第24話 クールさん+共同作業(夕食準備)+味見=あ〜ん

 買い物や猫との触れ合いがあった為、二人が自宅へと辿り着いた時、時刻は十八時半を示していた。

 桜彩はひとまずず自室へと帰り、その間に怜も着替えて夕食の支度に移る。

 それから三十分ほどすると、玄関のインターホンが鳴った。

 確認すると予想通り桜彩であった為、鍵は開いているから入ってくれと伝えるとリビングに桜彩がやってくる。

 服は私服に、といっても外出用の物ではなくロングのシャツにストレッチ素材のロングパンツという格好で、いわゆる汚れても問題ない服装というものだ。

 服自体には色気も可愛らしさもないのだが、美人は何を着ても似合うという言葉を怜はまさに実感していた。

 その一方で、桜彩の方も怜の姿をまじまじと見ている。


「どうかしたのか?」


「あ、いえ、何度か光瀬さんのエプロン姿は見ていますが、私と同年代とは思えないほどに落ち着いていると思いまして」


「ん-、まあもう何年も着ているしな。さすがに慣れてくるよ」


「とても似合っていると思います」


 桜彩のその言葉に思わず怜の顔が赤くなる。

 自分のエプロン姿を見る機会はあまり多くはないのだが、そのような感想を抱いたことはなかった。


「……ありがと」


 そう赤くなった頬を搔きながら照れくさそうに答える。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「それじゃあ始めるか」


「はい」


 炊飯器を見ると米が炊き上がるまであと少しだったので、ホイコーローの調理へと取り掛かる。


「じゃあまずはキャベツを適当な大きさに切っていこう」


 怜としてはキャベツに味をしみ込ませやすいように手でちぎるのが普段の方法なのだが、桜彩の練習もかねて今日は包丁で切ることにする。

 包丁を渡すと、桜彩は緊張した面持ちで包丁を両手で握りしめる。

 手元はブルブルと震えて顔は少し青ざめており冷や汗をかいているようにも見える。


「そ、それでは、き、切っていきます」


「ストップ! ちょっと待った!!」


 桜彩の姿を見て慌てて怜が止めに入る。

 震える桜彩の手を上から両手で握りしめ、包丁が落ちないようにする。


「み、光瀬さん?」


 怜に手を握られて更に桜彩が慌ててしまう。


「落ち着いて。一旦包丁を離そう」


 さすがにこの状態で刃物を扱わせるのは怖いため、慌てた桜彩を落ち着かせて一度包丁を返してもらう。

 それでも桜彩は緊張が収まらないのかまだ少し震えていた。


「緊張しすぎ。一度深呼吸して」


「は、はい。……スー……ハー……スー……ハー……」


 怜の言葉に少し焦りながら両手を胸に当てて目を閉じる。

 そのまま何度か深呼吸をすると徐々に落ち着いてきたように感じる。


「し、失礼しました。もう大丈夫です」


 目を開けた桜彩がやる気をアピールするように怜の目を力強く見てくる。

 しかしまだ危なっかしさを感じた怜は一度止めるように指示を出す。

 やる気が空回りして怪我をしてはどうしようもない。


「この前、野菜炒めを作ったって言ってなかったか? その時も包丁は使ったんだろ?」


 包丁を使わずに作るカット野菜などという物も売られてはいるが、桜彩はスーパーでキャベツを半玉買っていた。

 自分で切ったと考えるのが自然だろう。


「はい……。ですがあの時も緊張してあまり上手に切れませんでした。はあ、ダメダメですね……」


「初心者ならそんなもんだって。だからこれから上達する為に練習するんだろ? むしろその方が成長を感じられるぞ」


「……そうですね。ありがとうございます」


「まずは手本を見せるから」


 そう言って怜はキャベツを何枚か重ねて切っていく。

 その際に包丁の持ち方や左手の置き場所のアドバイスをすると、そのたびに桜彩は力強く頷く。

 怜の言葉を一字一句聞き漏らさないように集中して聞いている桜彩だが、無意識の内に怜との距離が近づいてくる。

 そんな距離感に照れながらも、お手本としてキャベツを切り終える。


「それじゃあ渡良瀬、やってみるか?」


「は、はい! 頑張ります!」


 そう言う桜彩だが、言葉からして既に力が入っている。

 先程よりはましだが、やはり気負いすぎだ。

 少なくともこの状況ではやはり刃物は使わせたくはない。

 しかしいつまでもこの調子では成長も出来ないだろうと考えたところで、怜があることを思い出す。


「渡良瀬、ちょっと待ってくれ」


 そう言いながら、台所の戸棚の下部を開けて、一双の手袋を取り出す。

 引っ越して来てから一回も使っていなかったのだが、すぐに見つけることが出来て良かった。

 灰色で少々武骨なその手袋を桜彩へと差し出して


「これを着けてから切ってみてくれ」


「これは何ですか?」


 手袋を受け取りながら、不思議そうな表情をして聞いてくる桜彩。


「防刃の手袋だ。滑り止めも付いてるし、仮に手を滑らせたとしてもそう簡単に手を切ることも無い」


 その言葉に桜彩が驚く。


「つまり、私のような初心者でも安全に包丁を使えるということですか!?」


「ああ」


 興奮して身を乗り出してくる桜彩が安心出来るように優しく答える。

 その答えに桜彩は胸を撫で下ろして安堵する。


「ありがとうございます。これなら怪我の心配がないということですね」


「ああ。それに包丁を使う時だけじゃなく、スライサーで薄切りする時にも安全に使えるからな」


「このように便利な物があるのですね。知りませんでした」


 そう言いながら嬉しそうに手袋を着用する桜彩。

 そして手袋を着けた手を怜に見せてくる。


「これで大丈夫ということですね?」


「ああ。一応その状態で手を洗ってからキャベツを切り直そうか」


「はい!」


 先程までとは違い、生き生きとした表情で手を洗い始める桜彩。

 そんな彼女を見て怜は


(どうやら緊張が解れたか。良かった)


 そう胸を撫で下ろした。


「あ、それと髪が食材に触れないように、後ろで束ねた方が良いかもしれないな」


 桜彩の長い綺麗な黒髪は料理をする時に限っては邪魔になってしまう可能性が高い。

 怜の指摘に既に手袋をして手を洗って準備万端な桜彩は少し考えてから


「あの、もしご迷惑でなければ束ねていただけますか?」


「俺が?」


「はい」


 桜彩の提案に首を傾げてしまう。


(いや、いくら友達とは言っても異性の髪に触れるってのはどうなんだ?)


 蕾華や瑠華のような関係であればそれも可能かもしれないが、さすがにそれは恥ずかしい。

 そんなことを考えていると、桜彩が少し悲しそうな顔をする。


「あの、ご迷惑であれば無理にとは……」


「いや、別に迷惑じゃないけど、良いのか?」


「はい。何か問題がありますか?」


 桜彩の方は何も問題が無いという風にきょとんと首を傾げている。


(……単に俺の考えすぎかな)


 桜彩がそう言うのならば良いだろう、ということで怜は桜彩の提案を了承し、スポーツの時に使っている自分のヘアバンドを持ってきて桜彩の髪を束ねる。

 触れた髪はサラサラとした手触りでとても美しい。

 束ね終えると桜彩は嬉しそうに怜の方へと振り返る。


「ありがとうございます。それでは切っていきますね」


「ああ。隣には俺がいるからな。安心して調理に取り掛かってくれ」


「はい!」


 そう言って桜彩はキャベツに包丁を下ろしていく。

 先ほどまでのような震えは既になく安心して見ていられる。


「おっと、左手はこの辺りに置いた方が良い」


 そう言って怜が桜彩の手を取って位置を少し修正する。


「はい。ありがとうございます」


 それを桜彩は嬉しそうに微笑んで、キャベツやピーマン、豚肉を切っていく。

 その後はニンニクを摩(す)り下ろして桜彩の作業はひとまず終了だ。


「それじゃあ後は俺がやるから」


 桜彩が食材を切り終えたところで残りの作業を引き継ぐ。

 さすがにまだ初心者中の初心者の桜彩に、この先の作業を任せるのは色々と危険だ。

 まずは食材をちゃんと切れるようになってから次のステップへと進んでもらうことにする。


「分かりました。お願いします」


 桜彩もそれが分かっている為に素直に怜と交代する。

 そして怜は棚から調味料を取り出して並べていくと、桜彩がそれを興味津々に見つめてくる。


「一つの料理なのに多くの調味料が必要なのですね」


「ああ。まあ食べるだけなら塩コショウを振ったり焼肉のたれをかけたり、もしくはホイコーローの素とかを投入すればいいんだけど、出来る事なら美味しく食べたいからな」


「勉強になります」


 そう言いつつ真剣に手元を見てくる。

 これまで料理をほとんどしたことがないと言っていたので、桜彩にとっては全てが目新しいのかもしれない。


「とりあえず今日は豆板醤は少なめにして辛さを抑えて作るから。味付けに対して意見があるなら言ってくれ。遠慮せずに言ってくれる方が俺も嬉しい」


「はい、分かりました!」


 その返事を聞いて、怜は調理を開始する。

 油を引いて熱したフライパンに野菜を投入し、水や少量の塩を加えて炒めていくとすぐに野菜の色が変わっていく。

 ある程度炒めたところで野菜を皿へと移し、フライパンをキッチンペーパーで拭いた後に再び油を入れて熱する。


「お肉と野菜は一緒に炒めないのですか?」


 豚肉をフライパンに投入しようとしたところで、それを横から見ていた桜彩が横から聞いてくる。


「ああ。炒めながら全体に味付けすると野菜から水分が出てきて、水っぽくなっちゃうからな」


 怜の説明に桜彩がふんふんと頷く。

 まあ普通に作る分には野菜と肉を一緒に炒めても良いのだが、個人的には大した手間ではない為そこはこだわりたい。

 そして肉に各種調味料を投入して味を付けていく。


「ふわぁ。凄く美味しそう……」


 フライパンの中を見た桜彩の口からつい言葉が漏れる。

 そんな素直な感情に怜の顔も緩んでいく。

 これまでにも何度か桜彩の笑う顔は見たことがあったが、基本的にはあまり表情を崩さないクールビューティーの桜彩が、今ここでは素直に感情を出している。

 友人という関係になったことで知ることの出来た、他のクラスメイトには見せたことのない新たな一面に少しばかりの優越感を感じてしまう。

 そんなことを考えながら、しっかりと味のついた豚肉の入ったフライパンに先ほどの野菜を投入して合わせていく。


「ちょっと味をみてくれないか?」


 そのまま中火で炒めていき、その中から豚肉を一切れ菜箸で摘まんで桜彩の方へと差し出す。


「はい。分かりました」


 嬉しそうにそう答えて顔を寄せて来る桜彩。


「熱いから火傷しないようにな」


「はいっ!」


 本当に分かったのか若干不安になる様な浮かれた返事をしながら、桜彩は差し出された豚肉へとふうふうと息を吹きかけてから一気に口に入れる。

 そのまま豚肉を噛みしめて、桜彩が幸せそうに呟く。


「はぁ……。やっぱり美味しいです」


「そうか、良かったよ。辛さは大丈夫か?」


「はい。全然辛くありません。もっと辛くても大丈夫ですよ」


「分かった。でも今回はこのままにしよう。次回からの味付けの参考にさせてもらうよ」


「はいっ。お願いしますね」


 その反応に怜も嬉しくなる。

 そのままフライパンへと菜箸を戻そうとしたところで、重大な事実に気が付いた。


(あっ……。ついいつもの通りにそのまま差し出しちゃったけど、これって……)


 陸翔や蕾華、瑠華に料理の味を確認してもらう時の癖でそのまま差し出してしまったのだが、さすがに馴れ馴れしかったと反省する。


「光瀬さん……? どうかしましたか?」


 少し固まってしまった怜を見た桜彩が心配そうにのぞき込んでくる。


「い、いや、何でもない。それより悪かったな。今のはちょっと行儀が悪かったかな」


「行儀が……? あっ!」


 桜彩も今自分達が何をしていたのかを遅まきながらに気が付いた。


「す、すみません! つい!」


 顔を赤くして慌てて勢いよく頭を下げてくる桜彩。


「い、いや、俺がいつもの癖で差し出しちゃっただけだから……。こっちこそごめん」


「い、いえ……。私の方が……」


 そのまま二人で謝り合うが、このまま料理を焦がしてはしょうがない為に怜はひとまず料理の方へと向き直る。


「あ、あの……いつもの癖、とおっしゃってましたが……」


 おずおずと先ほどの怜の言葉を繰り返す桜彩。

 心なしか少し不満そうな声色だ。


「あ、ああ……。陸翔や蕾華が来た時に味見してもらってるから……」


 コンロの火を止めながら桜彩に答える。


「そうですか……。竜崎さんや御門さんと……」


 怜の言葉を聞いた桜彩はそう小さな声で呟く。

 微かに届いたその声色は、やはり少し不満そうに聞こえた。

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