第7話

 ソフィアは部屋に入って来るなりやつれた顔で天井を見上げると、情けない声でシスティナの名前を呼んだ。かなり弱っている姿に、上品に出迎えようとしていたシスティナは慌ててソフィアに駆け寄るとそっと手を握った。


「どうしたんですかソフィア叔母様! 何かあったんですか? もしかして、やっぱりマキナちゃんのことですか? それとも、バーレント叔父様に何か……?」


 矢継ぎ早に尋ねるが、マキナのことにしろバーレントのことにしろ、何かあった場合にソフィアが頼るのはヘンリエッタやハルバードだろう。まさか最初に相談を持ち掛けるのがシスティナと言うことはないはずだ。


「実は、マキナのことで……」

「ま、マキナちゃんに何かあったんですか!?」


 ゾワリと鳥肌が立つ。内心では、もしもマキナに何かあっても、システィナが知るのは両親の口からだろうと思っていた。

 なぜソフィアがマキナのことを最初にシスティナに告げたのかは分からないが、それでも一大事だ。


「い、命はあるんですよね? まさか、あのマキナちゃんが死……ううん、絶対大丈夫ですよね、だってマキナちゃん強いんですものね? ねぇ、ソフィア叔母様、マキナちゃんは無事だって言ってください!」


 長らく会っていなくとも、血のつながった従姉妹だ。幼い時は、一緒になって遊んだと懐かしい思い出を紐解こうとして、そんな思い出はなかったことに気づく。

 運動神経抜群で常に動き回っているマキナとは違い、“やや”運動神経に難があるシスティナはお人形遊びをしたり、本を読んでばかりだった。同じ空間にいたのは確かだが、仲よく遊んだという記憶はなかった。


「落ち着いてシスティナちゃん。マキナのことはマキナのことなんだけど、そう言うことじゃないのよ。ライナルト様のことよ」

「……うん? なんでそこでライナルト様の名前が出るんです? もしかして、マキナちゃんとライナルト様って知り合いだったりします?」

「知り合いなわけないでしょう。うちはただのパン屋で、ヒューゲル伯爵家との繋がりなんてないし、マキナはマキナでああいう子だから、凄く小さいとき以外はハンナヴァルド家に近づかせなかったんだから」


 そう言えば、前に親族での夕食会をしたとき、ライナルトはソフィアのことを知らなかった。おそらく、あの時が初対面だったのだろう。


「ちょっと待ってください、マキナちゃんのことでソフィア叔母様がいらしたんですよね? なんでライナルト様の名前が出るんですか?」

「システィナちゃん、この間の夕食会のとき、マキナって名乗ったでしょう?」


 お化粧をしていなかったためシスティナだと言うことが出来ずに、咄嗟にマキナと名乗ったことを思い出す。それと同時に、ライナルトの不吉な一言が脳裏によみがえった。


“お前とも、また会うだろうな”


 確かにあのとき、ライナルトはそう言っていた。


「も……もしかして、あの宣言通り、会いに来てるんですか? “マキナ”ちゃんに……」


 恐る恐る尋ねてみれば、ソフィアが絶望の表情で頷いた。


「そうなのよ! マキナを出せって、豪華な馬車に乗ってきたの! あんなのが店の前にあったら、変に目立って邪魔でしょう? だから、馬車に乗ってくるのはおやめくださいって言ったら、今度は徒歩で来たのよ! でも、あんな豪華な服を着た人がお店に入ってきたら、他のお客さんが委縮しちゃうじゃない? だから、お店に来ないように言ったのよ! そしたら、店から少し離れた場所で待つようになったんだけど、どこにいたって注目されるような人でしょう? そのうち、ヒューゲル伯爵の息子だって噂が流れて、うちが伯爵に目を付けられるようなことをしでかしたんじゃないかって囁かれるようになっちゃって、お客さんが来なくなっちゃったのよ!」


 今までの鬱憤を吐き出すかのように、ソフィアは一気に言い募ると顔を抑えた。


「マキナはめったに帰ってこないんだって言っても、帰ってくるまで待つって言うし! 帰ってくるのなんて何年後よ! 大体、家を出たきり今まで一度も帰ってきてないのに! いつになるか分からないからって言っても、居場所を教えてくれればそこに行きますって言うのよ!? そんなのこっちのほうが知りたいわよっ!」


 興奮してきたソフィアの背中を、落ち着かせるために優しく撫でる。

 気分が高ぶったときは深呼吸をすると良いと聞いたことがあるため、数度試してみたが、システィナがしたところで意味がないと気づく。


「……それで、マキナちゃんはやっぱり今もどこにいるのか分からないんですね?」

「一応、マキナに手紙は出したのよ。こういう事情があって困ってるから、一度家に帰ってきてほしいって。なのにマキナったら、今は何とか国の何とか王を倒すのに忙しいから帰れないですって!」

「えっ、他国の王様なんて倒しちゃって大丈夫なんですか!?」


 国際問題になりはしないのかと不安になるが、ソフィアはそんなこと私が知るわけないでしょとでも言いたげに肩をすくめた。


「大丈夫じゃないかしら。つい先日、その何とか国から感謝状が届いてたから」


 王様を倒されて感謝状が贈られて来るなんて、今まで聞いたことが無い。どんな悪い王様だったのだろうかと、興味がわいてくる。今後のハンナヴァルド家のためにも参考にしたかったが、今はそんなことを訪ねている場合ではなかった。


「でも、無事に倒せたのならもう用事は終わったんでしょうし、帰って来れるのでは?」

「それが、今度は“他の世界の七人の勇者と共に別の世界を救ってくるから、当分は帰れない”なんて意味不明な手紙が届いたのよ! 何よ他の世界って!」


 その点に関しては、システィナにもマキナが何を言いたいのかさっぱりわからなかった。

 ただ、マキナが帰れないと言うからには帰ってくることはないのだろう。


「だからね、今日はシスティナちゃんにお願いをするために来たの」


 ソフィアが血走った眼でシスティナを見上げる、彼女にはハンナヴァルド家の血は一滴も流れていないはずなのに、思わず後退ってしまうほどの凄みがあった。

 一歩下がったシスティナを逃がすまいと、ソフィアが両手を握りしめる。

 彼女が口を開く前から、お願いが何なのかうすうす悟っていたシスティナは、拒否を示すように力なく首を振った。


「お願いよシスティナちゃん、一度で良いからマキナのフリをして!」


 想像通りの願いに、首を振る速度が速くなる。


「もうこれ以上お客さんが来ないと、困っちゃうの! バーレントも売れ残ったパンを見て気落ちしてるし、捨てるのは勿体ないからって貧しい人に分けてたら、毎夕営業後にパンを受け取る人が来るようになったんだけど、貧しくない人まで混じるようになっちゃったのよ!」


 善意を逆手にとって自分の利益のために利用する人は、いつどんな時でもいるのだ。その強かな悪意はシスティナも見習いたいものだが、貴族との駆け引きの際に発揮したいだけであって、真面目に毎日必死に生きている市井の人々に向けるつもりは毛頭なかった。


「このままじゃ、ライナルト様がいなくなってもパンが売れなくなっちゃうわ!」


 一度無料で提供したものは、価値が著しく落ちてしまう。待っていればタダで貰えるものに、対価を払う人間はそう多くはない。余裕のある人ならいざ知らず、庶民であれば食費は安ければ安いだけありがたいのだから。


「お願いよ、システィナちゃん!」


 懇願するソフィアを前に、どうやって断ったものかと悩むシスティナだったが、シアが追撃を入れるほうが早かった。


「システィナ様が断る権利はありませんよね? だって、もとはと言えばシスティナ様のせいでこうなってしまったんですから」


 痛いところを突かれ胸を押さえたシスティナだったが、まだ降参するわけにはいかなかった。


「でもあれは、仕方がなかったことで……いうなれば、事故でしょう?」

「まぁ、それはそうですけど、システィナ様がお化粧をしていれば起きなかったことですし」

「だって、シアがニキビができてるなんて言うから……」

「私は、事実を申し上げただけです。ニキビが悪化してしまうのでお化粧はお止めになったほうが良いですよなどとは言っておりません」

「で、でも……まさかライナルト様がいらっしゃるなんて思わないじゃない?」

「それは私にも予見できませんでした。その点に関しては、事故ですね」

「でしょう?」


 我が意を得たりとばかりに胸を張るが、すぐにシアが「しかし」と続けた。


「しかし、ライナルト様がいらしてお名前を尋ねたとき、システィナ様はすぐに返事が出来なかったではないですか」

「だって、システィナって言うわけにもいかないし」

「それなら、架空の親族でも何でも作り上げて、上手くやり過ごすことができたんじゃないですか? それなのに、混乱して押し黙ったままで、結局ソフィア様が救いの手を差し伸べてくださった。その手をすぐに掴んでマキナ様の名を借りる決断をしたのは、システィナ様ですよね?」


 お化粧をしないと決めたこと、マキナの名を借りると決めたこと、どちらもシスティナが選んだことだ。


「困っているときに出された善意は受け取っておいて、相手が困っているときは何も手を出さない。流石は“ハンナヴァルド子爵家のシスティナ様”ですね」


 確かにシスティナは、ハンナヴァルド家の人間として時には善意に背くこともある。しかしそれは、裏に何か計略のある善意を向ける貴族連中に対してであって、身内のソフィアにそんな仕打ちをするのは間違っていた。


「分かった、分かりました! マキナちゃんのフリをします!」

「ありがとうシスティナちゃん!」


 目に涙をためて喜ぶソフィアを複雑な顔で見つめる。

 そんな煮え切らない態度のシスティナに、シアが疑問を投げかけた。


「そもそもシスティナ様、どうしてあんなに嫌がったんです? システィナ様は演技力抜群じゃないですか。マキナ様のフリをするくらい、どうってことないのでは?」

「……あのねぇ、私はハンナヴァルド子爵令嬢システィナの演技なら世界中の誰よりもうまく演じられるけど、他は全然ダメよ。第一、システィナの演技だってお化粧っていう仮面をつけているから出来るの。それがないと、何者にもなれないただのシスティナでしかないわ」


 魔法使いが詠唱によって魔法を発動させるように、システィナの演技は化粧によって発動するのだ。何もつけていない素顔のままでは、演技などできるはずもない。


「へぇ、そう言うものなんですか」


 本当に理解したのか否か分からない呑気な声で、シアが感想を漏らす。システィナは深くため息をつくと、力なく肩をすくめて「そう言うものなのよ」と呟いた。

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