第10話 主人公なんかじゃない
大学の敷地にある棟内の一室に西日が差し込む。
眩しい陽射しを手で遮りながら、パイプ椅子を引いて腰をかけると、かつての温もりが蘇ってくる。
「懐かしいな」
昨年の夏までいた創作同好会の部室。
こぢんまりとした部屋に本棚、プラモデル、音響機材、裁縫道具などありとあらゆる創作道具が敷き詰められていた。
ここで圭吾や先輩たちと気楽に、和気あいあいと創作に打ち込んでいた日々を思い出すと、少しだけほおが緩む。
「思い出に浸りに来たわけじゃないんだった」
本棚の一角からノートを取り出す。
なんの変哲もない大学ノートだが、手に取るだけで頭がぐらぐらと揺れる。ひどい酩酊感に苛まれる。
それでもノートを開いた。
「どんなの……だったかな」
書きかけのプロットがそこにあった。
まだ同好会に顔を出していた時、昨年の夏のものだ。
プロ作家ということで、鳴り物入りで入部した俺は気分良くプロットを書いていた。
その当時の天狗っぷりがうかがえるノートに失笑してしまう。
「バカじゃねぇの」
一人で自虐したその時だった。
「うっ……!」
唐突な吐き気、喉にせり上がってくる吐しゃ物。そして不快感を催す苦みの強い胃液。
すんでのところで、手で口を押さえて嘔吐するのをこらえたが、自重を支える力も入らず膝をついてしまう。
頭がズキズキと痛む。割れそうな痛みで頭を抱えてしまい、床にのたうち回る。まるで五寸釘を撃ち込まれたような頭痛にうめき声をあげることしかできない。
「し、師匠⁉」
勢いよく開かれた扉。それと同時に恵莉奈が駆け寄ってくる。
「な、なにしてるっすか! 無茶しちゃダメっすよ!」
恵莉奈に背中をさすってもらって、しばらくして頭痛が落ち着いた俺は彼女に介抱されて、ごみ袋に嘔吐する。
とても苦くて、甘さなんてどこにもない。不快感だけの嘔吐。
「わ、わりぃ……」
水道で口をゆすいできた俺はパイプ椅子に腰をかける。恵莉奈も対面に座る。
「なんでこんなところに来たんすか……」
「だって天川見てると癪でさ。あいつがあんなに創作に一生懸命なんだから、俺だって少しくらいはって思ったんだ」
「いいんすよ、師匠は師匠のペースで」
恵莉奈は何か言いたそうな顔をしつつ、顔を逸らした。
それでも我慢できなかったのか、俺に向き直る。
「やめてくださいよ。創作は辛い思いをしてまでやるもんじゃないっすよ」
「そう、かもな」
「そうっすよ。楽しく書けるときが来るまでゆっくりでいいんす。嫌なら、やめたまんまでもいいんですし」
「そうだな。うん。なんでこんなことしたんだろうな。もう書かないって決めたのに」
昨年の秋口のことだった。
順調に作家としてのキャリアを積んでいた俺だったが、プロである以上批評もくる。
もちろん、いい意見ばかりではなく、なかには手厳しいものもあった。それでも、注目してもらえている証拠だと自分を奮い立たせてきた。
そんな中、世間を騒がせる事件が起こった。
ゴーストライター発覚。
とある芸能人が書いたことで評判になった小説があった。
その作品は『彼の人間性が出ている』『彼にしか書けない作品だ』『この作品は彼そのものだ』と大絶賛だった。
だが、実際はゴーストライターが書いたもので、その芸能人は一ミリも執筆に関わっていないことが発覚したのだ。
「俺の書く意味って何なんだろうな」
世間は有名人が書いたというだけで中身も見ずに持ち上げる。見る眼なんてありもせず、芸能人が書いたという『情報』を食い散らかして美食家ぶるのだ。
そんな人間たち相手に書いて何の意味がある?
俺が書く意味ってなんだ?
俺の作品は……俺は、誰にも求められていないんじゃないのか?
俺の作品もゴーストライターでいいんじゃないのか?
そう考えた途端、吐き気がしてきた。
世間に対する嫌悪なのか何なのかは分からない。それでも俺はあの日以来筆を執れなくなった。物語を練ろうとするだけで、物語に触れようとするだけで吐き気や目まいがしてしまうのだ。
天川と親密な関係、恋人になれないのはこれが原因だった。
彼女は作品以外でも人気を集める。それは自分で作品の価値を落としているような、天川である必然性を薄めているようで、俺にはとても辛かった。彼女を見るだけで苦しくなってしまう。
「そんな先輩に付きまとうなんて……天川先輩はひどいっす……」
「天川には言ってないんだよ、このこと」
「な、なんでっすか!」
「だって言ったら言ったで、あいつを曲げることになるかもしれない」
俺自身が言いたくない、ということもあるが……。でも、天川にまで俺の主義主張を押し付けるつもりはない。なにより、現状成功している天川の脚を引っ張るようなことはしたくなかった。
「ごめんな恵莉奈。また心配かけて」
「それはいいんすよ。でも、もう天川先輩に近づかないでくださいっす。師匠が心配っすよ……」
恵莉奈が天川を寮から追い出そうとする本当の理由はこれだった。
気にくわないから、だけで追い出すような子ではないのだ。
「まあ確かに天川は気にくわないところもあるし、いろいろ思い出して辛くもなる」
「だったら!」
「でも、筆を折ってからの俺を元気づけてくれたのも間違いなく天川なんだ」
「だからっすか。だからいつも茶化すだけで、寮から追い出そうとしないんすか」
「だな」
好きという感情は本当に厄介だ。
物語の世界みたいに綺麗な部分だけ切り取れたらどれだけ楽だろうか。
でも、現実はカラフルすぎる。好きという感情の中にも様々な色があるのだ。純粋な好き、性欲の好き、好きだけど苦しい。そういった好きをごちゃ混ぜにして飲み込んで、恋という味を覚える。
「ありがとな。すこし落ち着いたよ」
俺は部室に常備してある飴玉を、酔い止め代わりに口の中に放り込む。
コロコロ、コロコロ。
口の中で飴玉を転がす。
カラフルで、甘くて、大好きな飴玉。
でもどんどん消えてなくなって、大好きなはずのそれは口の中を溶かしてくる。
大好きなのに痛くて痛くてたまらない。
痛いのに好きだから手放せない。また口に入れる。どんどん痛くなる。どんどん苦しくなる。
そして嫌いになった。
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ここまでお読みいただきありがとうございました。
次から2章になります。
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