毒薔薇令嬢は勇者になれない

佐倉有栖

第1話

「おいお前、名は何と言う?」


 突然夕食会の場に入って来た美しい男性が、システィナの前へつかつかと歩み寄ると開口一番そう言った。

 先ほどまで和やかだった空気が凍り付き、誰もがつばを飲み込みこの場を乗り切るために思考を巡らせていた。


 奥の席に座る姉のオフィーリアは、動揺のあまり明らかに目が宙をさまよっていたが、その毒々しいまでの美しさを保とうと表情は変わらない。

 その隣に座る兄ロンバードも、父譲りの恐ろしいまでの美貌を崩すことなく平然とした顔をしているが、普段よりも激しい瞬きを繰り返している。

 そんな中いち早く我に返った父ハルバードが、年齢を重ねても変わらぬ整った顔に不敵な笑顔を浮かべると、持っていたナイフとフォークを皿に置いた。


「これはこれは、ライナルト君。久しぶりではないか。御覧の通り、今日は親族だけの夕食会でね。オフィーリアやロンバードの隣を見てもわかるように、婚約者は呼んでないのだよ。それとも、システィナとの約束があったのかね? 私は何も聞いていないのだが?」

「わたくしもシスティナからは何も聞いていないわ。あの子が婚約者の来訪を黙っているはずがないのだけれど。……まさかヒューゲル伯爵のご子息ともあろう方が、婚約者に秘密で訪れる……なんてことをするはずがありませんわよね?」


 ハルバードの言葉を聞いているうちに内心の動揺を抑え込めたらしいオフィーリアが、父そっくりの笑みを浮かべる。ゾクリと背筋に冷たいものを感じるほどに、毒のある華やかな表情だった。


「オフィーリア、口が過ぎるぞ。そんな無礼なことを、伯爵の御子息がするはずがないだろう? きっとシスティナが伝え忘れたんだろう。あの子はしっかりしているようで、少々抜けているところがあるからね。……まあ、確認したらわかることだけれど」


 ロンバードが蔑むような眼でライナルトを見上げながら足を組む。相手を射抜くような眼差しは、見ているだけで寒気がしてくるほどに鋭い。

 姉のオフィーリアも兄のロンバードも、そして父のハルバードも母のヘンリエッタも、この世のものとは思えないほどに美しいのだが、その美にはどこか毒々しさと冷たさがあった。


 相手を見下すような横柄な態度と眼差しを四方から投げられ、普通ならば委縮してしまいそうなものだったが、ライナルトは怯むことなく胸を張ると周囲を見渡した。


「それで、そのシスティナはどこにいるんです? 親族の夕食会なのに、システィナだけいないのはおかしくないですか?」


 夕食会に参加しているのは、先ほどの四人とヘンリエッタの妹のソフィア、その夫バーレント、そしての七名だ。

 気味が悪いほどに美しい四名とは違い、ソフィアは素朴で顔立ちをしており、バーレントもお世辞にも美しいとは言えない。彼の場合は、少々顔に贅肉がついているため、どこか人の好さそうな柔和な顔立ちだった。


「あいにくシスティナは、リズベルのところの夕食会に呼ばれてしまったのよ。彼女、もうすぐ結婚して国を離れるでしょう? 気軽に会えるうちに会っておきたいのだそうよ」


 オフィーリアが、再来月に結婚予定の友人の名前をあげる。リズベルは隣国の子爵のもとへ嫁ぐことが決まっており、話に矛盾はない。聡明なリズベルなら、万が一ライナルトから今回のことを聞かれたとしても、その場で適当な言い訳をしてくれるだろう。


「そうか」

「すぐにシスティナを呼び戻しましょうか? リズベルの家までは馬で行ってもかなり時間がかかるから、長時間お待ちいただくことになるけれど」


 待とうと言われたらどうしようかとヒヤヒヤしたが、ライナルトはすぐに首を横に振った。


「いや、結構です。システィナと話したいことがあるが、後日で良い。それよりも……先ほどの質問に答えてもらおう。お前、名はなんだ?」


 このまま帰る流れかと思いきや、ライナルトはこの部屋に入って来た時と同じ質問をシスティナに投げかけた。

 システィナの額から、汗がだらだらと流れ落ちる。まさか馬鹿正直に「システィナと申しますわ、婚約者様」などと言うことは出来ない。

 なぜなら今のシスティナは、システィナであってシスティナではないからだ。


「えぇっ……とぉ……」


 助けを求めて視線を家族に投げかけるが、誰もが悩まし気に眉根を寄せている。ハルバードが“親族だけの夕食会”と言ってしまったことが悔やまれる。あれさえなければ、架空の友人やご令嬢を作り上げて夕食会に参加させることが出来たのだが。


「まさか自分の名が分からないわけではないだろう?」

「と、当然ですよ……」


 勢いよくそう言ってはみるものの、その先の言葉は続かない。どうにかしてこの場を乗り切らなければと焦れば焦るほど、思考がまとまらない。

 システィナは困り果てながら窓の外へと視線を向けた。


 食事が始まったころはまだ薄日が差していたのだが、すでに日は没して外は真っ暗になっている。普段であればメイドがカーテンを引く時間だったが、ライナルトの突然の来訪に驚きそこまで気が回っていないようだ。


 外が暗いため、室内がよく映っていた。

 神々しいまでの美形が座る中、ぼんやりとした顔の少女と目が合う。大きくはない目に、低い鼻。唇も薄く、全体的にどこか野暮ったくパッとしない。道で出会っても次の瞬間には忘れてしまいそうなほどに特徴のないその少女は、何を隠そうシスティナ自身だった。

 どう見ても親子関係も兄弟関係もないように見える容姿で、どちらかと言えばソフィア夫妻の娘と言ったほうが納得ができる顔立ちをしているが、正真正銘システィナはヘンリエッタとハルバードの娘であり、ロンバードとオフィーリアの妹だった。


「どうした? そんなに他人に名を名乗るのが嫌なのか? まあ他人と言っても、俺は一応システィナの婚約者なのだが。親族なら当然知っているよな?」


 問い詰めるような口調に顔を上げれば、今まで見たこともないような満面の笑みを浮かべたライナルトと目が合った。こんなにも晴れ晴れとした笑顔でも人を脅すことが出来るのだと感心しながら、あうあうと言葉にならない声を発する。

 蛇に睨まれた蛙のごとく委縮するシスティナを救ったのは、ソフィアだった。


「その娘は、マキナと言います。私の娘です!」


 その場の視線がソフィアに集まる。ソフィアは一瞬だけ「やっちゃった」というような顔をしたが、すぐに切り替えて表情を引き締めると、毅然とライナルトを見上げた。


「失礼、あなたの名前は?」

「私はソフィアと申します。ヘンリエッタの妹です」

「あぁ、ヘンリエッタ様の妹さんでしたか。ご挨拶が遅くなり申し訳ありません。では、お隣の方は……」

「夫のバーレントです」

「バーレントさん。失礼ですが、家名をうかがっても?」

「残念ながら、バーレントは爵位を持っていませんのよ。ライナルトさんならご存じでしょうが、わたくしは平民の出でして、妹はのバーレントのもとに嫁いだのです」


 ヘンリエッタが一部の言葉を強調して口にする。

 爵位の有無によって相手を判断するような貴族ならば話をここで切り上げそうなものだが、ライナルトは相手の立場によって態度を変えるようなことはしない人だった。


「ヘンリエッタ様が貴族の出でないのは承知していますが、かの有名な宝石商エマール家のご出身ですよね。王族御用達の、代々続く素晴らしい家系です。下手な下級貴族などよりも、よっぽど由緒正しい家柄だ」


 そんなエマール家のご令嬢を射止めた相手なのだから、さぞや素晴らしい家の人間なのだろうと言外に滲ませるが、残念ながらバーレントは本当に普通の家の出身だった。

 実家は小さなパン屋で、今でこそエマール家やハンナヴァルド子爵家の伝手でそれなりに繁盛してはいるのだが、ヘンリエッタが嫁ぐ前は何の変哲もない町のパン屋だった。


 若き日のソフィアが店先で働くバーレントに一目ぼれをして、熱烈なアプローチの末に射止めたのだ。当時はまだ筋肉質で引き締まった体つきをしていた好青年だったらしいが、今ではその名残を見つけるほうが難しい。

 バーレントがしどろもどろになりながらも、パン屋の紹介をする。

 どんな顔をするのかと上目遣いでうかがっていたが、ライナルトは一切表情を変えないままパン屋の名前を口の中で呟くと「今度お伺いします」と呟いた。


「わたくしたちの大切な従兄妹の名前を無理やりに聞き出して、どうなさるおつもりなのです? そもそも、本日はどのようなご用件でしたの?」

「……いや、用件は今終わりました」


 オフィーリアが大きな目を数度瞬かせ、眉根を寄せる。


「用件は終わった? もしかして、シス……マキナの名を訪ねるためだけに、この場に乗り込んできた……なんてことはありませんよね?」


 探るようなオフィーリアの流し目を、ライナルトは不敵な笑顔で受け止めた。


「そうだと言ったら、どうしますか? ……さて、今宵はこれで失礼します。親族の和やかな夕食会の場に無礼にもお邪魔してしまい申し訳ありませんでした。また後日、システィナに会いにまいります」


 美しく一礼をしたライナルトが、去り際にシスティナを見ると柔らかく微笑んだ。


「お前とも、また会うだろうな」


 不吉な一言を残し、ライナルトは来た時と同じように唐突に去って行った。

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