第267話 振られた後で

「きょーかん、おっはよーっ!」


 翌日、怜が教室でスマホを眺めていると、登校してきた奏が大きな声で声を掛けてくる。


「……おはよ、宮前」


「あれ? なんか元気ない?」


「…………そうか?」


「うんうん、そうだって」


 昨日のことがなかったかのようにいつも通りに奏が接して来る。

 怜としては色々と気まずくてどう対応して良いか分からない。

 すると奏はそんな怜の背後に回って


「ほらほらテンション上げていこーっ!」


 と首に手を巻き付けて抱き着いてきた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



(むぅ……。宮前さん、また怜に……)


 それを横目で見る桜彩としては当然面白くない。

 そんな桜彩へと奏は一瞬だけ視線を向けて再び怜へと絡み続ける。


「ほらほらきょーかん、元気出してーっ!」


 そう言いつつもより怜に密着するように体を当てる奏。


(むぅ……。なんか怜、デレデレしてる……!)


 気まずさと恥ずかしさを感じて顔を赤くする怜を、となりの席に座る桜彩は不満げな目で睨むように見ていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 放課後。

 本日は火曜日、つまり家庭科部の部活動のある曜日だ。

 怜としては家庭科部の活動に毎回出ているわけではないのだが、本日は買い物も無い為に参加することにした。

 家庭科部部員ではないものの、最近は怜と共に毎回参加しているボランティア部の面々である桜彩と蕾華は少し別の場所に寄ってから、陸翔も教師に呼ばれている為に少し遅れるとのことで怜は一人で家庭科室へと足を向ける。


「ちわーっ」


 活動場所である家庭科室を開けて挨拶する。


「あ、きょーかん。今日は来たんだ」


「あ、本当だ」


「こんにちはー」


 などといつも通りの声が返ってくる。

 しかしいつも通りでは無いものが一つ。


「こんにちは、きょーかん先輩」


「…………え?」


 言葉の内容だけを考えれば家庭科部で交わされる会話としては(怜としては不本意だが)おかしくはない。

 問題はその発言をした人物だ。

 目の前に来てそう挨拶をした相手に怜は目を丸くする。


「……佐伯?」


「はい。どうかしたのですか?」


 きょとん、とした顔で怜のことを見る美都。

 とはいえ若干目が泳いでいることから、自分でもそれは自覚があるようだ。

 するとそんな怜の後ろから、奏がひょこっと首を出す。


「あ、美都ちゃん」


「こんにちは、宮前先輩」


 にっこりとして美都が返事を返す。


「うんうん。ちゃんときょーかんのことをきょーかんって呼ぶようになったね!」


「は、はい」


 その言葉に怜は正面の美都から後ろの奏へと視線を移しジト目を向ける。

 つまり奏はこの状況に心当たりがあるということだ。


「おい、宮前……。お前、佐伯に何したんだ?」


 この家庭科部で唯一の常識人である美都までもが奏に汚染されてしまった。

 怜としては事情を知る権利があるだろう。


「いやー、昨日の放課後、美都ちゃんとカラオケでストレス発散しようってことにしてさー。その時に説得したんよね」


「なっ……」


 昨日といえば、当然怜が奏の告白を断った後ということだ。

 つまりは――


「…………マジか」


「あははーっ。まあ気にしないでってきょーかん。どーせ早いか遅いかの違いだったんだしさ」


「え、えっと……。す、すみません、光瀬先ぱ……光瀬きょーかん……」


「…………勘弁してくれ」


 思わず頭を抱えてしまう。

 これで怜のことをちゃんと呼ぶ人間は、この家庭科部には一人もいないということだ。


「ねえ美都ちゃん。いったいどうしたの?」


 これまで怜のことを頑なにきょーかんと呼ばなかった美都が、いきなりきょーかんと呼んだことに他の家庭科部員も疑問を持って聞いてくる。

 それに対して美都が答えるより先に奏が口を開く。


「あ、うん。昨日美都ちゃんと仲良くなって説得したんよ」


「へー、やるじゃない奏」


「へへーっ、ぶいっ!」


 そう言って右手の人差し指と中指を建ててブイサインを向ける奏。

 他の家庭科部員も満足そうに頷いている。


「でもさ、美都ちゃんこれまでもずっときょーかんって呼べって言ってたのにずっと断ってたのに」


「うーん。まあきょーかんに振られた同盟ってことでね」


「「「「…………え?」」」」


 その言葉に家庭科室から音が消えてシンとする。

 なんだかんだと気になっていた部員達は、奏の言ったことに耳を疑ってしまう。

 奏の言った言葉の意味は、つまり――


「……えっと……え、何? 奏、きょーかんに振られたって?」


「うん。昨日告ったんだけどさ。見事に玉砕しちゃった」


「「「「…………え? えええええええええええええっ!?」」」」


 一拍置いて静寂に包まれていた家庭科室の中に驚きの声がこだまする。

 それも当然だろう。

 これまで奏の気持ちに気付いていたものなど一人もいなかったのだから。

 そして皆が怜達の方へと押し寄せてくる。


「ちょっと奏、それってどういうこと?」


「えっ? なに? 奏、もしかしてきょーかんのこと好きだったってこと?」


「何それ、初耳なんだけど!」


「いったいいつから?」


「てゆうかそもそも振られたって……」


「きょーかん、今のってマジ?」


 顔に驚愕の表情を浮かべたまま質問攻めが始まった。

 あまりのことに怜と美都はオロオロとしたままだ。

 一方で奏はいつも通りの笑みを浮かべたままそれぞれに対応している。


「うん、本当。昨日きょーかんに告ったんよ。それで振られた後に美都ちゃんと会ってさ。その後振られた者同士一緒にカラオケに行って憂さ晴らししたんよ。その時の流れで美都ちゃんにきょーかん呼びにさせるのに成功したってわけ」


「……なるほどね。でもまさか奏がきょーかんのこと好きだったなんてねえ」


「うんうん。言われてみればいつもきょーかんにくっついたりしてたけど」


「そうだよねー。でもきょーかん、美都ちゃんだけじゃなく奏まで振るなんてねえ」


「でもいったい何で? きょーかん、誰か他に好きな人でもいるの?」


「え…………」


 その問いに怜が言葉に詰まる。

 今の自分に好きな人はいない。

 いつもならそう答えていた。

 しかし、昨日の奏との会話でいやでもそれについて考えざるを得ない。


(…………好きな人、か)


 頭に思い描かれるのは一人の女子。

 今年の四月に出会ってから、数多くの時間を共に過ごしてきた相手。

 言葉で定義することの出来ない二人だけの関係。


「あれ? きょーかん、もしかして本当に誰か好きな人いるの?」


 怜の反応に頭に疑問符を浮かべて部員の一人が問いかけてくる。


「あ、いや、別に……」


「ん―……本当に?」


「これまでのきょーかんなら即座にいないって答えてたよね」


「え、マジで? ついにきょーかんに好きな人が?」


 言いよどむ怜にさらに疑問を浮かべて聞いてくる部員達。


「いや、だから別にいないって……わっ!」


 そんな中、いきなり誰か後ろから怜の首に手を回して抱きついてきた。

 戸惑いながらも首を捻って後ろを見ると、奏がニヤニヤとした笑みを浮かべている。


「あはは。まあきょーかんに好きな人がいても、ウチがきょーかんを好きなことに変わりはないからねー」


「だから放せ!」


 そう言う怜だが、首に回された手の力は強まるばかりだ。

 ついでに背中に感じる柔らかな感触もいつも通り、いや、いつも以上に強く押し付けられている。


「ほらほら、美都ちゃんも抱き着いてみる?」


「え、わ、私は……」


 そう言われて戸惑いながらも怜の方へと足を進める美都。


「おい佐伯! これ以上この馬鹿に汚染されるな!」


「え? は、はい……」


「あ、ちょっと美都ちゃん。負けちゃダメだって! ほらほらきょーかん、嬉しい?」


「だからなあ……」


 そもそも建前として冗談だと言っていたのはどこに行ったのか。


 ガラッ


 そんなことを考えていると、家庭科室の扉が開いてそこから桜彩と蕾華が姿を現す。


「お邪魔しまーす。……あれ?」


「お邪魔します。……え?」


 扉を開けた二人の瞳に映るのは、奏に抱きつかれた怜の姿。

 それを見た桜彩の表情が一見クールモードではあるものの、みるみるうちに不機嫌に染まる。


「……ちょっと奏、何やってるの!?」


 大体の状況を察した蕾華が不満そうな顔をして奏へと詰め寄っていく。


「にひひーっ。きょーかんをゆーわく中」


 ニヤニヤとしながら蕾華に答える奏。

 その視線は一瞬桜彩の方を向いたようにも思える。

 一方で入口に立ったままの桜彩はクールモードでありながらも睨むような視線を怜へと向けている。


「…………むぅ」


「…………勘弁してくれ」


 かろうじて怜の口から漏れたのは、そんな諦めにも似た言葉だった。




【後書き】

 中編はここまでとなります。

 これで怜と桜彩の双方が、その感情に気が付く一歩手前まで来ました。

 後編はダブルデート編とする予定で、ついに二人が自分の気持ちに気付くはずです。


 また、奏が怜を好きだというのは実は初期から裏設定としてありました。(当初は第二章で終わる為に書く予定はありませんでしたが)


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