28 治療と相談

 子どもが集められている場に騒ぎを持ち込みたくない、という気はするのだが。

 村で共同に所蔵している薬の類いは、その託児に使われている集会所に置かれているらしい。

 打撲した左肩が熱を持ってきて足どりがふらつき、ケヴィンとイーヴォに両側から支えられて、ライナルトはそこに担ぎ込まれた。

 入るなり「おい、薬を出してくれ!」とイーヴォが声を上げ、女房のライラが慌てて立ち上がる。


「酷い打撲で、血は出てねえ。湿布の薬を出してくれ」

「はいよ」


 やりとりの間に、ライナルトは土間から上がってすぐの床に座らされる。

 ケヴィンの手を借りて上衣を脱いでいると、


「オータ!」


 腰の横に小さな衝撃があった。

 押しつけられてくる薄い金色の髪を撫でてやる。


「おうおう大丈夫だ、心配いらないぞ」

「オータ、オータ――」

「ほらほら、泣くな」


 苦笑いの困り顔を上げ、その視線が奥のロミルダと合う。

 ところで、あれ、と気がついた。


「こいつ今、そこから這ってきたのか?」

「ああ、そうだねえ、そういうことになるね」

「イェッタお前、はいはいできたのか?」

「そう言えば昼前から、そんな練習みたいな動きをしていたよお。さっきまではできていなかったけど、父ちゃんの顔を見てできちゃったんだねえ」

「そうかそうか、凄いぞイェッタ」


 右の片手で抱き上げてやると、娘は涙まみれの顔できょとんと目を丸めていた。


「初めてはいはいできたんだなあ。お祝いしないとなあ」

「わうう」

「ほらライナルト、それよりも早く治療しないと」


 左脇から服を脱がせにかかっていたケヴィンが、苦笑で声をかけてきた。

 悪い悪い、と赤ん坊を下ろし、腰から膝にまといつくに任せる。

 上半身の衣類をとると、左肩から胸にかけての肌がどす黒く染まっていた。

 桶に水を汲んで寄ってきたロミルダが、顔をしかめた。


「これは酷いねえ」

ししの衝突を真面まともに受けたんさ。何とか最後はライナルトが剣で仕留めたんだが、まかりまちがったら俺たちもやられていたかもしれねえ」

「それは、ライナルトさんに感謝だねえ」


 夫の説明にライラも眉をひそめた顔で、薬壷を抱えて寄ってきた。

 ロミルダが上体の汗を濡れ布で拭い、ライラが患部に緑色のどろりとしたものを塗ってくれる。熱を冷やす薬草を磨り潰した湿布薬だ。

 薬の上から布を一巻きして、これで精一杯の治療だった。

 それが一段落した頃、マヌエル、オイゲンとともに村長のホラーツが入ってきた。


「たいへんだったね、ライナルト」

「ああ、済まない。少しばかりへまをしちまった」


 思いがけない魔獣と出遭って帰るところ、上に気をとられて前方の注意が足りなかったな、と仲間たちと確認し合う。


「そこでそれ、あまり見ない魔獣と遭遇したって?」

「ああ。俺は以前、少し南の方で見たことがあるが。小鬼猿こおにざるっていう魔獣だ」


 一匹ずつだとそれほど手強くはないが、数十匹も群れを成すことがあり、そうなると厄介だ。

 特徴としては、足が速い、小回りが利く。木の棒など、道具や武器を使うことがある。

 雑食で、人を食う場合もある。

 そんなことを、後半は子どもを怖がらせないように小声にして、説明する。

 聞いて、ううむ、とホラーツは唸った。


「そいつらが群れで下りてきたら、たいへんなことになるわけか」

「今日遇った森ならまだここまで遠いから、すぐ下りてくるかは何とも言えないが、用心しておくに越したことはないな」


 もし、大群で攻めてこられたら。

 平地だと今日の森の中のような頭上からの攻撃は考えなくていいだろうが、足の速さに気をつけなければならない。

 素速い接近を許したら、噛みつくなり引っ掻くなり、あるいは棒などの武器を所持する場合もあるので、かなりの脅威となる。この村だと、接近戦に耐えるのはライナルトの剣だけだろう。

 村への接近を見つけたら、遠距離での弓矢、魔法での迎撃でどれだけ効果を上げられるかがポイントになる。

 火や水の魔法でも、それで討ちとることはできない。少しばかり足止めできるかがせいぜいと思われる。


「山の方角へ、見張りを欠かさないことだな。あとはもしもに備えて、何人かは弓矢と魔法の訓練をしておくことか」

「うむ。見張りは当番を決めよう。そろそろ畑仕事を始めなきゃならんのだが、その合間を縫って訓練だな。ライナルト、面倒を見てくれるか」

「ああ、分かった」

「今回の四人に、コンラートも加えるか。遠くからの魔法だけなら、鍛えればものになるかもしれん」

「お義父さん」奥から、ロミルダが声をかけた。「その遠くからの魔法なら、女たちも使える者いるかもしれないよ」

「そうさな。それも含めて、いざというときの態勢をライナルトと相談して詰めていこう。しかしライナルトは、しばらく身体を休めなきゃいかん。今日はもう帰って休め」

「ああ、そうさせてもらう」


 右の片腕に娘を抱いて、立ち上がる。

 ケヴィンに背中から上衣を羽織らせてもらっていると、ロミルダが声をかけてきた。


「片腕じゃあ、自分のことはもちろん娘の世話も一苦労だろうさ。後で見に行ってあげるね。とりあえず、イェッタちゃんが這い出したんじゃ、あの家じゃたいへんだよ。うちにある毛皮の敷物を貸したげるから、その上で遊ばせるといいさ。いいよね、お義父さん」

「おお。持っていってやれ」

「大きい敷物だから、ケヴィンとイーヴォ、手伝っておくれよ」

「おお」

「分かった」


 一同に礼を言って、ライナルトは外に出た。

 相変わらずイェッタは、決して離れじと必死に父親の腕に絡みついている。

 家に入っても寝床に下ろそうとするとまた泣き出しそうになるのだが、この日も拝み倒して着替えの時間をもらった。

 衣服を落ち着けて改めて娘を抱き上げていると、男二人が大きな毛皮を運び入れてきた。狭い家の床、半分以上を覆いつくす大きさだ。

 毛皮といっても毛は残ってなく、熊の革だけを広げたもので、汚れや虫などを気にすることなく子どもを遊ばせることができるのだという。

 ライナルトを立たせて、二人で一面に敷き広げてくれる。


「助かる。ありがとうよ」

「お安いご用だ」

「無理せず、怪我を治してくれよ」


 気のいい若者たちは、手を振って帰っていく。

 その新しい装備の上に下ろそうとしてもやはり赤ん坊は納得せず、また背に負う格好で夕食の支度をすることになった。

 ひとしきり動き回って、食卓に着く。

 乳を飲ませるには子どもを膝に座らせて左腕で支え、右手の匙で口に運ぶわけだが、この日は支えの左肩を痛めている。それでも体勢を作ると、赤ん坊はあまり体重をかけず背を伸ばしているので、思ったより苦痛はなかった。

 父親の食事中も頑強に膝から下りようとしなかったが、後片づけを始めようとするとようやく敷物の上に下りてくれた。

 腹部を床に密着させた腹這いになって、しきりと両手両足を蠢かせている。そのうちようやく腕に力が伝わったようで、ぐりぐりと腹を擦らせたまま前進が始まった。


「おお、凄いぞイェッタ。はいはいができて、偉いぞ」

「うおう」


 娘の頭を撫でて、ライナルトは水場に食器類を運んだ。洗い物をしながら、敷物の上の匍匐前進を見守る。

 まだ腕で上体を持ち上げるまでに到らず腹を落としたままなので、前進にも速度は出ないようだ。さっきの出迎え時に思いがけない速さで接近してきたように思えたのは錯覚か、あのときだけの火事場の馬鹿力のようなものだっただろうか。

 その辺はやや愉快な気分で考えながら、家事を進めていく。


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