第三章後編 二人の甘い初デート

第134話 デート開始前の一コマ ~綺麗で可愛いのは……~

 そして翌日。

 怜が腕時計の表示を確認すると、時刻は八時五十九分四十五秒。

 現在、お弁当をはじめとしてピクニックに必要な物を入れたトートバッグを持ち靴を履いて玄関の内側に待機中。

 桜彩との約束の時刻まであと十五秒だ。


(な、なんていうか、こうして時間を決めて一緒に出掛けるのってデートっぽいよな)


 これまで桜彩と二人で出掛ける時は、怜の部屋から一緒に外へと出ることが常だった。

 入浴と就寝以外はほとんど一緒に過ごしている為に、自然とそうなってしまう。

 例外があるとすれば、登校の際に一度桜彩が自室へと戻り制服に着替えてから部屋から出てくるくらいだろう。

 しかし今日はそんな桜彩が一度自室へと戻っている。

 朝食はいつも通りの雰囲気で桜彩と二人で食べたのだが、普段の休日は怜の部屋に居続ける桜彩が、今日に限っては準備がある為に颯爽と帰って行った。

 もっとも怜としてもお昼のお弁当作りの必要がある為にそれはそれで好都合。

 一応桜彩も手伝おうかと聞いてきたのだが、今日は自分一人で作る予定だったので断った。


(お、落ち着け……。で、デートなのはそうなんだけど、変に意識する必要なんかない。いつもと一緒で普段通りに桜彩との時間を楽しめば良いんだから)


 とはいうものの、頭で理解出来てはいるがどうしてもデートということを意識してしまう。

 現に先ほどまで洗面所で何度も身だしなみのチェックを行っていたばかりだ。


「ふぅーっ」


 一度大きく深呼吸をして再び時刻を確認する。

 現在八時五十九分五十五秒。


(五、四、三、二、一……)


 約束の時刻を確認し玄関を開けて通路へと出ると、ちょうど隣の部屋の玄関も開いてそこから待ち合わせ相手が姿を現した。


「……………………ッ!」


 その姿を見た瞬間、怜は言葉を失う。

 心臓の鼓動が早くなる。

 いつもであれば『今日は楽しもうな』等の言葉を掛けるのだが、その言葉を発するのを忘れるほどに、その相手に目を奪われる。

 ゴールデンウィークということで、今日の気温は二人が出会ったばかりの四月上旬に比べれば大分温かくなっている。

 天気も快晴で、空には雲一つなく日光が燦々さんさんと地表へと降り注いでいる。

 しかし通路の外に広がるそんなピクニック日和の天気の方へと一切思考が回らない。

 それほどまでに、目の前の相手はとても魅力的だった。

 その相手、桜彩の方も怜の姿を見て心臓の鼓動が早くなる。


「え、えっと…………怜、その、どう、かな…………?」


 おずおずと、それでいて期待に満ちた目を向けて上目遣いで聞いてくる。


「こ、この格好、へ、変じゃない、かな…………?」


 初めて見る桜彩の服装。

 怜は知らないが、蕾華と葉月が力を入れて桜彩の為に厳選したピクニックデート用のコーディネート。

 決して派手ではないが、赤を基調としたチェックワンピースの上にベージュのカーディガンを羽織っている。

 普段下ろしている綺麗な長髪は、料理の時と同じように後ろでまとめられていて、健康的なうなじが見えている。

 そんな恰好をした桜彩が、袖を少し摘まみながら怜を覗き込んでくる。

 正直、今の桜彩以上の存在を見たことなどない。

 怜の身の回りには、それこそ芸能人顔負けの外見を持つ女性が何人もいる。

 例えば実姉の美玖であり、親友の蕾華であり、(認めるのは癪だが)その姉の瑠華であり、目の前にいる桜彩の姉である葉月。

 しかし、彼女達には申し訳ないが、その全ての相手よりも桜彩の方が魅力に溢れている。

 少なくとも怜にとっては。

 仮に彼女達がこの場にいたとしても、怜の目には桜彩以外の相手は映ることはないだろう。

 それほどまでに今の桜彩は、怜の心を打ち付けた。

 もちろん怜はいくら外見が優れている相手であろうと心が動かされることはない。

 怜にとって大切な相手である桜彩が、(怜本人は気が付いてはいないが)他の皆とは違う意味で大切な桜彩が、そのような格好で照れながら自分の方へ視線を向けていたからだ。


「凄い……綺麗で……可愛い」


 そんな桜彩の姿に見とれてしまい、つい口から思ったことが言葉にして出てしまう。

 当然、その言葉は桜彩の耳にもしっかりと届く。


「え? ……綺麗? ……可愛い?」


 怜の顔を見ながら、今何を言われたのか確認するように呟く桜彩。


「あっ……」


 桜彩の言葉に、今自分が何を言ったのか遅まきながらに気が付いた。

 それほどまでに今の桜彩はとても魅力的で、怜の顔が瞬時に赤くなる。


「あっ、えっと、その、こ、この服だよね! き、昨日葉月と蕾華さんに選んでもらったんだ! き、綺麗だし可愛いよね!」


 焦ったように早口で桜彩が説明する。


「あ、あははははははは……う、うん。分かってる。分かってるから……」


 そう少し悲しそうに俯く桜彩。


「……分かってない!」


「えっ?」


 つい大声を出してしまった。

 しかし怜としてはその桜彩の発言は訂正せずにはいられない。

 勝手に勘違いして、勝手な思い込みで悲しそうな顔をした桜彩の両肩を掴む。

 驚いた桜彩の両目に怜の姿が映る。

 そして怜はそんな桜彩の目を真っ直ぐに見て、正直な気持ちを告げる。


「桜彩は分かってない! 俺が、今、綺麗で可愛いって言ったのは、桜彩のことだ! その、いつもと違う桜彩を見て、ついそう思っちゃったんだ!」


「えっ…………わ、私!?」


 驚く桜彩の両肩を掴んでいる手にさらに力を込める怜。


「そ、そうだ! 桜彩だ! た、確かに服も綺麗だし可愛いと思う! だ、だけど、それを着た桜彩が、本当にとっても魅力的で……つ、ついそんな感想が出ちゃったんだ!」


「……ほ、ほんとうに!?」


「ほ、本当だ! も、もちろんふ、普段の桜彩も、その、き、綺麗だし可愛いと思ってる。だ、だけど今の桜彩は普段とは違う魅力というか、初めて見る桜彩が、本当に素敵だって感じて……」


「そ、そうなんだ……」


「あ、ああ。わ、分かってくれたか……?」


「う、うん……。あ、ありがとうね、怜……」


 怜の顔を見上げる桜彩の表情が、驚きから喜びへと変化する。

 顔がほんのりと赤く染まり、その目にうっすらと嬉し涙が溜まっていく。


「そ、そっか。怜、私のことをそんな風に思ってくれたんだ」


「そ、そうだ。も、もう一度言うぞ。今、綺麗とか可愛いって言ったのは桜彩のことだからな」


 両肩を掴む手を自分の方へと引き寄せて真っ直ぐに桜彩の目を見る。


「う、うん。し、信じるよ……。でも怜が喜んでくれるんなら思い切ってこの服を着てみて良かったな」


「あ、ああ。お、俺もなんていうか、嬉しいよ……」


「あ、ありがとね……あっ」


 そこで桜彩は声を上げる。

 今気が付いたが二人の顔の距離はもう十センチ程度まで近づいていた。

 一瞬遅れて怜もその事実に気が付いて桜彩を遠ざける。


「わ、悪い!」


「う、ううんっ!」


 お互いに相手に背を向けて左胸に手を当てる。

 二人共自分の心臓がバクバクと脈打っているのが分かる。


(い、今……と、とんでもないことを言った気がする……。桜彩に対して綺麗とか可愛いとか……。ま、まあ嘘ではない、嘘ではないんだけど…………)


(わ、私、今、怜に、ほ、褒められたよね……? こ、このお洋服じゃなくて、私のことを綺麗と可愛いとか魅力があるとか素敵とか……。う、嬉しすぎるっ……!)


 今の会話の内容を思い出し、照れたり嬉しそうにはにかんだり表情がコロコロと変わる二人。

 そして深呼吸をして呼吸を整えてから相手の方へと向き直る。


(あ、改めて見ると、本当に桜彩って美人だよな……)


(え、れ、怜の視線がなんか恥ずかしいな……)


 恥ずかしさから逃げるように怜の服装へと目を向ける桜彩。

 すると怜の方もいつもとは違う服装なのが桜彩にも分かる。

 普段、自室ではトレーニングウェアやルームウェアといった感じで基本的には無頓着だ。

 買い物へ出かける時もさすがにそのままでは出掛けないが、かといって特に外出用にオシャレをするわけでもない。

 猫カフェやカラオケに行った時も、恥ずかしくはない格好だがこれといって特徴のある格好ではなかった。

 まあそれに関しては桜彩もそうなのだが。

 それが今は七分袖シャツにボーダーカットソー、デニムパンツ。

 派手さはないがさわやかで清潔感があり、いつもの怜とは違う雰囲気が強い。


「あ、あの、怜もいつもとは違う服装だね」


「あ、ああ。まあ、その、さすがにデートってことを意識するとな……」


「そ、そっか。うん、そうだよね。で、デートだもんね」


 ここで今日初めてデートと言う言葉を口にする二人。

 言葉にすることにより、今日がデートだということを再確認する。


「そ、それじゃあ行こうか!」


「う、うん。そうだね。行こう!」 


 そして二人はエレベーターの方へと歩き出す。

 ボタンを押すと、一階にあったエレベーターが上へ向けて動き出す。

 それを待っていると、不意に桜彩が


「あ、あのね……れ、怜も素敵だよ……。い、いつも素敵なのは間違いないんだけど……。ふ、服もそうだし、今日は普段とは違うっていうか、別の魅力があるっていうか……いつもとは違う怜を知れて嬉しい……」


「えっ!?」


 驚いて桜彩の方を見ると、ちょうどエレベーターが到着して扉が開く。

 すると桜彩は怜の方を見ずにエレベーターへと飛び込んで、両手で覆った顔を更に壁に向けて怜から見えないようにする。


(い……言っちゃった……。で、でも、今日の怜、本当に素敵なんだもん……)


(そ、そっか……さ、桜彩にそう言われると、恥ずかしいな……。だ、だけどやっぱり嬉しい……)


 怜も怜で桜彩の方をまともに見ることが出来ず、入口の方を向いて行先ボタンを押す。

 エレベーターが一階まで降りる間、二人は必死に今日何度目か分からないドキドキが収まるのを願った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る