推理は放課後、雑談より。

安達可依

ただしいハサミの使い方

第1話

‐1


 図書委員のやるべき仕事が、閉室まであと一時間もあるというのに全て片付いてしまった。やることがない。貸出カウンターにだらしない姿勢で背を預けていると、背中が少しずつ痛くなってくる。ときたまあくびをしながら身体を伸ばせば、背骨がぽきぽきと鳴った。


 利用者が一人も訪れない退屈な空間は、薄暗く、人間の気配というものが図書委員以外から発されることがないため、正直いって薄気味悪い。金武かなぶ高校——通称「金高かなこう」の図書室は北棟一階の廊下の奥に位置にある。放課後になると陽射しが入りにくい立地をしているため、室内の不気味さがいっそう増していた。


「こんなに不気味な図書室なのに、この学校には七不思議の一つも存在しない」


 僕以上に退屈そうにため息をついたのは、隣の席の姥沢うばさわだ。はふぅ、と猫のあくびのように仰々しい仕草。目元には薄く涙が浮かんでいた。

 どこか物静かな雰囲気を醸し出す少女の名前は、姥沢瑞姫うばさわみずき。僕と同じ一年生で、図書委員会所属。いつぞやの話によると、確か隣のクラスに双子の妹がいるのだとか。所属当初、異性と曜日当番が被ったことで周囲の男子からやいのやいの言われたものだったが、そのことで調子に乗るほど僕は羽目を外した人間ではなかった。


 それにしても、七不思議とな。令和にもなって、そんな古典的な、学校の怪談的なものに憧れる女子高生が存在するとは。

 僕は「諦めな。姥沢うばさわさんが生まれてくるのがちょっとばかり遅すぎたのだ」とおちゃらけて言ってやった。姥沢うばさわは鼻を鳴らすだけで返事はしなかった。


 ブラスバンド部が校舎のどこか遠い場所で音出しをしているようで、ぶわぶわと緩く鼓膜を揺らした。木曜日の午後五時。この時間帯になれば、大体いつもその音が聞こえてくる。うつらうつらと目蓋を開閉していれば、だんだんと本格的に眠くなってきた。ごしごしと目を擦る。


「ふわぁ……ねむ……」


 目下のカウンターにこてん、と頭を転がす。頬に机の硬質な感触。

 そうしてとろとろと微睡んでいると「ちょっと、私一人を退屈の世界に置いていかないでよ」と、姥沢うばさわからチョップを食らう。あんまり痛くはなかった。

 姥沢うばさわには、案外そういうところがある。というか、退屈を共にすることを義務として僕に押しつけてくるところがあるというか。僕は頭に突き刺さったままの姥沢うばさわの手刀を押し返した。


「そこまで言うなら、何か面白い話してよ」

「うわ、その話の振り方はないよ。沢渡さわたりくんって性格わるい」


 そう毒づきつつも、割と真剣に話題を探したりしているのも姥沢うばさわらしいところだ。腕を組んで首を傾げ、まさに何か考え事をしている姿勢。


 しばしの沈黙。そして、浮かんできた話題をひとつまみ。


「三組の武内たけうち先生、結婚して苗字変わるらしいよ」


 へぇ、武内たけうち先生が結婚。知らなかった話題だ。

 それで、


先生になるの?」


 そこで姥沢うばさわの勢いは衰える。


「……えっと、なんだっけ。又聞きの話だから忘れちゃった」

「いや、話の一番重要なところ知らんのかい」


 弾まないねぇ、会話。

 僕がふかふかと本格的に寝る姿勢に入り始めると、「沢渡さわたりくんもちょっとは考えてよ」と再びチョップが入れられる。今度のは痛かった。じんじんする。

 乱暴やめてよう、と抗議する。が、姥沢うばさわは傲慢にも腕を組んだ格好で鼻を鳴らすのみだった。痛いのは嫌なので、僕は少し真剣に考えてみることにした。


 漠然と話題を探してもしょうがないので、先程話にあがった「三組」のことで何か面白いことがなかったか記憶を遡ってみた。

 一年三組。僕の一つ隣のクラスだ。僕は一年二組に所属していて、姥沢うばさわは一年四組。僕と彼女はとある事情で、僕のクラスで二人して変に持ち上げられている現状にあるが、それを含めても図書委員会以外で特にこれといった接点はなかった。出身の中学は違うし、かつてやってきた部活の種類もバラバラで共通点になり得なかった。同じ曜日当番になるまでは名前も顔も知らなかった。


 そんな、初めは素性の知れない同士の僕たちだったけど、一ヶ月半のあいだ毎週木曜日に顔を合わせて仕事を共にすれば自然と打ち解けるものである。

 五月もあと一週間で終わる。もうそろそろ梅雨がやってくる。この期に及んでぎくしゃくとした関係であるほど、僕も姥沢うばさわもコミュニケーションに消極的な人間ではなかった。他人に声をかけられれば無難な返答ができる程度には大人で、だからといって互いの内面に大きく踏み込みたいという好奇心をいたずらに抱くほど子供でもなかった。いうなれば「友人以上友達未満」みたいな、そんな関係だった。


 だけど、僕たちはたぶん友達にはなれないと思う。近頃互いに遠慮のない会話が増えてきたのも事実だけど、そこから伸びている木の枝が「友達」の領域とは別の方向に育っているような気がしてならない。

 別ベクトルの方向に関係値が育っていく僕と姥沢うばさわは、きっと将来的に。


「ああ、そういえば。三組といえば、こんな話があった」


 退屈を埋める話を探していたはずが、いつの間にか僕は別のことを考えていた。姥沢うばさわの声が聞こえてきて、そちらに顔を向ける。

 姥沢うばさわは少し興奮気味に笑っていた。いつもは白い頬に、ぽっと熱を持ったようである。


「どんな話?」


 訊ねる僕の声には、先程までの眠気が一切含まれていない。節操ないなぁ、と僕は自嘲気味に心の内で自分自身を罵る。







「三組の教室の備品とか生徒の私物がハサミで切られてるって話、知ってる?」


 姥沢うばさわが室内に僕たちしかいないというのにわざわざ声を落として話し始めた。

 彼女の瞳には好奇心が揺らめき、声には探求心が孕んであった。それは僕にも共通していえることだから「そんなに楽しそうに三組で起きていることを語ったら不謹慎だ」とは口が裂けても言えない。僕は、ただ頷いて続きを促すだけ。


「確か二週間くらい前に、三組の教室のカーテンが切られているのが発見されて、それでちょっとした騒ぎになったの。黒板消しの紐とかクラスメイトの学校指定ジャージとか、とにかく無作為に刃物で切られてるって事件」


 事件。そんな言葉が与えられれば、少し緊張感が湧いてくる。微かに張り詰めた気持ちが、さっそく姥沢うばさわの情報にツッコミを入れた。


で切られたのかで切られたのか、正しい情報はどっちなの」

「うーん……、そういう細かいところツッコまれると辛いな。情報提供元は、私の友人の三組の女子生徒AとB。Aが『ハサミで切られていて』と言っていて、Bが『刃物で切られていて』と言っていたのが正確な情報かな」

「やっぱり人伝ひとづてに情報を集めると、言葉の小さな表現の差で現状が見えにくくなるね。ハサミと刃物の違いは一旦置いておいて、もっと正確に事件について説明してみてよ」


 わかった、と姥沢うばさわは慎重に頷く。一個一個確かめるようにゆっくりと話し出した彼女は、ときおり上のほうに目線を向けながら詳細を開示していく。


「先々週の月曜日、三組の教室のカーテンが刃物で切られているのがクラスの女子生徒によって発見された。

 その時点で他にも切られているもの、傷つけられているものがいくつかあって、掃除用具庫に入っていた雑巾三枚とバケツに刃物でキズつけられたような痕があった」


 刃物、という表現に固定したのは、ハサミと断定しないための考慮だろう。

 僕は頷いて先を促す。


「その次の日、火曜日に黒板消しの紐に刃物痕が発見される。それから木曜日、二名のクラスメイトの通学鞄に切りキズがつけられているのが見つかる。

 週を跨いで火曜日、三名の生徒の学校指定ジャージに刃物痕。金曜日に、三名の生徒のハチマキに刃物痕。

 今週に入って月曜日、掃除用のホウキに刃物痕。それ以降今日までに、備品や私物への被害は報告されていない。

 被害が報告されるたびにクラス内の生徒には情報が共有され、私物管理の徹底とまた同じような刃物痕が見つかった場合ただちに報告するようにと注意喚起がされた。

 以上が、三組で見つかった刃物痕についての具体的な内容」

「多いな」


 こんな話、とポケットから軽い調子で物を取り出したようなノリで始まった話題の割には、思った以上に酷い被害状況であるように思えた。

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