雪の日は暖かくしてお眠りなさい
靑蓮華
第一章 第一話
一章
懐中電灯を点けた。疾うに陽はしずんでいる。そもそもからして、
周囲を明るく照らすこれは秋哉の私物ではない。
けれど普段から一人で寄り道をして遅くなるまでフラフラしている秋哉でも、人通りも灯りも一切無い道を下っていくのは一人では心許ない。
人気のない道を下ると秋哉の眼前に田圃が広がる。狭い田圃道を、懐中電灯を頼りに進む。
ここを通ると普通より早く祠宇の家へ着く。これは秋哉の生家への近道でもあった。戸籍上では秋哉は今もそこで寝食を行っている。
田圃を抜けると古い家ばかりの区画があり、その区画を抜けると丁度、秋哉が生まれる前後に乱立した建て売りの区画が現れる。この辺りは高校を卒業するまで近辺で補えるので子供を育てるには、都合が良い土地だ。
建て売り区画の淡いオレンジの家の呼び鈴を秋哉は鳴らした。
……返答は無い。秋哉は祠宇の部屋がある二階を見上げ、灯りが点いているのを確かめ、続けて居間、以前子供部屋だった部屋、両親の寝室の灯りが点いているのを確かめた。ダミーだ。
祠宇の家では、両親の帰りが遅い日は居間の灯りを常灯し、ほかの幾つかの部屋も無作為に灯りを点ける。そして両親不在時の訪問者は居留守で対処する。
結果、二つのルールの所為で、ちぐはぐな行動が仕上がっている。それでも祠宇は両親の言い付けを守る。
両親を尊敬しているからだ。だからこのことで秋哉が祠宇に何か言うことは今までも、これからもない。
(さて、どうやって引っ張り出そうか)
再度呼び鈴を鳴らし、玄関の扉を拳で叩く。
「祠宇、祠宇」
普段通りの声で秋哉は友人の名を二度呼んだ。それから呼び鈴の前まで戻り、呼び鈴を鳴らす。そうっと二階から降りて来た祠宇が呼び鈴の遠隔装置の前で緊張している姿を脳裏へ描き、
「祠宇僕だよ、秋哉。」
と呼び鈴へ向かって声を掛けた。
すると家の中で騒々しい足音がし、がちゃりと激しく玄関の扉が開く。
「秋哉!」
跳ねるような声だ。
「どうしたのこんな遅くに……」
「君の所の部長から預かり物だよ、ほら。見覚えあるだろ」
「あっこれか……」
差し出した懐中電灯を受け取ると祠宇は合点した様子で呟く。
「明日でも良かったのに」
礼を言った後、祠宇は秋哉の身を案じるようにおずおずと秋哉を見た。秋哉は両手を広げ、祠宇の気持ちを和らげようとすこし笑った。
「来たくて来たんだ。平気だよ。いざとなれば兄さんがいるし。まあわるいと思うなら水か何か出してくれない。飲むものが無くて喉が渇いてるんだ」
本当は、秋哉は飲み水を持っている。中へ入れてもらう為の方便だった。学園内で購入したのを知っている祠宇はそれを承知した上で軽く笑い、
「すぐ出すよ」
と秋哉を家へ招き入れた。
居間へ通されると秋哉は椅子へちょこんと座り、祠宇が台所から戻ってくるのを待った。
戻ってコップを差し出すと祠宇は秋哉の向かいの椅子へ座る。四つ脚の椅子は秋哉の隣にもあったが、わざわざ隣を避けるように祠宇は向かいを選んだ。
コップを差し出す前から祠宇は隣席へ視線を向けていて、腰を下ろした今も未練がましい顔で座りたかった席の宙から目を離せないでいる。これは今に始まったことではない。秋哉は平然と気付いていない風を装い、コップを傾けて中身を動かす。
「コート、着たままで苦しくない?」
「ああ、脱ぐよ」
訊かれて秋哉は上等なカシミヤの黒いコートを脱ぐ。服に拘りは無いが、
形、柄はどれも地味だが、上等な物ばかりを冬也は宛がった。そのくせ料理が出来るにもかかわらず食事は毎日スーパーの弁当で、秋哉の帰りが遅いのを知っていても何も言わない。かわいがられているのは事実だが釈然としない。
椅子の中でコートを脱ぎ、ふと不躾な視線を向ける祠宇と目を合わせた。偶然目が合ったように見せ掛けるのは成功したようで、祠宇はぱっと頬を染め、もじもじと下を向く。
耳の下で揃えたブロンドの髪が下がり、ブロンドの目が睫毛でかくれる。秋哉は何事も無かったかのようにコートをぞんざいな手付きで椅子の背へと掛ける。
「君の所の部長が言ってたけど、史料館で何かあるんだって?」
「企画だよ。聞いてない?」
「わすれた。君の所の部長、よく喋るから端からわすれてくよ」
「あはは……。狐だよ。昔の複製画や、狐に纏わるものが飾られるんだって」
「ああ、狐。祠宇が部長に企画のことを話したとかって言ってたけど……喜んでたよ」
「そう? 良かった。でも僕も冬也さんに教えてもらっただけなんだけどね」
照れくさそうに祠宇が笑う。
冬也が噛んでいると聞き、理由も無く秋哉は話すのが面倒になった。冬也が関わっていると、それだけで脱力するくらいには冬也絡みで面倒な目にばかり合っている。
(どこで狐のことなんて……。)
店に史料館巡りなどと言う知的趣味のある客が来るとは思えなかった。
秋哉も冬也も幽霊や妖、オカルトへの一家一言は持っていない。
居ると主張するつもりも無ければ居ないと主張するつもりも無い。
隣人が女か男か幾つか誰かそもそも住んでいるのかいないのかも知らないままで平然と生きていける粗放さがあり、何でも構わないと言いつつ一家一言のある面で輪に混じれる厚かましい所が二人にはあった。
今日の放課後もその厚かましさでオカルト研の部長と話し込むに至ったのだ。しかし傍から見ると兄弟は繊細で、知的に見えるので始末に負えない。
「で、祠宇は行くのか」
「勿論、行くよ。狐のこと、もっとよく知りたいから」
狐と言えば、
人目をはばかる生き物の一つである。
犬の如き顔、長い胴体、ふさふさの尾、高い声。
これが現代まで言い伝えられている狐の、殆どの伝承で見られる姿だ。例によって秋哉はへえ、とどうとでも取れる声音で相槌を打った。
秋哉に興味を持たれたのが嬉しかったのか、祠宇は狐に関する伝承を伸び伸びと語った。祠宇が秋哉の前で非科学的な話をするようになったのは高等部へ入学し、オカルト研究部へ入部してからの事だ。秋哉が覚えている限り、オカルトどころか昔は両親の教育方針で科学を好み、幽霊なんて非科学的だと一蹴していた程だ。
知らぬ間に祠宇はかわった。
ひたかくしにされるのはあまりいい気持ちでは無い。なのにオカルトへ傾倒してすぐ冬也へは相談する。
信頼する相手を間違えている、と秋哉は切実に思う。もっとも、秋哉を蚊帳の外へ追い出すつもりは祠宇には無いのだろう。唯、本気で両親を尊敬している祠宇が、両親と食い違っている箇所を欠点だとかんじているというだけで。
「祠宇は詳しいね」
褒めると祠宇は驚いて口を開けたままぴたりと止まった。
「……突然、そんなことを言って。怪しい」
口ではそう言っているが祠宇の目に秋哉への疑いは宿っていない。何とでも言ってよ、と秋哉は言って、コップの中身を飲み干した。
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