第五章前編 クールさんとダイエット

第233話 この気持ちは……恋、なのかな…………?

「ただいま、怜。おはよう」


「おかえり、桜彩。おはよう」


 いつもの時間に怜の部屋を訪れた桜彩と、いつも通りに『ただいま』と『おかえり』の挨拶と朝の『おはよう』を言い合う。

 もう一か月以上前から恒例となっている朝の光景だ。

 胸元に光るお揃いのネックレスを見て、二人ともつい笑みが浮かぶ。


「それじゃあ入るね」


「ああ」


 玄関の鍵を閉めた後、丁寧に靴を並べてから桜彩が中へと入っていく。

 そして洗面所で手を洗った後、朝食の準備を始めていく。

 いつも通りの幸せな一日の始まりだ。


(でも、もしも怜が佐伯さんと付き合っていたら…………)


 冷蔵庫から取り出した卵を割りながら、桜彩がふとそんなことを考えてしまう。

 昨日、怜が美都に告白されて断ったことは既に怜の口から聞いている。


『桜彩と一緒にいる時間を大切にしたいと思ってる。出来るかどうかも分からない彼女なんかより、桜彩の方が大切だ』


 二度ほど耳にした怜の言葉を思い出す。

 桜彩の目から見ても美都は内面、外面共に魅力的であり、とても素敵な女性だ。

 怜が美都に告白される(だろう)と知った時は、本当に気が気ではなかった。

 怜はとても誠実である為、もし美都と付き合うことになった場合、今の自分との関係はある程度解消されるだろう。

 そのような事にならなくて本当に良かった。

 いや、もちろん美都のことが嫌いというわけではないのだが。


「桜彩?」


「え?」


「いや、もうかき混ぜなくても良いぞ」


「……あっ!」


 怜の言葉で手元のボウルへと目を移せば、既に卵はこれ以上ないほどに混ぜられている。

 上の空で作業していた為、怜の言う通りもういい感じに卵がかき混ぜられていたことにようやく気が付く。


「どうかしたのか?」


「あ、ううん。なんでもないよ」


 慌てて取り繕うようにそう言って、フライパンへと卵を落としていく。


(うん、とりあえず今は料理に集中しないとね)


 火を扱うわけだし、なにより失敗した料理を怜に食べさせるわけにはいかない。

 そう気持ちを切り替えて、怜と共に朝食を作っていく。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「いただきます」


「いただきまーす」


 手を合わせて朝食を口へと運んでいく。

 一口食べると口中に美味しさが広がっていきとても幸せだ。


「うーん、やっぱり今日のも美味しいなあ」


「ありがと。て言っても今日は桜彩も味付けしてたしな」


「ふふっ。先生が良いからだよ。怜、これからも色々と教えてね」


「ああ。一緒に頑張っていこうな」


「うんっ!」


 出会った当初は包丁すらまともに使うことの出来なかった桜彩だが、今ではもう立派に、というほどでもないが人並みに調理器具を使えるようにはなっている。

 最初は切ったり皮を剥いたりという基本的なことから練習していたのだが、最近では味付けを任せられることも多い。

 もちろん念の為に怜が確認しながらではあるが。


(こうして怜と一緒にご飯を食べるのって本当に幸せなんだよなあ……)


 毎日、大切な相手と一緒に食事を作って食べる。

 それだけで心が充分すぎるほどに満たされていく。


(もし、怜が佐伯さんと付き合っていたら、今みたいに一緒にご飯を食べることも出来なくなっていたんだよね……)


 先述の通り、怜に彼女が出来た場合、彼女を差し置いて他の同年代の女子と二人きりでご飯を作って食べるなどということは相手にとって失礼だろう。

 そんなことを考えてしまう。

 食事する手をとめて、前に座る怜の顔をじっと見る。

 すると怜もその視線に気が付いたのか、食べる手をとめて桜彩の顔を不思議そうに見返してくる。


「どうかしたのか?」


「ううん。こうして怜と一緒にご飯を食べるのって幸せだなあって」


 その言葉に怜もふふっ、と笑みを浮かべる。


「ああ。俺もこうして桜彩と一緒にご飯を食べるのってとっても幸せだと思ってる。こんな日が毎日続けばいいのにって」


「怜……。ふふっ、同じだね」


「ああ、同じだな」


 お互いに今、この何気ない時間に幸せを感じている。

 それを口に出すことで、更に幸せが増幅されているような気がする。


「うん。これからも一緒だね」


「ああ。これからも一緒だな」


 そう笑い合って、再び二人は朝食へと戻った。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「おい光瀬! あの佐伯美都から告白されたって本当か!?」


 朝、教室でスマホを操作していると、登校してきた武田が興奮しながらそう問い詰めてくる。

 その声が聞こえた他のクラスメイトも一時雑談を中断して聞き耳を立てるようにして怜の返答を待っている。


「何言ってんだ、お前」


 とういか、怜が告白されたのは昨日の放課後なのに耳が早すぎるだろう。

 このことを知っている二年生は、怜の知る限り桜彩、陸翔、蕾華の三人だけだ。

 この三人が他人に漏らすとは考えられない為、おそらくは昨日電話で言っていた美都の関係者から漏れたのだろう。

 いったいどのようにして、他学年の武田がこうまで早く噂話を耳にしたのかは疑問だが。


「いや、さっき部活の後輩から、佐伯がお前に告白したって聞いたからさ」


 美都によれば、一昨日怜にメッセージを送った時に不特定多数のクラスメイトにバレたということだ。

 ということは友人以外にもバレたということなので、中には口の軽い者がいたとしてもおかしくはない。


「で、どうなんだ?」


 武田が首に手を回して聞いてくる。

 正直暑苦しいので離れてほしい。


「ノーコメントだ。俺は誰に告白されようが、それを言いふらすようなことはしないぞ。これまでだってそうだっただろうが。そんなに気になるのなら、噂の大本か本人に聞け」


 怜は昨年から女子に人気があった為、告白されることも何度かあった。

 その際にそれが噂になることもあり怜に真偽を確認するような者も何人かいたのだが、実際に告白されたにせよそうでなかったにせよそれに答えることはなかった。

 本人が勇気を振り絞って告白してきた以上、それを言いふらすようなことは絶対にしない(中には軽い気持ちで告白してきた者も何人かはいたが)。


「で、なんで断ったんだ?」


「人の話聞けや」


 というか、既に怜が断りを入れたということまでバレているらしい。

 人の口に戸は立てられぬということだろう。


「おっはよーっ」


「はよーっす」


 すると教室の入口から蕾華と陸翔の声が聞こえてくる。

 二人の席は怜の目の前の為、当然のようにこちらへと二人が向かって来る。


「おはよ、二人共」


「おはよ、れーくん」


「おはよ。で、なんで絡まれてんだ?」


 武田に首に手を回されたまま嫌そうな顔をしている怜を見た陸翔が席に着くなり早速助け舟を出してくれる。


「おいおい、絡むって人聞き悪いな」


「どう見ても絡んでるだろ、それ」


「ああ。絡まれてる。陸翔、助けてくれ」


「ひでえな二人共」


 苦笑する陸翔と嫌そうな顔を向ける怜。

 そんな二人に笑いながら残念そうに武田が一度離れていく。


「おはよーっ。お、なになに何の話?」


 するとこちらもたった今登校してきた奏が話に入ってくる。


「おはよー、奏」


「はよ」


「おはよ」


「おっす。光瀬の奴が佐伯に告られたって聞いたんだよ」


「……あー、なるほどね」


 納得したようにうんうんと頷く奏。

 正直、ここ最近の家庭科部での美都を見ている身からすれば、そうだろうなあ、という感想しか出ない。

 美都の方は言動の隅々から怜に好意を寄せていることがまる分かりだったし、おそらくテストで一位を獲ることが出来たらやりたいといっていたこともそれなんだろうなと予想は付く。

 そして、怜の言動からその恋が実らなかったことも。


「まあ美都ちゃん恋する乙女だったもんねえ」


 そうしみじみと呟く奏の言葉を聞いて、怜と、怜の隣に座っている桜彩が少し考えこむ。


(恋、か…………)


(恋…………)


 ふとポケット中のお揃いのキーホルダーへと手を伸ばす。

 そしてもう片方の手で制服の下の胸元に着用しているネックレスを制服越しにそっと撫でる。

 それぞれが共に贈り合ったプレゼント。

 二人にとって大切な宝物であるそれを感じながら、ふと考えこむ。


(ここ最近、桜彩のことを考えると感じるこの気持ちは…………そう、なのかな…………?)


(ここ最近、怜のことを考えると感じるこの気持ちは…………そう、なのかな…………?)


 あえて答えを探さずにいるこの気持ちの正体。

 怜も桜彩も年頃の高校生にしては珍しく、『初恋というものを経験していない』というその事実自体は自分でも理解している。

 だからこそ、この相手にしか感じたことの無い、親友や家族といった近く、大切な相手にすら感じたことの無い気持ちについて、これが恋なのかは分からない。


「はーい、みんなおはよー。ホームルーム始めるよーっ!」


 そんなことを考えていると、教室へと担任の瑠華が入ってきて、それを機に皆が自分の席へと戻って行く。

 席に着く彼らを見ながら今の件についてゆっくりと頭を整理する。


(…………そうだな。焦って考えることじゃない。今の俺にとって、桜彩は大切な相手で『名前の付けられない自分達だけの特別な関係』、それで充分だ)


(…………そうだよね。焦って考えることじゃないか。今の私にとって、怜は大切な相手で『名前の付けられない自分達だけの特別な関係』、それで充分だよね)


 そんなことを考えながら二人共ふと横を見ると、お互いの視線が絡み合う。


「…………ふふっ」


「…………ははっ」


 二人で他のクラスメイトにバレないようにクスリと笑い合う。

 そしてお互いにキーホルダーとネックレスをちらりと相手に見せ合ってから、名残惜しいながらもホームルームの方へと意識を向けた。




【後書き】

 次回投稿は月曜日を予定しています


 ここから第五章になります。

 お互いがお互いに抱いている特別な気持ちについて考えつつ、二人の関係を深めていく予定ですのでよろしくお願いいたします。


 第五章のプロットについては大まかに作成しました。

 第三章、四章のように必要以上に長くならないように気を付けていきます(が、長くなってしまったら申し訳ありません)。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る