1-5


 私は、目を覚ました。


 気づかない間に眠っていたらしい。意識の途切れを自覚しないまま、私は今目を覚ましてしまった。


 学校にいたような心地を覚えた。でも、学校には行っていないはずだ。学校に行くことはできなかったはずだ。だから、その感覚はきっと偽物でしかなくて、夢の中で錯覚を覚えただけに過ぎないだろう。


 いつから眠っていたのだろうか。思い出すことができない。とりあえず、今の時間を確認するために、傍らに置いてあった携帯電話を開こうとして、やめた。


 やめた、という意識をした瞬間に、ぶり返したような悪寒と吐き気が身体の中に反響する。


 夢じゃない。夢じゃない。これは、夢ではない。明らかに、錯覚しようもないほど、これは夢ではない。現実、現実現実現実。


 現実でしかないから、あった事実だけが頭の中に反芻してしまう。


 現実感を覚えることを止めたかった。止めるために、また携帯を開こうとするけれど、翔子ちゃんから届いた通知を思い出して、目を逸らすことができないでいる。


 どこまでも嫌な記憶として、朝の記憶が頭にわだかまる。その反芻は止まらなくて、何を行動しようとしても、俊也の顔が、寂しそうな俊也の顔が浮かんでは消えない。


『応援するよ』


 私と悠太が彼に言葉を告げた後、何もかもをかみ殺したような表情で私たちを見つめる姿が、瞼の中に投影される。


 あの言葉を吐かせたのは誰だっただろうか。あれをしたのは誰だっただろうか。


 あれを行ったのは、どうしようもなく、私たちでしかない。


 ……いや、私だ。私しかいない。


 悠太は何も悪くない。悠太は、ただ私に好意を示しただけであり、それを利用するように振舞ったのは、私でしかない。


 私が、その好意を受け止めなければ、俊也の現在はどうなっていただろうか。少なくとも、彼が寂しそうな顔を、噛み殺すような表情をとることはなかったはずだろう。


 自分の感情を把握できない。後悔の気持ち、吐き気を覚える心地、罪悪感というものでおさまらないほどの感情。瞼を閉じても、開いても、どこまでも暗い世界が私を包んでいく。


 



 なにもできない。


 なにもできないでいる。


 なにか行動を起こすことはできない。


 なにか行動を起こせば、その行動の裏で死んでしまった彼の顔が浮かんで消えない。


 どこまでも、彼のことが消えることはない。


 どうしても思い出す。思い出すたびに吐き気がこみ上げる。その嘔吐感を殺すことはできなくて、視線を逸らすこともかなわない。


 すべてを忘れるために、今だけでも何か視線をそらすために行動をするべきかもしれない。そんなことを頭の中で理解しているけれど、結局、何もできずに佇むのみだった。


 布団の温もりが恨めしい。


 彼はもう、この温もりに浸ることはできない。


 カーテンを避けて刺さる日光の眩しさも、彼にはもう届かない。


 朝が来る。朝がやってくる。逃げられない朝がやってくる。彼はもういない朝が、私だけがのうのうと生きる時間が、これから続いていく。


 諦めたような気持ちになって、私は記憶の中に深く潜る。


 いつも不器用で、無表情に近い顔。それでも、私と関わってくれるときは笑顔でいてくれて、楽しかったということを示す仕草。感情を表に出すことなく、嫌という気持ちもはっきり出さないない。だから、私の提案や言うことを何でも聞いてくれて、それを私は優しく振舞ってくれたと勘違いした。


 そんな彼が私たちの告白を聞いて、私の勝手な自作自演を見て、寂しそうな顔をしたのだ。


 感情を表に出さない彼が、そんな表情を選んで、言葉を吐いたのだ。


 あの時、あの当時、私は彼に何を思っただろう? 私はどんな感情を抱いた?


 彼に対する罪悪感だっただろうか。申し訳ないという気持ちだっただろうか。彼に対して罪を覚えるような感情を抱けただろうか。


 そんなことはない。


 そんなことは微塵も抱かなかったはずだ。


 ──優越感。


 あの時、私が感じた心は、どうしようもないほどの優越感であり、高揚感だった。


 ただただ優越感に浸っていた。


 彼が私のことを思ってくれている。その優越感に浸った。その表情を、言動を、そう解釈した。彼が私に対して好意を抱いてくれている。そう思わずにはいられなかった。 


 笑みがこぼれそうになった。でも、それをするのは悠太や俊也に対しての罪だ。だから、平然と装った。平然を装って、その上で彼に、ごめんね、と言葉を吐いた。


 それが、こんな結末を辿ることになるとは思いもしなかった。


 後悔、後悔、後悔。後悔という気持ちではおさまらないほどの、罪悪感。


 彼はもう帰ってこない。


 絶対に帰ってこない。


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