第156話 プラネタリウム⑥ ~手を繋ぐのに理由なんて必要ない ただ繋ぎたいだけ~

 二人で写真を眺めていると、ウェルカム映像の桜が消えていく。

 時刻を確認するとあと少しでプログラムの上映時間だ。

 念の為にスマホのマナーモードを確認してからポケットへと仕舞う。


「そろそろ始まるな」


「うんっ。楽しみだなあ」


 パンフレットを眺めていたら偶然目に付いた提案だったのだが、桜彩はもう本当に楽しそうだ。

 ふと周りを見ると、他の客もスマホを仕舞ったりシートの背もたれへと体を預けている。

 横へと視線を動かせば、先ほど怜達の少し前に入場したカップルが仲良さそうにシートへと横たわっていた。


「それじゃあ怜、私達も横になろっか」


 このカップルシートは二人並んで横になって天井のスクリーンを見る為の物だ。

 気恥ずかしさはあるものの桜彩と並んでシートへと横になる。

 ふと横を向くと桜彩も怜の方を向いており、お互いの視線が絡み合う。


「わっ……」


「あっ……」


 視界いっぱいにお互いの顔が広がり慌てて逆の方向を向いてしまう。


(さ、桜彩の顔があんなに近くに……)


(そ、そうだよね……れ、怜の顔が近くにあるなんて当たり前だよね……)


 これまでにも二人の顔が急接近したことは何度かあった。

 しかし回数を重ねたからといってそう簡単に慣れるものでもない。

 左胸に手を当てて速くなった心臓の鼓動を落ち着けようと努力する。

 そして少しだけ落ち着いたところでまた二人同時にお互いの方へと顔を向ける。

 お互い真っ赤に染まっていたが、それでも今度はしっかりと相手から目を逸らさない。


「ふふっ。なんか照れちゃうね……」


「そ、そうだな……」


 正直なところ、怜も桜彩も照れるなんてレベルではない。

 ただでさえ魅力的な相手と超至近距離で一緒に寝そべっているのだ。


(う……。こ、この状態は…………)


(は、はずかしいよぅ……は、早く始まってくれないかな…………)


 正直隣にいる相手に意識が持っていかれてドキドキしっぱなしだ。

 早くプログラムに集中したい。


「ど、どんな内容なんだろうな……?」


「さ、さあ……。わ、私はプラネタリウム自体が初めてだから……」


「そ、そうだったな……」


「う、うん……」


 肩と肩が触れ合いそうな距離。

 怜が左胸に当てていた右手を自分の体の脇へと移動させる。

 するとその指先がなにやら別の物に触れた。

 きめ細やかでシルクのような肌触り。

 そしてほんのりと感じられる体温。

 見なくても分かる。

 これは桜彩の手なのだと。


「あ……」


 当然それに桜彩も気付く。

 そのまま二人の視線は触れ合った手へと注がれる。


「えっと……」


「うん……」


 これまで二人がお互いの手を握ったりすることは何度かあった。

 例えば二人で猫カフェへを訪れた時。

 あの時、過去のトラウマから猫カフェに入るのに二の足を踏む怜の手を桜彩がそっと握って導いた。

 怜が体調不良に陥った時に、その寂しさを紛らわせる時に怜の手を握った。

 桜彩が絵を描こうとする時に、手を握ってもらおうとした(実際は肩を抱き寄せてもらったわけだが)。

 つい先日のバーベキューでは指に付いたチョコレートを舐める時に。

 それら全てに共通しているのは、手を握る『理由』があったことだ。

 その他、例えばカラオケでデンモクを渡す時にも手が触れたが、その時はすぐに離した。

 そして今、怜の右手が桜彩の左手に触れているのだが、その手が離れることはない。


「その、さ……。あの…………」


「う、うん……」


「……………………」


「……………………」


 すぐに触れている手を自分の方へと引けばいい。

 怜も桜彩もそれを分かっているのだが行動に移すことが出来ない。

 まるで接着剤でも付いているかの如く、二人の手は触れ合ったままだ。


「さ、桜彩!」


「は、はい!」


 自分でも驚くくらいの大きな声を出してしまう怜。

 それに気が付いて一度自分の左手を口元へと当ててしまう。

 そして隣に横たわっている桜彩の顔を見て、自分の希望を口に出す。


「その……こ……こうしていても……良いか…………?」


「え…………?」


 こうしていても、という言葉が何を意味しているのかは桜彩にも分かる。

 つまりはこうして手を触れ合ったままでも良いのかと。


「あ、いや、その、さ、桜彩が嫌なら、ごめん! お、俺何言ってるんだろっ!」


 デートということを意識してか、とんでもないことを言ってしまった。

 そのことに気が付いた怜が顔を真っ赤にして慌てる。


(お、俺、何やってんだよ……!)


 桜彩の沈黙を否定の意味と認識した怜が慌てて手を離そうとする。

 が、それより先に桜彩の左手が怜の右手を捉えていた。

 怜よりも小さな手で、しかし絶対に離さないというようにぎゅっと握り締める。


「わ、私も……こ、こうしたい……怜と手を繋いでいたい…………」


「桜彩……」


 顔を真っ赤にしながらそう告げてくる桜彩に驚く怜。


「い、良いよね……?」


「あ、ああ。その、俺も手を繋ぎたいって、思ってたから……」


「そ、そっか……そうなんだね……」


 真っ赤になった顔を見ながら、そして繋がれたてへと視線を移す二人。


「……なんだか不思議だね。これまでにも何度か手を繋いだことはあるけれど」


「そうだな。これまでは手を繋ぐにあたって何か理由があったからな。でも、今は『手を繋ぎたい』ってそれが理由になっちゃってる」


「うん。でもなんだか心地良い。なんだかずっとこうしていたいな」


「俺も。前に桜彩が手を握ってくれた時に、なんだか桜彩の優しさが感じられた気がしたんだ。こうして手を握ってるとあの時の優しさを思い出すよ」


「ふふっ、ありがとね。私も怜の優しさを感じられるよ」


 繋いだ手からお互いの体温と優しさが伝わってくる。

 それを心地好く感じていると、場内の照明が落とされる。

 明るい場所からいきなり暗くなった為に視界にはほとんど何も映らない。

 それでも手に伝わる感触は変わらない。

 いや、視界が失われたことでこれまで以上にお互いを感じていく。


「始まるね」


「ああ」


 もうすぐ一面に星が映し出されるだろう。

 それまでのわずかな間のなんとも言えないドキドキというものを感じてしまう。軽快な音楽と共に徐々にスクリーンに星々が映し出されていく。

 小さな光の粒が漆黒のスクリーンへと投影され、瞬く間に無数の星々で満たされる。

 館内から自然と声にならない息遣いが聞こえてくる。

 プラネタリウムの夜明けの始まり。


『お待たせしました。それではただいまより特別プログラム――神話の神々の恋物語――をお送りします』


「「えっ……」」


 ナレーションの説明に二人の口から小さく声が漏れる。

 幸いなことに周囲に響くほどの声量ではなかったが。


「れ、怜、これって……」


「あ、ああ……」


 丁度時間の良いプログラムを選んだだけで内容は気にしていなかったのだが、どうやらこれは特別プログラムと銘打たれているだけあって恋人向けのプログラムのようだ。

 ちなみに二人がこのプログラムを選んだのは、時間的に丁度いいタイミングだからというただそれだけの理由だ。

 つまるところプログラムの内容など全く確認せずに選んでしまった。

 ちなみに二人の見なかったプログラムの説明には『カップル向けのプログラムですが、ご家族や友人同士でも楽しめるようになっております』と表記されていたのだが。


「ま、まあデートだし、こういうのでも良いんじゃないか……?」


「そ、そうだね。うん」


 周りの迷惑にならないよう小声で囁き合う。

 そして再び上へと視線を戻してナレーションに耳を傾ける。


『みなさんはこれまでに夜空を見上げたことはありますか? そこに浮かぶ星座に想いを馳せたことは?』


 もちろん怜も桜彩も何度かある。

 十七年近くも生きていれば当然だろう。


『その時、あなたの隣にいる人は誰でしたか? そして今、隣にいる人は誰ですか? 友達ですか? 家族ですか?』


 その言葉に考えこむ二人。

 名前の付けられない二人だけの特別な関係。


(……桜彩との関係か。家族、親友、近いようで違うんだよな)


(……怜との関係か。家族、親友、近いようで違うんだよね)


『この星空を見ながらその人と手を繋いで見て下さい』


(……って言われても、もう繋いでるんだよな)


(……そう言われても、もう繋いでるんだよね)


 お互いに繋ぎ合った手に視線を送る。

 プログラムの上映前に繋いだ手は片時も離されることはない。


『手を繋ぎましたね。それでは神話の旅へと出かけましょう――』


 ナレーションは星々の説明というよりもポエムのようなトーク内容。

 オリオンとアルテミスについてのエピソードを面白く説明してくれる。

 ふと怜が隣の桜彩へと目を向けると、それに気が付いたのか桜彩も怜の方を向きクスッと微笑む。

 そしてまた二人でスクリーンへと目を向けて星を眺める。

 お互いの手の感触をしっかりと感じながら。

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