】と表示された。

【モリノヌシ:レア度9:追加情報>祈りの森の主。祈りの森の最奥に生息し、認めた者に生命の枝を分け与えるという。スキル:神秘の胃袋の所有者なら食べられるが全身から木の芽が芽吹き森の一部となる】

 ひえっレア度高い!

 というかあの木の枝って……。

 

【生命の枝:レア度9:追加情報>祈りの森の主が認めた者に分ける生命の枝。回復魔法を無制限で使うことができる。使用者の魔力により効能が変わる。スキル:神秘の胃袋の所有者なら食べられるが食べないで】

 

 神話級のアイテムじゃないか……。

 モリノヌシは枝を蹄でこちらに寄せる様な仕草をしたら、現れた時と同じように静かに去って行った。


 俺は止めていた呼吸を吐き出した。

「いきなり展開がもののけすぎる……」


 どういうことか冒険の書に尋ねるために開けば、適確に説明が帰って来た。

『普段は祈りの森の深層に生息している【モリノヌシ】ですが、創造主たる貴方にこうべを垂れ、畏敬の念を示しに来たのでしょう。このテラリウムの中の世界は確かに生命の息吹が戻ってきています。きっと貴方を歓迎しているのでしょう』

 展開が早すぎる……。

 だが、たった数日でここまで箱庭の中の生命が芽吹いたのは良いことなのか?

 よくわからないけれど、すごいことだけはなんとなくわかる。

 俺は恐る恐るその場に残された木の枝を掴む。

 うーむ。まさかの回復薬代わりの枝。

 ほんの一部分削って素材用試験管に入れて、残った枝はそっとマジックバックに入れる。

 そして、その蹄の跡に少し残っていた毛……これヌシの毛か?

 ……出来心で試験官に取る。

 コルク栓が閉まり、素材として登録された。

 …………これって……ヌシも素材に……。


「よし、俺は何も見てない」

 そっと腰のホルダーに差し込んだ。


 なんかどっと疲れた。

 はやく片付けて紫紺に癒されよう。

 善は急げと下流に戻って魚の罠の様子を見るか……なんて思った時、後ろから走りくる物体に押し倒された。


 今度は何だ!?


 

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