第16話 崩壊の序曲、王都の動乱
ケントルム公爵家の家紋を戴いた豪華な馬車が、軽やかな音を立てて
互いに対面に座っていながら、まるで口をなくしてしまったかのように黙り込み、一切言葉を交わそうとしない父母の姿を尻目に見ながら、エフィーメラは元から小さな身体を一層小さく縮こまらせていた。
エフィーメラは考える。
どうしてこんな事になったのだろうか、と。
思えばあの日……腹違いの姉が追放されたあの日から、色々な物事が急速に狂い始めたように思う。
姉の代わりに婚約を結んだはずの美しい王子は、その実暴力的で恐ろしい人だったし、婚約者に暴力を振るわれて泣きながら戻った家では、その日のうちに母が体調を崩して寝込み、数日後には父が倒れた。
使用人が言うには、風邪を引いた、という事らしいが、その割に何日も熱が下がらず、病床を見舞う事も許されない。
それから1週間以上経った頃になって、ようやく父母は姿を見せたが、どちらも顔やら腕やらに包帯を巻いていた。感情どころか表情さえも伺えないほど、分厚く巻き付けられた包帯の隙間から見えるのは瞳だけだ。
包帯の隙間から覗く双眸に見据えられた途端、エフィーメラは思わずその場から逃げ出した。
白い布の間からこちらを凝視してくる父母の眼差しが、酷く恐ろしかったのだ。
そして、異様な姿となった父母と顔を合わせた数日後。
突如父から「領地の外れにある別荘へ行く」と聞かされたエフィーメラが、身支度もそこそこに室内から引っ張り出され、4頭立ての大きな馬車の車内へ押し込まれたのは、まだ夜が明けて間もない早朝の事だった。
寝ぼけまなこを擦りながら父と馬車に乗り込めば、そこには既に、外出用の簡素なドレスを身に着けた母が身を置いていた。
馬車の床には、大小さまざまな大きさのトランク、カバンなどの荷が積み込まれ、足の踏み場がほとんどない。
なぜ、こんな時間に領地の外れへ出発するのか。
なぜ、馬車の中にこんな大荷物を積み込んでいるのか。
なぜ、父も母も顔や手に包帯など巻いて肌を隠しているのか。
エフィーメラの頭の中は疑問で溢れていたが、なにも問えなかった。
馬車が出る直前、父が発した「お前はいい子だから、口答えしないでくれるね?」という一言が、恐ろしかったから。
口調はいつものように柔らかかったが、酷く低く、奇妙にしわがれているその声色に、言いようのない圧を感じたのである。
一切会話のない、重苦しい空気にひたすら耐えながら、どれほどの時間馬車に揺られていただろうか。
早朝からの移動で眠くなり、うつらうつらし始めていたエフィーメラは、不意に襲ってきた大きな揺れと、複数の馬のいななきによって叩き起こされた。
「どうした! 何が起きた!」
馬車の椅子から腰を浮かせた父が、御者に向けて鋭く問うが、返答はない。
返事の代わりとばかりに聞こえてきたのは、馬車のドアが外側から硬い何かで殴り付けられる音。次いで、ドアが大きくひしゃげてメキメキと恐ろし気な音を立て、馬車の外が一気に騒がしくなった。
ヒステリックな甲高い声や、ガラの悪い低い声が幾つも折り重なって入り交じっている。もはや誰が何を言っているのかほとんど聞き取れないが、小さな耳が辛うじて拾った声は、父への悪意と憎悪に満ちていた。
――出て来いケントルム公爵! このクズ野郎!
――俺らが食うにも困ってるってのに、なにしてやがった!
――自分達だけ逃げる気か! ふざけるな!
――お前ら貴族のせいで、街はもう滅茶苦茶だ!
――責任を取れ! 見て見ぬ振りなんて許さねえぞ!
(この人達、なにを言ってるの? 逃げるって? 責任ってなに? お父様がなにをしたって言うのよ!)
理不尽な罵声に憤って身を乗り出しかけたエフィーメラを、母が「やめなさい!」と叱責して腕の中に抱き込む。
「だってお母様!」
「外にいるのはみんな野蛮人なのよ! 危ないから大人しくしていなさい! きっと、すぐに警備の兵が来てくれるわ! そうよ、すぐに……っ」
母の腕の中、訳も分からないまま身を固くしていたエフィーメラの眼前で、ついに馬車のドアが叩き壊され、蝶番ごと馬車の車体から剥ぎ取られる。
それと同時に、外から伸びてきた幾つもの手に身体を掴まれ、父が馬車の外に引きずり出された。
衝撃的な光景に目を見開いたのも束の間、次の瞬間には、エフィーメラも母諸共馬車の外へ引きずり出される。しかし、力づくで外へ出されたせいで力が緩んだのか、エフィーメラは母の手から離れ、地面に転げ落ちた。
「い、痛いっ! お、お父様! お母様……っ!」
期せずして転がる羽目になった、硬い地面から見上げた外。
そこに数え切れないほどの平民達の姿がある事と、平民達の誰もが自分達を酷く睨んでいる事に気付いたエフィーメラは、思わず「ヒッ!」と短い悲鳴を上げた。
「あなた! どこなのあなた! 助けて! このっ、離しなさい無礼者! 私を誰だと思って……きゃあっ! 痛っ、痛いっ! 離せ! はなっ……いぎゃああッ!」
そう遠くない場所から、母の悲鳴が聞こえる。
やがて、地面に落とされた痛みと恐怖で震え上がり、その場にうずくまっていたエフィーメラの眼前に、大きな足がぬっと現れたかと思うと、その足がエフィーメラの身体を蹴り飛ばしてきた。
「あぐッ!」
力任せに蹴られた小さな身体が、まるで木っ端のように吹き飛ぶ。
そのまま地面をゴロゴロと転がったエフィーメラは、路地の壁に叩き付けられた。半分意識が飛んで、ついに指の一本も動かせなくなったその耳に、話し声が聞こえてくる。
――おい見ろよ。ガキの方はザクロ風邪に罹ってねえみたいだぞ?
――へえ。公爵が大事に匿ってたからなのかねえ?
――ツラが無事だってんなら、身ぐるみ剥いで売り飛ばそうぜ。
――お、いいねえ。親の罪滅ぼしとして、当面の酒代に化けてもらうか
――貴族のガキは見た目がいいからなぁ。きっと高く売れるぜ?
複数の男達の下卑た笑い声が耳朶を打つ。
その記憶を最後に、エフィーメラの意識は闇に沈んだ。
陽が昇り切った同日の朝。
王城に、ケントルム公爵一家が早朝、馬車での移動中に暴徒の襲撃を受けた事と、襲撃によって公爵夫妻が死亡した事。そして、公爵の娘であり、王太子の暫定的な婚約者でもあった令嬢が行方不明になった、という一報が届けられ、報告を受けた王は、即日行方不明になった令嬢の捜索を行うよう命じた。
だが、それはあくまで形だけの対外的な振る舞いでしかなく、令嬢の捜索が本腰を入れて行われる事は、ついぞなかったらしい。
その後王は王太子に勅命を下し、事件を起こした平民の捕縛と、ケントルム公爵家の屋敷の封鎖、警備巡回を行わせた。
王太子が指揮する兵に捕らえられた平民の多くは、王の名の元、状況証拠だけで有罪とされた挙句、王都の広場で見せしめとして処刑され、その様は多くの民の胸中に、現王への強い不満と反発心を植え付けたという。
そして、警備巡回が始まった数日後。
ケントルム公爵家の屋敷から、後に残されていた公爵家の資財を、夜陰に紛れて密かに持ち出す人間が複数名いたのだが――なぜかその事実を知る者は、どこにもいなかった。
◆
シエラ達から知らせを受けた、アステールさん達が私の所へ駆け付けてきたのは、どうにか拳銃と薬莢を始末し終え、白目を剥いて倒れた盗っ人3人組を拘束しようとしていた直後の事だった。
ギリギリセーフって奴です。
なお、私は3人組の拘束に貢献した事は褒められたが、たった1人で盗っ人をどうにかしようとした事に関しては、ちょっと強めに叱られる事になった。
着ていた服が、土やら泥やら草の汁やらで汚れまくってたせいもあるだろう。
もちろん私も、そこについては素直に謝りましたとも。
また、近隣の人達のみならず、こちらへ駆け付ける途中だったアステールさん達も銃声を耳にしていたようで、一体何があって何をしたのか、という事を割とガッツリめに訊かれたけど、「森神様パワーで遠くからやっつけた」の一点張りで最後まで押し通した。
その際、なんだかモーリンが微妙な顔で私の方を見ていたが、そこはそれ。ローストビーフサンド&ローストチキンサンドという、まさしく垂涎モノな袖の下をこっそり渡す事で、平和的に口を噤んで頂いた。
あと、当人ははぐらかしてるけど、やっぱモーリンの奴、村の周囲に『忌み人避け』の結界張るの忘れてたみたいだ。
そこら辺の件について、袖の下を渡しながら遠回しにつついてみた事も、モーリンを黙らせる事に繋がったと見ている。
曲がりなりにも守護神様なんだから、今後はちゃんとして頂きたいもんである。
それから、さっきも言ったが、銃火器の存在は誰にも教えるつもりはない。
例えそれがアステールさん達であってもだ。
きっと、ものの道理ってやつをきちんと分かってる、アステールさん達みたいな人達なら、銃火器をむやみに人に向けるような真似はしないだろう。
当然私だってそうだ。殺傷力の高い武器を短絡的に使って人殺す趣味なんてないし。
でも、私やアステールさんの数世代後、数百年後の人間が、残された銃火器の製造法や扱い方を知った後にどうするか、という所までは分からないし、もし仮にその時、ろくでもない使い方をされていたとしても、もはや土の下で眠っているであろう私達には、どうする事もできない。
だから銃火器の存在なんてもん、誰も知らない方がいいのである。
言うなればそれは、私が元いた世界で発明されたダイナマイトと似たようなものだ。
つーかノーベルさんだって、ダイナマイトを最初に作った時には、自分が良かれと思って作ったブツがやがて戦争に利用されるようになり、夥しい数の犠牲を生む事になるだなんて、想像もしてなかっただろうけど。
きっと今頃ノーベルさんは草葉の陰で、戦争大好きな偉い人達の事を、心底呪っているに違いない。
こんな倫理的な話、人目がないのをいい事に、何の迷いもなく拳銃出して発砲した私が語った所で、なんの説得力もないと思うけどね……。
まあなんにしても、そういう既に過ぎ去った事に関する話を、むやみやたらと何度もほじくり返した所で益はないので、その件の話はこれで終わりにしよう。
それより問題なのは、とっ捕まえた盗っ人3人組の事だ。
村の中によそ者が入り込んだ挙句、空き巣を仕出かしたと知らされ、村人達は大騒ぎになった。
当然ながら、訓練やその見学なんてやってるどころじゃなくなって、猟師会の人達以外はみんな血相を変え、転がるような勢いで自宅へ戻っている。
ついでに言うなら、シエラ達含めた子供も全員揃ってお家へ強制送還。私とリトスはジェスさんから、今は大人のいる場所に一緒にいなさい、と言われ、今日はトーマスさん家にお泊りする事と相成った。
まだ村の周辺に、よそ者の仲間が潜んでいる可能性があるからだ。
今頃、アステールさん達がふん縛った連中を納屋で尋問してるはずだが、一体奴らはどこの誰で、なにを思ってこんな所で空き巣なんてやらかしたのか、大変気になる所。
本当は私も尋問の場に立ち会いたかったんだけど、流石に許可してもらえなかった。
うん、そりゃそうだよね。私まだ、10歳の子供だもんね。子供を盗っ人の尋問に立ち合わせるなんて真似、普通に考えて絶対やらないよね。
仕方がない。
ここはひとまず大人しく、トーマスさん家で尋問が終わるのを待つ事にしよう。
◆
「こんばんは~」
トーマスさん家に一時的に身を寄せ、夕飯をご馳走になってからしばらく後。
小さめの手提げ袋を持ったサージュさんが単身、トーマスさん宅を訪ねて来た。サージュさんは玄関先まで出てきたジェスさんと私、それからリトスに、軽く手など挙げて「よう」と短く言挨拶してくる。
「ようサージュ。こんな時間にどうした? もしかして、昼間の盗っ人達が何か吐いたのか?」
「まあな。その件でちょっと、色々と話したい事ができてさ。会長の代わりに俺が来たんだ。村長、まだ起きてるよな?」
「そりゃまあな。幾ら親父が歳だからって、こんな早い時間に寝たりはしないって。……その顔から察するに、幾らか長い話になりそうだな。ダイニングに来いよ。夕飯は食ったのか?」
「一応は。パン1つとチーズを適当に齧っただけだけどな」
家の中に招き入れられたサージュさんが、苦笑しながら言う。
パンとチーズを齧っただけか。体力勝負のお仕事なのに、そんなわびしい夕飯じゃ色々としんどいよなあ。
「じゃあ私、何か出しましょうか?」
「ああ、そりゃありがたい。ハムサンドとか、そういうのを幾つかお願いできるかい?」
「分かりました。あとライラさんに頼んで、ハーブティーでも淹れてもらいます。行こう、リトス」
「うん。僕も何か手伝うよ」
小走りで家の奥へ引っ込んでいく私とリトスに、サージュさんが「よろしく頼むよ」と軽い調子で声をかけた。
やはり、パンとチーズだけでは全然足りず、お腹が減っていたのだろう。
ジェスさんの案内でダイニングに腰を落ち着けたサージュさんは、私が出したハムサンド3つと、BLTサンド2つをぺろっと平らげた。
今はライラさんが淹れてくれた暖かいハーブティーを、味わうように少しずつ飲んでいる。
「はぁ、美味かった……。ありがとうよ、プリムちゃん。お陰で人心地ついたよ。ライラさんも、ハーブティーありがとう」
「うふふ。お粗末様」
「どういたしまして。これからはちゃんと晩ご飯、食べて下さいね」
「俺もできればそうしたいんだけどねえ……。やっぱ男の1人暮らしだと、どっかしらおざなりになる部分が出ちゃってさ。プリムちゃんみたいな、可愛くてしっかりした子が嫁いできてくれたら――」
「プリムはダメ! サージュさんとじゃ、歳が離れ過ぎてるでしょっ!」
「ははっ。はいはい。悪かったよ、リトス。そんな心配しなくても、横からプリムちゃん取ったりしねえって」
サージュさんの冗談に、大きくて綺麗な目を吊り上げて声を荒らげるリトスを、サージュさんが笑いながらなだめる。
どうもすみません。私達、2人暮らしの家族みたいなものだから、私が1人でよその家や、どっか別の場所に行くような話になると、過剰反応しちゃうんだと思います。
「それはともかく、サージュ。一体どういう用件でうちに来たんだね? わざわざアスがお前さんを寄越すくらいだ、色々と分かった事があったんじゃないのか?」
「流石は村長、ご明察。つっても、あいつら自身が何かヤバい組織に身を置いてるとか、そういう事情がある訳じゃないから、その点に関しては安心してくれ。
あいつらが言うには、ここに来てるのは3人だけで、他の共犯者や同行者はなし。身分は元々王都に住んでた平民だそうだ。件のザクロ風邪の騒動で職をなくして街を出て、あちこちさまよってるうちに有り金が尽きて困ってた所で、偶然この村を見付けて魔が差した、って事らしい。
言っちゃ悪いが、原因はどうあれ、食い詰めた平民が犯罪に走るってのはまあまあよくある話だから、そっちに関しては、特に掘り下げる必要もないって判断されたよ。明日にも国境警備隊の詰め所に連れてって、身柄を引き取ってもらうってさ」
サージュさんは、ハーブティーをチビチビ飲みながらそう説明する。
「ただ……あいつらが持ってた新聞の記事の方が、ちと問題でね。近年稀に見る大ニュースや大事件が載ってたよ」
「大ニュースに、大事件、ですか」
「そ。どれもこれも、ちょっと前まで王都に住んでた奴が見たら、驚いて目を見開くような記事だ。だもんで、是非とも早いうちに目を通して欲しいって事で、その新聞をお届けに参上したのさ。
……特に、プリムちゃんやリトスには、かなり驚きの内容だと思うよ? 君達は新聞、読めるかい? 読めるなら先に渡すけど」
「僕は……難しい単語はまだあんまり読めないかな……。プリムはどう? 読める?」
「勿論読めるわよ。伊達に何年も屋敷にこもって、本の虫やってた訳じゃないから。サージュさん、新聞貸してくれますか?」
「分かった。何枚か日付の飛んでる奴があるけど、その辺はあんまり気にしないで」
「はい」
私は小さくうなづいて、サージュさんが手提げ袋の中から出した、ヨレヨレで汚れ気味の新聞の束を受け取ると、斜め読みの要領で記事に目を通していく。
私はすぐに、驚きと動揺で息を呑む事になった。
1枚目の見出しは『ケントルム公爵夫妻、暴徒の襲撃によって死亡』。
2枚目の見出しは『ケントルム公爵令嬢、暴徒によって誘拐さる』。
3枚目の見出しは『現レカニス王、ザクロ風邪関連の失策と暴挙により死罪へ』。
「…………っ」
記事に目を通していくうち、知らず知らずのうちに手に力が入り、新聞の端をくしゃりと握ってしまった。
勘違いしないで頂きたいのだが、私は別にあの毒親共がどこの誰に殺されようが、クソ王が死刑になろうが、心底どうでもいいと思っている。
なんせ、うちの毒親もクソ王もあの性格だ。十中八九、自業自得の果てにこういう目に遭ったに違いない。
だったら尚更、私の知ったこっちゃない。
反省できないクズなんて、みんな仲良く地獄に落ちればいいのだ。
でも妹は。
あいつも確かに性格悪いけど、でも。
大人目線で反省がどうのこうのと言う前に、あの愚妹はまだ8つで。
(暴徒に、誘拐……。エフィーメラ……)
新聞の記事に目を通しながら、私はただうつむき、唇を噛んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます