第48話 王家の落日・後編


 人権思想がなく、罪人の命がシングルのトイレットペーパー並に薄っぺらくて軽いせいか、この国では裁判で判決が出てから、実際に刑が執行されるまでの時間がやたらと短い。


 それこそ、一昨日今日刑を言い渡されたばかりのヤリチンが、今まさに王都の広場で処刑されようとしているくらいには。

 

 王都の住人達も、今回の処刑には相当エキサイトしているようで、換気の為に窓を開けているとはいえ、今現在私が帰り支度の為に荷造りしている、王城2階にある貴賓室にまで、群衆の上げる声が聞こえてくる。


 流石に何を言ってるのかまでは分からないが、声の調子からして、怒号と罵声がその大半を占めていると見て間違いなさそうだ。


 聞いた話によると、奴は王侯貴族が処刑される際の定番である、毒を混ぜたワインを呷る薬殺刑ではなく、群衆の前で首を吊らせる、公開絞首刑に処されるらしい。


 しかし、一国の主が公開処刑されるってだけでもこの上ない不名誉なのに、更にその手法が絞首刑とはね。

 ぶっちゃけ絞首刑って、最底辺の凶悪犯を処刑する時に用いられる処刑法だよ?

 クズ王によって斬首刑に処せられた、先々代の王と王妃よりも酷い殺され方だわ。


 まあでも、それもやむを得ない話か。

 自分と自分の腰巾着が優雅な暮らしを送る為に、馬鹿みたいな勢いで増税したり、街の綺麗どころを無理やり召し上げたりと、散々好き放題やったんだから。


 中には、あまりに過度な重税を課せられたせいで生活できなくなり、一家離散や一家心中の憂き目にあった平民も結構いたらしいし、最も不名誉で惨たらしい死を、と望む人達が出てくるのも、当然の事なのかも知れない。




 元から大して荷物を持ってきていなかったので、さして時間もかからず荷造りは終わった。

 後は、へリング様が厚意で用意してくれた馬車に乗り込むだけ。

 色々と面倒をかけたお詫びに、という名目で、ザルツ山のふもとまで送ってもらえる事になっているのだ。


 本当は、モーリンに念話でお願いすれば、すぐに精霊の小路を開いてもらえるし、そこから一瞬で村に帰れるけど、精霊の小路の事を誰彼構わず話したくないので、今回はへリング様のお言葉に甘える事にした。


 ここ10日余りの滞在と交流で、へリング様や、へリング様の奥さんのクローディア様の事は信用できると思えるようになったが、だからと言って、へリング様達の近くにいる人間全てを信用できるかと言われると、そうでもないからね。


 さて、そろそろ部屋から出ようかな、と思いながら大きく伸びをした時、控えめにドアをノックする音が聞こえてきた。


 もしかしていつもの侍女さんだろうか、と思い、ドアの向こうに「どうぞ」と声をかけると、予想外の人物が入室してくる。

 淡いライトグリーンのドレスを着たクローディア様だ。

 今日も美人で素敵な淑女っぷりでいらっしゃる。


「ご帰宅の為の準備でお忙しい所、失礼しますわ」


「あ、いえ。もう帰り支度は終わってますので、お気になさらず。けど……どうかなさったのですか? もしかして、何か問題が起きたとか……」


「いいえ。何も問題は起きていませんから、心配なさらないで? 私はただ、あなたとお話がしたかっただけですから」


「話、ですか? 私と?」


「ええそうですわ。……所で、あなたはウルグス王の処刑には立ち会わないのでしょうか? 他の貴族達が気にしていましたけれど」


「はい。こう言ったらなんですけど、私はあんなしょうもないヤリチンクズの首吊りショーになんて、興味ありませんから。どうせ、後悔も反省もしないんでしょうし、勝手に1人で地獄に落ちればいいんです。私の知った事じゃありません」


「あらあら。……ふふっ、でも、確かにそうですわね。あの方は他人を逆恨みするばかりで、反省なんて微塵もなさらないでしょうね」


 クローディア様は私の発言に気を悪くするどころか、口元に手を当てて、おかしそうに笑った。


「まあ、そのおバカさんの事はさておくとして。あなたには一度、秘密裏に確認しておきたい事があるのです。あなたとあなたのお友達の、リトス様の事について。


 今回の一件であなた達と出会ってすぐ、旦那様はなにか引っかかりを覚えられたらしくて、密かに過去の記録を調べておいでだったそうなのですが……あなたは元々、9年前にお取り潰しになったケントルム公爵のご息女で、リトス様は先々代の王によって廃嫡された第2王子殿下なのではないか、と、旦那様はそう仰られているのです。本当の所は、どうなのでしょうか」


「……。……ええ、その通りです。私は元ケントルム公爵令嬢で、リトスはこの国の第2王子でした。私もリトスも邪悪なスキルの持ち主として、追放された子供です」


「やはりそうでしたか。――ああ、勘違いなさらないでね? 別に私も旦那様も、かつての教会の判断に従って、あなた方を糾弾したいと思っている訳ではありません。ただ……もう、王都へ戻られる気はないのか、と思って。


 此度の一件で旦那様からの報告を受け、あなた方の出自と精霊の加護を受けている事を知った司教様が、9年前の判断は誤りであったのではないか、と教会内部で訴えておられるのです。当然、それを支持する者達も多く出始めていますわ」


 つい自嘲気味な言葉を吐き出してしまった私だったが、クローディア様はそんな私を真っ直ぐに見据えながら言葉を続ける。


「ですから、もしあなた方が王都へ戻ろうと思われるなら、我がへリング筆頭公爵家はそれを全面的に支援する所存です。


 そもそもケントルム公爵家がお取り潰しになったのは、後継者となる者も、家名を引き継ごうと名乗りを上げる者もいなかったからであって、かつてのケントルム公爵家自体に、爵位を取り上げねばならないほど、重大な過失があった訳ではありませんもの。


 ケントルムの血を受け継ぐあなたが戻られるのならば、ケントルム公爵家を再興する事は、さして難しくありませんわ。それに、王家の直系の血筋たるリトス様のお戻りは、臣民にとって新たな希望の光にもなるはず。……いかがでしょうか?」


「……すみません。ここまでわざわざお出で頂いた上、こんなにもお言葉を尽くして頂いておきながら、大変申し訳ないのですが……私はもう、王都へは戻りません。

 王都に戻って家を再興するには、私は平民として長く生き過ぎました。今更、上位貴族としての慣習や常識には馴染めないでしょう。リトスがどうするかは、分かりませんが……」


 話をしているうち、なぜかリトスの顔がちらつき始め、胸苦しくなった私は、クローディア様を直視できなくなり、うつむきながらそう述べる。

 しかしクローディア様は穏やかな声で「どうか気になさらないで」と仰った。


「むしろ、謝らなければいけないのは私の方です。なんとなく分かっていました。あなたが上位貴族としての栄華になど、もう全く興味も未練もないという事は。それなのに、昔の話を蒸し返してしまって、申し訳なかったと思っています。


 どうか安心して下さい。実は昨日、旦那様がリトス様と直接お話をされて、王都へお戻りにならないか打診されていたのですけど、リトス様も王都へのご帰還を拒否されたそうですわ。今、あなたが仰られたのと、ほとんど同じ理由で」


「……そ、そう、でしたか……」


「ええ。――私の勝手な事情で、長話に付き合わせてしまいましたね。そろそろ王城の外へ参りましょうか。きっとリトス様……いえ、リトスもあなたを待っていると思いますわ」


「……はい」


 穏やかな淑女の笑みを浮かべるクローディア様に、私は少しばかり苦笑しながらうなづき返す。

 クローディア様がリトスの呼び方を改めてくれた瞬間、なんでか分らないが私はとてもホッとしていた。

 それこそ、安堵のあまり腰が抜けてしまいそうなほどに。



 潰された喉と、強引に縫い合わされた唇の痛みに、声にならない声を漏らしながら喘ぐウルグスは、引きずり出された場に広がる、憎悪と怨嗟えんさに満ち満ちた空気と大音声に、大きく顔をしかめた。


 なぜ、どうしてこんな事になった。

 ウルグスは思う。

 性悪な姉に疎まれ蔑まれ、得るはずだった地位をも奪われて、僻地の片隅で燻っていた自分を見出した前王は、あれほどまでに自分を買ってくれていたのに、と。


 お前はこの国を統べるに相応しい、威風堂々たる存在だと。

 お前はこの国の全ての者から敬われ、傅かれるに相応しい存在だと。

 お前はこの国の誰より高貴で、やがて歴史に名を刻む存在になるだろうと。


 前王は確かに、確信をもって王の資質を保証する、お前には世の全てを手に入れる資格があるのだと、そう言ったのだ。

 だというのに、前王がいなくなった途端自分をないがしろにし、命に従わなくなったばかりか、このような屈辱的な扱いをするなど、どういう了見なのであろうか。


 なにより、王たる自分がこのような憂き目に遭わされているというのに、なぜこの平民共は他の貴族や兵士共に抗議をしない。なぜ自分を救い出そうとしない。

 なぜ、王たる自分を不敬にも睨み付け、揃いも揃って罵詈雑言を浴びせかけている。

所詮自分の所有物にしか過ぎない分際で、なぜ。


 昨夜、通信用魔法具で久方振りに顔を見て、声を聞いた愚姉ぐしなど、自分を庇うどころか酷い暴言を吐いてきた。


――このような、人としての道理を弁える事さえできない、恥を恥とも思わぬ愚物など、もはや弟でもなければ辺境伯家の人間でもない。さっさと首を落として終わらせてもらいたい。

 無論、我がオヴェスト辺境伯家は処刑後の死体など引き取らぬ。その辺に打ち捨てて、獣のエサにしてやって頂いて結構だ、と。


 愚姉の口から吐き出された、あまりの暴言に堪りかねたウルグスは、絶対的な自信を以て、ここぞとばかりに言い返してやった。


――血を分けた実の弟を、下らぬ屁理屈で配下の手にかけさせようなど、血も涙もない悪魔とは、貴様のような女を指す言葉なのだろう。なんと恐ろしい女だ。


 そのような女など、辺境伯家の当主として相応しくない。即刻その座から引きずり下ろし、俺の代わりに首を刎ねるべきだ。さすれば俺が王都の臣民にしたように、辺境領の領民にも慈悲をかけ、全て俺の所有物として重宝してくれよう――と。


 だが、その言葉を聞いた途端、愚姉どころか周囲を固めていた衛兵や騎士、神殿の神官や貴族達の、自分に向ける目つきが一層険しくなった。

 挙句、妄言を吐き散らすしか能のない口や、それを素通しにするばかりの喉など不要であろう、どうせ明日の昼にはこの世を去るのだから、と誰かが言い出し――


 ウルグスは力任せに押さえ付けられた末に万力で喉笛を潰され、あまりの激痛と衝撃でただはくはくと開閉するばかりの口を、無理矢理縫合されたのだった。


 そして今。

 無惨な姿にされ縛り上げられたウルグスの眼前には、上から垂らされている麻縄の輪がある。

 この麻縄の輪が何の為にここにあるのか。

 その程度の事ならば、今のウルグスにも十分理解できた。


(おい! やめろ! やめてくれ! 死にたくない! 誰か助けろ! 俺を誰だと思ってるんだ! あああ、嫌だ嫌だ嫌だ!!)


 力づくで首を縄を掛けられながら、ウルグスは必至に呻いて身を捩るが、それで逃れられるほど処刑人達も甘くない。


 やがて、合図によってウルグスの足元の板が左右に割れて開いた。

 当然、ウルグスは自重の全てを己の首ひとつで受け止める事になる。

 麻縄の輪が容赦なく首に食い込み、気道を完全に塞ぐ。


(あ゙あ゙あ゙あ゙ァッ! ぐるじぃ! だずげで……っ、ぢぢうえ、はは、うえ゙……っ)


 自身が脳裏で叫んだその言葉を最後に、ウルグスの意識は闇に沈んだ。



 それからどれほどの時間が経ったか。

 ウルグスはなぜか、白一色に埋め尽くされた空間で意識を取り戻した。

 しかし、なぜか声も出なければ身体も動かない。


(……俺は、一体どうなった? もしや、誰か心ある臣民が俺を救って――)


 ウルグスが都合のいい事を考え始めた時、どこからともなく人の話し声が聞こえてきた。


――あー、えぇと……。こいつの名前は……ウルグス・オヴェストね。んで、罪状は、暴行、脅迫、搾取、誘拐、監禁、強姦に、間接的殺人その他諸々と……。


――はぁ……。資料によれば、生まれ変わる前もあんまりまともな人生送ってなかったみたいですけど……。一体どこをどうすりゃ、こうまで性根の捻じ曲がったクズに成り下がれるんでしょうねえ。


――私に分かる訳ないでしょ、そんな事。ていうか、こいつどうするの? ここまでやりたい放題やらかしてたんだし、このまま輪廻の輪の中に戻すのは無理よ?


――分かってるって。魂が汚れ切ってドブみてぇな色になっちまってるし、これをそのまま輪廻の輪に戻そうとするほどいい加減じゃねえよ、私も。とりま、虫に転生させるのが一番ベターだろ。


――そうねえ。んじゃあひとまず、スズムシかカマキリのオスに転生させましょ。


――スズムシかカマキリ? あなたも、えげつない事サラッと言いますよね。どっちも産卵期に、オスがメスに喰われちゃう虫じゃないですか。


――何言ってるの。そういうあなたは甘過ぎよ。儚い運命を持つ虫に生まれ変わるからこそ罰になるんでしょ。


――そうそう。第一、ちゃんと心を入れ替えれば、そのうち虫から小動物に生まれ変わるようになって、いずれは人の輪廻の輪に戻れるようにもなるんだから、温情のある罰じゃねえか。


――まあ、確かにそうですね。あくまで、心を入れ替えられれば、ですけど。


――それじゃ、仮称ウルグス・オヴェストの来世はカマキリに決定。当然、前世の記憶は保持させたまま、という事で。OK?


――はい。異論ありません。


――右に同じく。


(――は? え? な、なんだ、なにがどうなっている? 来世がカマキリ? 俺が??)


 ウルグスが状況を飲み込めずうろたえていると、視界が突然白から黒へと塗り潰され、声も音も聞こえなくなる。

 神々から新たに与えられた、地獄の半生の幕開けがすぐそこに迫っている事にも気付かないまま、ウルグスはただ、暗闇の中でまごつき続けた。

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