好きの呪い
エッチなことをするのは不純。
そんな教育を受けてきた人も多いだろう。
でも実際は求めて、求められて、必要とされているのを感じられる、とても気持ちがいいものだった。
「気持ち良かったわ、とっても」
行為を終えると、ふたりでベッドに倒れ込んだ。
ほてり汗ばんだ体を抱き合って、互いを感じていた。
だけど、なんだか落ち着かなくてふたりで館内の自販機で酒を買って、飲みなおすことにした。
いつもなら適当に愚痴ったり、騒いだりして詩乃と酒を飲む。
だが、今日からは違う。
互いの身体に触れあい、すこし甘えてみたり、気恥しくなっていつものテンションにしようとしてみたり、それがうまくいかなったり。
調子がくるってしまって、かなり飲んでしまった。
まだ二十歳になってない俺たちの飲酒は褒められたものではないだろう。それでも、酒の力を借りねばやってられない時もある。
そして、そのまま眠りについて目が覚めたのは朝の九時。
普通なら急いで講義に向かうところだが、幸いにも本日は十二月二十六日で、すでに冬休み。
俺たち大学生にとって憩いの期間である。
ホテルを出る準備をして、衣服を整え終えたときだった。
「そうだ、潤一郎くんにプレゼント持って来てたの」
詩乃がポーチから取り出したのはクリスマスカラーにラッピングされた小包みだった。手のひらサイズで可愛らしいものだが、詩乃が持ってくるものじゃきっと高級品に違いない。
「ちょっと気おくれするな……」
俺もカバンからプレゼントの小包みを取り出して、詩乃に渡す。
「ありがと」
そう柔らかく微笑んで受け取った彼女は「そうだ」とつぶやいてポーチから一冊の本を取り出して、手渡してくれる。
それは流行りの恋愛漫画だった。
俺と同い年で月刊誌の連載枠を勝ち取った天才漫画家poemが手掛けたものだ。
その表紙には二人の美少女、そしてpoemのサインが記されていた。
「詩乃、これって……」
「私、その漫画を描いてるの」
つまり詩乃はこの漫画の作者なのだという。
驚きはあったものの、その反応を見せる前に詩乃は俺の手首をつかんできた。
突然のことに目を見開いてしまうが、詩乃はまっすぐに俺を見つめる。
「ねえ、あなた『ソラビトの侵略』の作者、谷崎藤村でしょ?」
「なんのことだか」
「とぼけないでよ……」
『ソラビトの侵略』、数年前に発売されたラノベで、多少売れたものだった。
「なんで俺が谷崎藤村だって思うんだ?」
「さっき寝酒を飲んだとき、あなたの言葉遣いが彼の表現方法とそっくりだった」
「安直な考えだな」
「否定しないんだ」
詩乃は俺から手を放すと、鋭い視線で俺を見つめる。
「ライトノベル作家、谷崎藤村。高校一年生時にデビュー作『ソラビトの侵略』を出版したことをきっかけに次々と書籍を売り出した天才作家。独特な言い回しと、ひねくれた思考は一定のファンを獲得しているライトノベル界の新星」
「そんなすらすら出てくるとは大したファンだな」
「ええ、すごく好きよ。谷崎藤村は私の一番の推しとも言えるわね」
そう柔らかく微笑んだ詩乃だったが、とたん眉尻を下げる。
「……ねえ、なんで書くのを辞めてしまったの? あんなに売れてたのに、認められていたのに」
俺は昨年の秋口に作家業を引退している。ちょうどその時に詩乃と出会い、いまに至るわけだ。
あの時の俺は書く意味を見出せなくなっており、腐って酒と麻雀に明け暮れていた。それは今でも変わらないが……。
「辞めた理由なんて簡単だ。俺が書く必要なんてないからだよ」
「どういうこと?」
「悪いけど、これについては語りたくない」
正確に言えば話すことが出来ない。思い出しただけで吐き気がしてしまう。いまも喉元までせり上がってきた胃液と吐しゃ物を必死にこらえていた。
それを誤魔化すように、手早く荷物をまとめて部屋を出る準備を整えた時だった。
「じゃあ、せめてこれだけは教えて」
俺の背後で詩乃が声をかけてくる。
「また書いてくれる……書けるようになるのよね?」
「悪いけど、その気はさらさらないよ」
ホテルでの楽しい思い出も、気持ちいい思い出もあったはずだ。
でも俺は荷物をバッグにしまい込んで、チャックをした。
「別れよう。一晩の関係だったけどさ」
「……私じゃダメなの?」
「詩乃……天川だからこそダメなんだ。俺は作家のお前といることに耐えられそうにない。だから、いまからは友人ってことにしてほしい」
恋人ではあまりに近すぎる。俺はそれに耐えられそうにない。
どこまで天川が察してくれたのかは分からない。
「わかったわ。あなたがそう言うなら……」
それでも、天川は何も追及してこなかった。
クリスマス。
それは男女に魔法をかけてくれる一夜の夢。
俺たちは夢から覚めて、別々の道を歩き出した。
正直、天川詩乃のことは今でも好きだ。それと同時に天川といることが苦しい。
好きが苦しくなってしまうのだ。
好きだからこそもっと知りたくなる。もっと知って、苦しくなるのかもしれない。それでも好きという気持ちは消えてくれない。まるで呪いのように尾を引いてくる。
まだ好きという感情を持ってくれている天川はどこか未練がましい目線を俺の背に向けてきていた。
でも俺たちの関係は戻ることはなかった。
こうして両想いの俺たちは『好きの呪い』であっさり破局し、友人に戻った。
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