絶望案内人

緒方あきら

第1話 プロローグ

 かつてある村に住んでいた、脇坂さんから聞いた話。

 脇坂さんの祖父の祖父、いわゆる高祖父の光昭さんは明治時代の人で、漁師を生業にしていたという。不漁が続き生活が苦しくなった年、光昭さんの奥さんが臨月を迎え、やがて家に新しい命が産まれた。大きな声で泣く女の子だった。

 産まれた時から白い髪を生やし、泣き声とも笑い声ともつかぬ声色で鳴く、奇妙な赤子であった。脇坂さんの一族は、これではまるで忌み子であると恐れた。

 そのうえ、不漁続きで生活に窮していた一家は、生まれたばかりの奇妙な子供を養う余裕はないと判断した。母親は涙を流し助命を頼んだが、それも実ることはなかった。

 光昭さんは、悩んだ末にその赤子を口減らしのために処分することにしたのだ。

 潮が満ちた月が綺麗な夜、光昭さんは泣き止まない赤子を抱えひっそりと舟で沖合いに出た。

 そして赤子を海に沈めそっと手を合わせ、村に戻ったのである。

 しばらくすると、光昭さんの家では病人が相次ぎ、怪我をする者も続出した。光昭さんは大家族であったが、そのことごとくが何らかの不幸にあう程であった。

 光昭さんの一家はこれを捨てた赤子の祟りだとひどく恐れたという。

 このころの漁師たちは皆入れ墨をしていた。

 海難事故にあった際、顔がわからない状態になっても漁師の身元が判明するようにである。

 光昭さんも立派な龍の入れ墨を、左腕から背中に入れていた。

 彼は自分が捨てた子供が現世で迷うことなく成仏し、無事に極楽浄土に行けるようにと、畏怖と鎮魂の思いであいていた右肩に浄土に咲く花と言われる蓮の入れ墨を彫った。

 家族も仏壇に手を合わせては、生まれたばかりで世を去る運命を与えてしまった子供の魂の安寧を祈った。そうした行いが功を奏したのか、光昭さんの家には再び平和な時間が訪れた。

 だが光昭さんたちは忙しい生活の中、次第に生まれたばかりの赤子のことを忘れていき、手を合わせる機会も減っていった。

 そのころ村は豊漁に恵まれ、光昭さんも多忙を極めていた。

 昼夜問わずひっきりなしに舟で村と沖合いを往復していたそうだ。

 そんなある日、突然の天候の変化で海が大荒れになった。

 光昭さんの舟は沖合いまで漁に出ており、村に帰ることもかなわない状況である。

 結局、村に戻ってこれたのは舟の残骸の一部だけで、舟に乗っていた光昭さんたちの姿はどこにも見当たらなかった。

 二週間ほど過ぎたある朝のこと、沖合いに出ていた漁師がひとつの遺体を発見し村に持ち帰った。水を吸った肌はパンパンに膨れ、皮膚の表面の傷みが激しく全く身元がわからない。そこで遺体をうつ伏せにして入れ墨を確認することにした。

 背中の肌もボロボロで、入れ墨もほとんど消えてしまっている。

 しかし、右肩に彫られた蓮の入れ墨だけが無事に見つかった。光昭さんの入れ墨である。見る影もなくなった光昭さんの身体の中で、蓮の花だけが大きく色鮮やかに咲き誇っていたという。

 まるで生きているように膨れ上がった蓮からは、今にも何か出てきそうな様相だ。

 それを見て恐れた残された家族は、葬儀も手短に済ませすぐに光昭さんの遺骸を荼毘にふした。

 すると、遺骨の中に明らかに小さな子供のものと思われる小さな頭蓋骨が残っていた。

 火葬で砕けた光昭さんの大きな骨の欠片とは明らかに違う。

 信じられないと家族は皆顔を合わせ、困惑した。

 結局、その頭蓋骨を光昭さんの骨壺に収める事は憚られ、簡単な供養をしたうえで頭蓋骨は裏庭の奥深くに埋葬した。

 しかし、光昭さん一家に思わぬ異変が訪れる。

 夜毎、どこからか赤子の泣き声が家中に聞こえてくるのである。

 あの一際大きな産声とともに生まれた赤子に瓜二つな泣き声だ。

 最初は偶然と思いこもうとした遺族であったが、泣き声は一向に止む気配はない。恐怖に耐え切れなくなった一家は裏庭を掘り返し、小さな頭蓋骨を取り出した。

 そして、きちんとした骨壺に入れると一族の墓に丁寧に埋葬し、寺の住職にお経をあげて貰った。

 それきり、赤子の泣き声はピタリと止んだ。

 一家はようやく赤子の無念が晴れたのだと胸を撫でおろしたが、墓を管理する住職に聞かされた話で再び肝を冷やすことになる。

 赤子の骨壺を埋葬してからというもの、光昭さんの一族が眠る墓から泣き声が聞こえるというのだ。赤子の祟りが再来するのではないかと震えた一家は、毎日墓参りをして線香をあげた。

 それでも、光昭さんの一族の間ではそれから誰も子供を授かることがなかったという。この話を伝えてくれた脇坂さんは、脇坂の家に養子で入った子の末裔であったが、彼もまた病に伏し、やがて世を去った。

 赤子の泣き声がいつ止んだのかは、定かではない。

 ただ、いつしか赤子の泣き声は奇妙な笑い声に変わっていたという。


 その赤子は一度も日の明かりを見る事なく死んだことから、未明と呼ばれている――。

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