第20話 公爵家姉妹の在り様・前編



 エフィーメラは、レカニス王国にある6つの公爵家のうち、3番目に大きな公爵家に生まれた。

 自分を甘やかしてくれる優しい両親に大切にされ、何でも言う事を聞く使用人と侍女達にかしずかれ、何不自由なく育ったエフィーメラは、何でも持っていた。


 豪華で綺麗な広い部屋に見合う調度品も、可愛いドレスと装飾品も、ただ一言両親に、「欲しいものがあるの」と言っておねだりすれば、何でも買ってもらえる。

 金銭と引き換えにできるもので、手に入れられないものは何もない。

 それがエフィーメラの『当たり前』だった。


 しかし、そんなエフィーメラにも手に入らないものはあった。

 それは姉だ。自分を都合よく構ってくれる、都合のいい性格の、都合のいい容姿をした、都合のいい姉。


 エフィーメラはそんな姉が欲しかった。

 だが、実際のエフィーメラの姉は、エフィーメラの理想とは真逆の存在で、いつもいつもエフィーメラの神経を逆撫でしてくる。


 2つ年上で母親違いの姉・プリムローズは、同性であるエフィーメラの目から見ても、目の覚めるような美しい容姿をしていた。


 透けるような白い肌。愛らしい小さな顔。ぱっちりとした二重の瞳。ほどよい厚みを持った珊瑚のような唇。

 緩やかに波打つ燃えるような真紅の髪と、宝石のような深緑色の目が、元から整っている容姿を一層華やかに見せ、魔力の高さゆえに持つ黄金色の右目は、いっそ神秘的ですらあった。


 何もかもが、姉の元からの美しさを更に際立たせている。

 父と同じ、地味な焦げ茶色の髪と琥珀色の目しか持っていない自分とは大違い。

 だからエフィーメラは、そんな姉の事をずっと妬ましく思っていた。


 おまけに姉は、エフィーメラと2つしか違わないのに、恐ろしく頭がよかった。

 姉は、普段は父も近付かない屋敷の図書室にいつも入り浸って、挿絵もない、なにが書いてあるのかさっぱり分からないような、難しい本を黙々と読んでいる。


 そんな出来のいい姉が腹立たしくて鬱陶しくて、廊下ですれ違いざまに転ばせてやろうと足を出したが、いとも容易く躱された挙句、射殺すような目で睨まれて、エフィーメラは自分の部屋に泣きながら逃げ帰る羽目になった。

 もし、両親が姉を疎む事なく、エフィーメラと同じように可愛がっていたら、エフィーメラは嫉妬で頭がおかしくなってしまっていたかも知れない。


 エフィーメラが物心ついた時から、姉は屋敷の中で孤立していた。

 自分と違って両親から愛されず、使用人や侍女からも軽んじられ、寄り添ってくれる人間などどこにもいない。

 にも関わらず、姉はいつも涼しい顔で背筋を伸ばして立っている。


 何に媚びる事も臆する事もない、幼くも凛とした淑女の姿がそこにあった。

 そんな姉が、この国で一番偉い王子様の婚約者にまで選ばれた、と聞いた時、エフィーメラがどれほど腸の煮えくり返る思いを抱えたか、きっと姉は欠片も理解できなかっただろう。


 姉は、エフィーメラと違って何にも恵まれず、エフィーメラと比べてろくなものを持っていないのに、エフィーメラには逆立ちしても手に入れられないものを、幾つも持っている。

 その事実がただ羨ましくて妬ましく、そして憎らしかった。



 そんな毎日に転機が訪れたのは、エフィーメラが8つになった時の事。

 エフィーメラにとって目の上のこぶとも言える姉が、国を滅ぼす悪魔の烙印を捺され、第2王子と共に王都を追放されたのだ。

 しかも、追放された姉の代わりに、自分に第1王子の婚約者としての立場が巡ってきた。


 天にも昇る思いというのは、きっとこういう事を言うに違いない。

 エフィーメラは、これでもっと幸せになれると思ったが、その考えとは裏腹に、その日を境に何もかもが上手くいかなくなった。


 喜び勇んで城へ行けば、肝心の婚約者の王子には全く会えず、ようやく顔を合わせられたかと思えば、理不尽に殴られる。

 それを理由に屋敷へ泣いて帰っても、母と父は病に倒れて構ってくれなくなり、いつもは姉の後ろについていく形で参加していた、よその家のお茶会でも、1人で参加した途端、あっという間に爪弾きにされ、それ以降、お茶会の招待状は届かなくなった。


 エフィーメラはただ、よその家の令嬢や令息達に色々な事を話しただけだ。

 これまで姉と付き合いがあったらしい何人かに、姉がいかにろくでもない人間なのか教えてあげようと思い立ち、盛りに盛った姉の悪口雑言を並べ立て、嫌味でずるい姉が、悪魔呼ばわりされて王都から追い出されて清々した、という事を、ニコニコ笑って楽しく話しただけだったのに、一体なにが悪かったのか。


 疎外される理由が分からないエフィーメラは、きっとみんな、第1王子の婚約者になった自分を妬んで、仲間外れにしているのだろうと、内心で憤慨するばかりだった。


 そこから更に悪い事は続く。

 病から快復したはずの両親は、得体の知れない包帯まみれの姿で現れ、その後、早朝に起こされて馬車に乗せられたかと思えば、暴徒達に襲撃されて両親とはぐれ、ふと目覚めれば、どことも知れない場所に転がされていた。


 薄暗くカビ臭い、冷たい石畳と石壁、金属の檻で囲われた気味の悪い場所だ。

 そこでエフィーメラを待っていたのは、人の心をどこまでも容赦なく踏みにじる、残酷な悪党達だった。


 少しでも口答えすれば、蹴られ、殴られ、鞭打たれる。

 その合間に浴びせられるのは、理不尽な嘲笑と暴言。

 無理矢理押さえ付けられ、遊び半分で首を締められた事さえある。

 この世の地獄がそこにあった。


 その後、やっとの思いで奴隷商の元から逃げ出し、貧民街に身を寄せたが、すぐにそこも追い出され、居場所がなくなったエフィーメラは、他の奴隷仲間や貧民街の元の住民達と共に、やむなく王都を離れた。


 寒さと疲労、空腹に苦しみながら、それでも互いに励まし合い、支え合いながら、ひたすら歩き続けること数日。

 やがて、以前話に聞かされていた北の国境近くの山――恐らく姉が最後を迎えたであろう山のふもとに到達した所で、エフィーメラはついに倒れて意識を失った。

 ああ、自分はここで死ぬのだと、内心で覚悟しながら。



 倒れたエフィーメラは、夢の中で何かに追われていた。

 それは、母のドレスと父の服を着た、全身が赤黒いイボのようなもので覆われている醜悪な『何か』だ。

 あまりの恐ろしさに声も出ないまま、エフィーメラは必死に逃げたが、すぐに追いつかれてしまう。


 ――こっチへ来なサい、エふィーメら。いイ子だカら。


 ――そウだ、お前も堕ちテ来い。オ前は、私達ノ娘ダろう。


 ――ソうよ、お前ダけ助かるナんて、認メなイわ……!


 その『何か』は父と母の声を借り、恐ろしい事を言いながらエフィーメラの手足を掴んで、どこかへ引きずって行こうとする。


(嫌! 助けて! 誰か……っ、お姉様……!)


 エフィーメラが思わずそう願った瞬間。

 正面から眩しい光の波が一気に押し寄せてきて、もがくエフィーメラと、エフィーメラの手足を掴む『何か』を飲み込んだ。


 ――ぎゃアああァあぁアあッ!


 ――グあぁあアあァああアッ!


 エフィーメラは何ともなかったが、父母の姿をした『何か』にとっては耐えがたいものだったのだろう。その『何か』は、聞き苦しい悲鳴を上げながら光の波に呑まれて攫われ、そのままどこかへと消えていった。

 その様を茫然と見ていると、また意識が遠くなって、勝手に瞼が閉じていく。


 一度水底に沈んだ身体が浮き上がるように、急激に意識が覚醒する。

 まだ重い瞼をノロノロと開けた直後。

 エフィーメラは目の前に懐かしい顔を見た。


 かつてはあれほど嫌っていた、綺麗で妬ましい姉の顔。

 だが、なぜか今のエフィーメラにはその姉の顔が、何より尊く麗しい、光を纏う清廉な女神のように見えた。



 翌日の朝。

 いつもより早く起き、いつもより早く朝食を取り終えた私とリトスは、再び難民キャンプへ向かい、炊き出しの手伝いもそこそこに、エフィーメラが寝かされているテントへ向かった。


 村の人達が気を遣って、昨日の今日で妹が心配だろうから早く行ってやれ、と、見舞いの優先を許してくれたのだ。

 みんなの心遣いに感謝しつつ、穏やかな寝息を立てるエフィーメラの傍に付き添い始めた直後、小さな呻き声と共に、エフィーメラが目を開ける。


「……。ん……ぁ……おねえ、さま……? どうして、死んだお姉様が……? 私、死んだの……?」


 勝手に殺すな。バカちんが。病み上がりの小さな子供じゃなかったら、デコに一発喰らわしてる所だからな。お前。


 私は内心で、まだぼんやり寝ぼけている風のエフィーメラに突っ込みを入れる。

 でもまあ、そんな風に思うのも当然か。

 実際、ここは秋の初めの頃からやたらと寒かった。


 偶然手持ちのスキルの使い方が判明しなければ、ここに放り込まれたその日のうちに、リトス共々凍死していただろう。

 私もリトスも、本当に運がよかったのだ。


「死んでないわよ。ちゃーんと生きてます。私もあんたもね。……体調はどう? 起き上がれそう?」


「……。うん……。大丈夫みたい……。昨日はあんなに、身体中痛くて苦しくて、辛かったのに……全部治ってるわ。どうして……」


「それはモーリンの……森神様のお慈悲のお陰よ」


「もりがみさま……?」


「それについては後でね。それより、お腹空いてない? 今外で、村の人がご飯作ってくれてるんだけど、食べられそう?」


「……お腹……空いてる」


「そっか。じゃあ、ちょっと行ってもらってくるから、待ってて。リトス、手伝ってくれる?」


「分かった」


 私はリトスと一緒にテントの外に出て、急病人用の朝ご飯を作ってくれていたアンさんと、その手伝いをしていたトリアから、『鶏パン粥』なるものをもらってきた。


 鶏パン粥とは、軽い風邪を引いた時などに食べる滋養料理だそうで、鶏がらで取った出汁のスープの中に、みじん切りにした玉ねぎ、皮と脂身を除いた鶏肉を入れてじっくり煮込み、仕上げにミルクと柔らか目に作ったパンを投入したのち、沸騰させないよう軽く煮て作る、らしい。


 エリクサーのお陰で、急病人も全員体調が戻ってるはずだが、「今日1日は念の為、病人食で様子を見るように」とお医者の先生に言われた為、婦人会の人達みんなで、昨日の内から仕込んで作ったらしいけど……かなり手間のかかる料理だよね、これ。

 婦人会のみなさんの働きとお気遣いには、本当に頭が下がるばかりです。


 あとはあれだ。自他共に認める食いしん坊としては、やはり肝心の味が気になる所なので、ちょこっと味見させてもらったら、見た目よりずっとあっさりしていて優しい味だった。


 出汁の味は濃過ぎず薄過ぎず、絶妙なラインの中に収まっている。

 ただし、病人食らしく塩味は控えめ。玉ねぎは、ほとんどスープの中に溶け込んでいて原形がない。鶏肉も柔らかく煮込まれていて、あまり噛まずとも口の中でホロホロと解れていく。


 ミルク以外に鶏肉が足されているからか、なんだかほんのりシチューっぽくって美味しい。個人的には、デロデロになったパンの食感が気になるけど、そこはまあ、パン『粥』なのでやむを得ないだろう。

 あくまで病人のご飯だからね。これは。


 ひとまずその鶏パン粥を、1人前の半量だけ小さな器によそってもらった。

 クリフさんによると、何日も奴隷商の所に捕まっていただけでなく、その後貧民街へ転がり込むように慌ただしく移動したのち、大して休めもしないうちに旅路に就かざるを得なくなったエフィーメラは、その間ろくなものを口にしていないという。

 となれば、すっかり胃が萎んでしまっていて、量のある食事を受け付けなくなっている可能性が非常に高い。


 今無理にたくさん食べさせて、お腹を壊したり吐いたりさせては本末転倒だ。まずは消化にいいものを少量ずつ、回数を分けて食べさせて、胃の大きさと消化力を戻していかないと。


 場合によっては、消化を助けるハーブを使ったハーブティーを飲ませる事も考えよう。

 そんな事を思いながら、私は水差しとコップを持ったリトスと一緒に、再びエフィーメラの所へ戻った。


「お待たせ、エフィーメラ。ご飯持ってきたわよ。多分、今あんたの胃は弱って小さくなってるだろうから、ちょっとの量だけもらって来たけど……もし食べられそうなら、遠慮しないでお代わりするのよ」


「……。うん。……ねえ、お姉様は? お姉様はご飯、食べないの?」


「私は、ここに来る前に食べたわ。だから、私の事は気にしないで食べなさい」


「……うん。いただきます」


 え、頂きます? 今、頂きますって言った? エフィーメラ。

 食事を邪魔したくなかったのでなんとか平静を装ったが、私は内心驚いていた。

 なんせあの毒親共、どっちもエフィーメラの事を猫っ可愛がりするばっかでろくに躾もしてなくて、基本的な挨拶さえ教えてなかったから、邸で暮らしてた頃には挨拶してる所なんて、一度も目にした事がなかったのだ。


 ああ、思い出したらムカついてきた。

 つーかさ、躾ってのはそもそも、先々子供が社会で自立して生きてく為には、絶対的に欠かせないものでしょうよ。


 だってのにあいつらは、その必須事項を目先の事しか見えてねえ浅い考えで、全部まるっとないがしろにしやがって。クソッタレ共め。


 自分の子供の将来と行く末をなんと心得る。

 ホンットにろくでなしだったよ、あの両親は。

 半永久的に地獄で反省し続けろ。


 でも、今こうしてちゃんと、自発的に頂きますが言えるようになっててよかった。

 ひょっとしなくても、クリフさん達に教わったんだろうな。

ここへ来るまでの間、辛い思いを本当にたくさんしたようだけど、それでも学ぶべき事を学べた事だけは、不幸中の幸いと言っていいのかも知れない。


 私がそんな風にあれこれ感慨深く思っていると、スプーンでゆっくり鶏パン粥を口に運ぶエフィーメラの目から、ポロポロと涙が零れ始めた。

 思わずギョッとしたが、自分で自分に、落ち着け、と言い聞かせる。


 隣に座ってるリトスも動揺したのか、ちょっとあわあわしながら、小声で「どうしよう」って訊いてくるけど、敢えて緩くかぶりを振りながら、「どうもしなくていいし、何も言わなくていいよ」とだけ言っておく。


 エフィーメラにも色々と思う所があるんだろう。

 変に騒いで食事の邪魔をしちゃいけない。

 でもとりま、身体に変調がないかどうかだけは訊いておくけど。


「ええと……。どうしたの? どこか痛い?」


「……っ、ひっく……。ち、ちが、の……。あのね、あったかいの……。あったかくて、美味しいの……っ」


「……そっか。美味しく食べられてよかったわね。でも、喉に詰めないように、ゆっくり気を付けて食べるのよ?」


「う、うん……っ」


 その後もエフィーメラは涙を零しながら、小さな器に盛られた鶏パン粥を、ゆっくりと噛み締めるように食べ続けた。




 エフィーメラは案の定、半人前の量の鶏パン粥を食べただけで「もうお腹いっぱい」だと言い出した。やはり胃が萎んでしまっているんだろう。

 なので、それ以上無理に食事を勧める事はせず、代わりにハーブティーを一杯だけ飲ませておいた。

 さっき考えてた、消化を助ける作用があるハーブティーだ。

 テントの外に出て、こっそりスキルで出したやつだけど。


 もっとも、身体の方はエリクサーのお陰で元気になってるはずだし、上手く胃が動いてくれれば、あと数時間もしたらまたお腹が空くはず。そしたらまた、さっきの鶏パン粥を温めて持って行こう。


 それまでは、お風呂で身体を洗……うのは、人数的にちょっと無理か。桶にお湯張って、清拭するのが限界だな。うん。

 でも、どうにか頭だけは洗わせてあげたい。


 みんな誰も何も言わないけど、本当はべたべたして気持ち悪いと思ってるはずだし、場合によってはシラミが湧く事だって考えられる。

 それは衛生管理の観点からもよろしくない事だ。


 沸騰した湯を水で割って温度を調整すれば、頭を洗うお湯くらいはなんとか確保できるんじゃないかと思い、ピアさんに相談したら、すぐに色よい返事をもらえたが、まずは先に身体の清拭を、言われたので、ひとまず桶にお湯をもらい、それを持ってエフィーメラの所へ戻った。


 無論ここでのリトスの役割は、テントの外での待機一択だ。

 エフィーメラもリトスもまだ8歳だけど、それでもエフィーメラは男の子に裸見られるの、普通に嫌がると思うしね。ここは私1人の出番でしょうよ。


 しかし、私が呑気に構えていられたのは、清拭の為にエフィーメラが服を脱ぐまでだった。

 エフィーメラの身体の背面部――背中から尻にかけての皮膚に、何度も手酷く鞭打たれた跡が、何十か所と残されているのを目の当たりにし、私は言葉を失う。


 さっきの食事中、躾の面での改善が見られた事を理由に、ここへ来るまでのエフィーメラの境遇の中に少しでも光を見た自分を、殴ってやりたい気分になった。

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