月下の麗人

三塚章

月下の麗人

 ロレンスは、無数に灯されたロウソクの揺らめきと、めまぐるしく踊っているどぎつい色の服を着た男女の間を縫って、パーティー会場を横切っていった。足を進めるたび揺れる、月光を紡いだような銀の髪。紫色の瞳に、触れれば冷たく感じそうなほど白い肌。美しい青年だった。すれ違った女性達のほとんどが振り返って、パートナーに睨みつけられるほどに。

 食べ物を運ぶメイドをかわして、ロレンスはようやく部屋の隅にいるハディスのもとに辿りつく。いつ終るのか分からないパーティーに、友人はいい加減うんざりしているようだった。壁によりかかり、腕を組んだまま動かない。形のいい唇は引き結ばれ、猛禽を思わせる、琥珀色の短い髪と同じ色の目は、今はやる気なさそうに半分閉じていた。

「壁の花ですか、ハディス」

 客観的に見てもハディスは格好いいのだから女性とおしゃべりをすればいいのに、楽しんでいないのが少しもったいない。もっとも、いかにも『今とっても不機嫌です』というこの顔では声をかけてくる相手もいないだろう。

「つまらん」

 不機嫌の原因を一言で言う。彼はこういう賑やかなのは肌に合わないらしい。

「それになんで俺がこんな窮屈な格好しないといけないんだよ。ボディーガードって、お前の手飼いがいるだろう」

「まさか。私は今聖堂にこもって祈っていることになっているんですよ。どうどうと出かけられるはずがないでしょう」

「ふーん」

 ハディスは冷たい目で親友を睨む。

 二十という異例の速さでハルズクロイツ教会第二位、枢機卿まで登り詰めたのがこのロレンスという男なのだ。

 確かに自分は破壊魔法を使えるし、毒学薬学にも通じている。やれと言われれば警護なんて簡単なことだが、親友を引っ張り出さなければならないほどロレンスが部下不足だとは思えない。それに奴は公式な配下のほかにも、誰にも知られていない部下を持っている。秘密裏の仕事ならそいつらに頼めばいい。

「それに晩御飯おごってあげると言われて二つ返事でついてきたのはどこの誰ですか?」

「まさかそのままグリンノヴァの境界くんだりまで連れてこられるとは思わんかったわい」

 ハディスの視線がますます低温になっていく。

 さすがに小さい物とはいえ貴族のパーティーだ。各種の酒と食べ物がそろっている。なるほど、ロレンスの「晩飯をおごる」という話もあながち嘘ではなかったわけだ。

「そういえばお前、成金商人のところに何の用があるんだ? ハルズクロイツが金に困っているなんて聞いたことないが」

 ハディスにもこのパーティーに参加しているほとんどが、政治に詳しいものなら緊張して卒倒しそうなほどの上流階級らしいということはわかった。おそらく何か話し合いでも行われるのだろうが、公式でないのがとても気になる。

「とっても個人的な用事です。先方に命を狙われても構わないのならくわしく教えてさしあげますけれど?」

「おい…… お前って聖職者だよな」

「ええ、そうですよ」

 天使のような笑顔をロレンスは浮かべて見せた。

「まあ、くわしいことは聞くまい……」

「それではくれぐれも行儀よくしていてくださいよ」

「へーへー」

 子供の頃にならったていねいな言葉遣いは、まだ覚えているだろうかとハディスはぼんやり考えた。

 そのとき、部屋の奥で怒鳴り声が響いた。一瞬楽団が驚いて曲をとめる。

「なんだ、あいつらは」

 ハディスが少し体を傾ける。人々の隙間から若い男二人が言い争っているのが見えた。争いは発展して、片方が片方の胸倉をつかみ今にも殴りあいになりそうだ。

「ああ、ディスト卿とレジス卿ですよ。二人は異母兄弟なんですけどね……」

 大きな声では言えないとばかり、ロレンスは声を落とす。

「お二人の父上ラウエル卿は、正妻の間に長く子供ができなかったらしくて。他の女性との間にできたレジス卿を跡継ぎとして育てていたんです。けれど、しばらくして正妻の間にディスト卿がお生まれになったんです。ラウエル卿は、前に決めた通りレジス卿を跡継ぎにすると言っておられたのですが、彼が亡くなってから、ディスト卿が当主となる正当性を主張し始めて」

「ふーん」

 ハディスはますますつまらなそうな顔になってしまった。

「私もいいかげん飽きてきました。少し夜風に当ってきましょう。あなたも来ますか?」

「いや、俺はとっとと部屋帰って寝る。かわいそうなのはリンクスだな。野宿か」

「あとでお菓子でも持っていってあげなさいね」

 木の上でしょぼくれている黒い猫を、ロレンスは思い浮かべた。この館に滞在するのは明日までだ。今晩だけガマンすればハディスの使い魔はご褒美をもらえるだろう。

 ロレンス達はこっそり部屋を抜け出すと、適当に挨拶を交わして別れていった。


 館の端にある階段を昇り切り、廊下を進もうと向きを変えたとき、ハディスのみぞおちに何か硬いものがぶつかった。「痛て!」と声を挙げて下を見ると、腹に子供が顔をうずめていた。ハディスの目船の高さと曲がり角で気づかなかったが、この子はこっちにむかってダッシュしていたらしい。

「こんのくそガキ!」

 服に似合わぬ言葉を吐いて、ハディスが子供の首根っこをつかむ。

「あ。ごめんなさい~」

 金持ちの子らしくやたらヒラヒラのついた服をきた男の子は泣きそうな声で言った。

「まったく……」

 手を放し部屋に戻ろうとしたハディスの裾を男の子はしっかりと握った。

「ねえ」

 振り返ったハディスに、少年は涙目をむけてくる。

「お父さんのいるところ知らない? 広い所。抜け出してきたらわからなくなって……」

「家のなかで迷子か。まったく、自分の住む館だろうが」

 ぶつぶつと文句を言いながらも、ハディスは今昇ってきた階段を降り始めた。


 ロレンスは空気をなるべく吸わないようにしていた。庭園にはバラの茂みがあちこちにある。日光が少ないせいか、バラの匂いは昼より薄いが、それでも夜特有の湿った空気に濃すぎるほど漂っていた。

「中では香水、外ではバラですか。普通の空気が恋しいです」

 水で匂いが洗われていないかと噴水の傍まで行ったロレンスの耳に、かすかな歌声が聞こえた。幼い子供にしかだせない高めの声。特に散歩のあてがあるわけではなく、ロレンスの足は自然と歌の聞こえる方へむかった。


 月と星に照らされた四阿(あずまや)に少女がいた。石で作られたイスに腰掛け、円テーブルに頬杖をついている。テーブルに触れるほど長い髪は赤。フレアリングの民の血が混ざっている証拠だ。ハルズクロイツ教会の創世記では、フレアリングの民は炎と血から創られたとされている。けれどその娘は伝説に似合わずおっとりとした顔をしていた。

 歌声の主は、ロレンスの姿を見るとびっくりしたように目を円くする。そして、はーっと溜息をついた。

「キレイな人。どなた?」

「ロレンスといいます。歌がお上手ですね」

 ロレンスが褒めると、少女は照れたらしく地面に着かない足をぱたぱたした。

「でも、あんまり夜に出歩いていたらいけませんよ。館に戻りましょう」

 話し合いをするのにわざわざ子供を連れてくる者はいないから、この館の主レジス卿の娘だろう。心配させないうちに連れ帰った方がいい。

「いいの。こういう特別な日じゃないと家をぬけだせないもの」

 足で反動をつけて子供はイスからポンと地面におりた。ロレンスは少し体をかがめ、少女と目線をあわせる。

「何をしていたんです?」

 とがめるのではなく、おもしろいことがあるなら教えて欲しいというようなロレンスの口調に、少女はすっかり安心した。

「別になんていうこともないのよ。ここでバラを見たり歌を歌ったり、宝物を埋めたり」

「宝物ですか」

 子供の頃に大切な物を土に埋めた覚えはロレンスにもあった。宝といっても大抵キレイな模様の石とか鳥の羽とかそんな物だったが。

「ほら、ここよ。埋めた場所がわからなくならないように、ちょっぴり土から出してあるの」

 少女はバラの茂みの土を指差した。土から錆びた剣の先やらビンの口がのぞいている。踏むと危ないとおもったが、よく考えればバラの木の根元だ。庭園にひかれた道を無視し、トゲに刺されながらわざわざ茂みにわけいる物好きはいないだろう。

「いいんですか? 大切な宝物の隠し場所を教えてしまって?」

 秘密基地や宝の隠し場所は子供にとって特別な物のはずだ。

「いいのよ。あなた、いい人みたいだいもの」

「ありがとうございます」

 どうやらロレンスはすっかり気に入られたようだった。


 そろそろ昼食が近い館の一室に、同じく子供に気に入られた者がいた。

「ハディス! 開けろ!」

 戸を叩く音に、ハディスはベッドの中で頭を押さえた。

「勘弁してくれ……」

 昨日ぶつかってきたワルタとかいった子供に、何か知らないが懐かれてしまった。昨日あれからふとした事でハディスが他国の生まれだともらすと、ワルタはその国の話を聞きたがった。あまりにしつこくせがむのでしぶしぶながらも話してあげたのが悪かったらしい。

 明け方寝て夕方起きるという生活はすぐに改善できず、ゆっくり寝ていようと言い訳までして朝食の出席をサボッたのに、この時間に起こされたのでは意味がない。

「起きろハディス!」

 後頭部を掻きながら、ハディスは戸のむこうに声をかけた。

「はいはい、少し待ってろ着替えるから」

「急げ! ディスト卿が、叔父上が死んだ!」

「ああ?」

 寝巻きから服に着替え、ハディスは机の上に置いてあった財布と薬の入った袋をポケットに突っ込む。廊下に出ると、ワルタが少しも待っていられないという感じでハディスの手を引き、館の奥へと走り出した。


 ディスト卿の部屋の前は、人が集まり通れぬほどだった。

「ああ、ハディス」

 ロレンスが声をあげる。

「これは一体!」

 枢機卿の配下を通すために人の固まりはサッと左右に退いて道を開けた。戸口のむこうが聖域でもあるように、混んだ廊下から部屋に入り込む者はいない。

 ハディスは構わず乗り込み、ベッドの上で事切れているディストの死体に近付いた。ロレンスがその後に続く。

「ハディスとやら。一体なにがあったのだ。どこにも傷はない。毒の痕跡もない」

 貴族の一人が声をかけてきた。死体に近付く勇気があるだけで自分が高名な医者でもあるような扱いだ。ハディスは苦笑した。

「知らないうちに病魔に犯され、急に心臓が止まることもあるでしょう」

 よそ行きの言葉で言って、ハディスはサイドボードに置かれたグラスを手にとった。

「酒もすぎれば毒になります」

「ともかく、死体をこのままにしてはおけませんね」

 ロレンスは見開いたディストの目を閉じた。


 礼拝堂の戸に寄りかかり、ハディスは扉の向こう側に声をかけた。

「おいロレンス。早くしろよ」

「はいはい。うう、冷たい。このせいで風邪ひいたなんてことになったらまぬけですね。それに床をぬらしそうで」

 聖職者は、死体に触ったということで礼拝堂の中で清めを行っていた。 普段ならロレンスの性格上、そんな面倒なことはしないのだが、他の貴族たちの手前サボるわけにはいかなかったのだ。

 白い衣を着たロレンスの目の前には、石で作られた水盆が置かれていた。中に入った聖水を青い樹の枝につけ、それを体にふりかける。清め用の衣は薄く、濡れると白い肌がすけた。

「そうだロレンス。あの場ではどうかと思って言わなかったんだが、あの男な、あれ、毒殺だぜ」

 さらりと大変なことをハディスは言ってのけた。ロレンスが沈黙で先を促してくる。

「ほら、俺いつも薬を持ち歩いているだろ。杯を持ったとき、毒の検査薬を指につけて塗ってみた。そしたらしっかり出たぜ、反応が。ま、お偉いさん方にはフクザツな力関係があるだろうから、黙っといたが」

 人一人が死ねば当然派閥同士の均衡に影響を与えるだろう。毒殺と自然死ではまた話が違ってくる。どっちがロレンスの利となり不利となるか、ハディスにはわからなかった。だからあの場所では当たり障りのないことしか言わなかったのだ。

「心遣い感謝します」

 ロレンスが礼を言った。

「あ、誰かきた」

 小間使いの格好をした女性が歩み寄ってきた。

「ロレンス様はここに?」

「ああ」

 応えたハディスにメイドは手紙を差し出した。

「これは?」

「セリナお嬢様がロレンス様とお話をしたいとおっしゃいまして。お清めの最中ですので待つようにと申し上げたら、これを渡すようにと」

 メイドが去っていくのを見計らってハディスがちゃかす。

「セリナ? 女の名だな。旅先で浮気か? 恋人にばらしてやるぞ」

「まさか。セリナに会いませんでしたか? ここの館の子ですよ。どうやら私のことを気にいったらしくて」

「あー、やめてくれ。ガキなら間に合っているからいい。俺もなつかれた。ワルタとかいうガキだ。他の貴族がわざわざ自分の子をつれてくるはずないだろうから、セリナの兄だか弟だかか」

「兄がいるっていってましたね、そういえば」

 清めを終えたロレンスが、髪を手でなでながら礼拝堂から出てきた。手紙を受けとって、封を切る。

『またあそこでおしゃべりしましょうね。くじにあずまやで待ってます』

 たどたどしい字でそう書かれていた。

「やっぱりデートの誘いじゃねえか」

 ちゃっかり覗き込んでいたハディスがちゃかす。

「あはは、これは本当にあの人に言えませんね」

 笑いながら、ロレンスは手紙を懐にしまいこんだ。

「つーか、これから帰るんじゃなかったのか?」

「人が一人死んでるんですよ。とりあえず皆でお悔やみするに決まっているじゃないですか」

「……報酬、その分増やせよ」

「大丈夫。増やしたとしても貴方の場合借金の方が多いですからマイナスが減るだけです。お金はあげませんよ。それに食事代だって浮いてるじゃないですか」

「鬼」

「聞こえません」

 クスクスとロレンスは笑ってみせた。


 日はすっかり暮れて、あまり広くない部屋にロウソクの明かりが灯される。ロレンスが清めを行った礼拝堂にディスト卿の遺体は運び込まれた。死者を肴に、生きている者達は噂話を楽しんでいた。過労、病気、そして暗殺。様々な死因が邪推されている。

「おーおー。当人がしゃべれないからって皆好き勝手言ってるねえ」

 呆れているようなおもしろがっているような口調でハディスは言った。耳に届いた噂だけでも故人の生前の性格や生活が結構わかる物らしい。ディストはまあどこにでもいるような権力者だったようだ。適当に働き、適当に恨みを買い、適当に他人を憎んでいたらしい。

 礼拝堂の戸が開いた。現われた人物に会場が静まり返った。レジスだった。殺人事件が起こったとき、犠牲者が死んで一番得をする者を犯人として疑うべきならば、今回の場合それは間違いなくレジスである。皆の注目を浴びるなか、レジは祭壇に置かれた棺に近寄った。そしって棺の前に膝をつき肩を震わせる。うつむいて顔は見えないが、小さくすすり泣く声が聞こえた。

『へえ』

 ロレンスは心の中で感嘆の声をあげた。レジスは見事に演技をしている。祈るレジスの様子に、彼が異母兄を殺したと主張していたものはバツの悪い顔をしたほどだ。

 しかし、ロレンスはレジスが心の中でほくそえんでいるのを見抜いていた。

『ま、別にいいですけどね』

 祭壇からさがったレジスは涙を見られまいとするように顔をぶせ、口元を手で覆って礼拝堂を出て行った。ロレンスは開いた扉の隙間から、廊下の机に乗っている置時計を見た。

 九時まで後三十分。


 今まで明るく周りを照らしてくれていた満月が雲に隠れて、四阿は暗くなってしまった。けれど、セリナは怖いとは思わなかった。ロレンスとどんな話をしようか考えるのに忙しかったから。両親も召使達もいつも忙しそうにしていて、ゆっくり話を聞いてくれないのだ。

 芝生を踏む音がして、ロレンスが来たのかと屋敷の方へ目をやった。しかし、庭園の道を辿ってくる黒い影は彼女の父親、レジスだった。まだこっちには気づいていないようだ。ベッドを抜け出したことがわかったら怒られる。セリナは慌ててしゃがみこんで茂みの後へ隠れた。

 黒い影は、まるで酔っ払っているようにふらつきながら近付いてくる。両肩が震えていた。その振るえは、次第に全身に広がって最後には哄笑になった。

「ハハハハハッ! あっけない」

 気がふれたようなレジスの笑い声に、セリナは凍りついた。まるで今まで父に化けていた悪魔が、本性をのぞかせたようだった。

 娘の存在に気づかないまま、レジスは笑いと歩みを止めた。噴水に手をつき息を整える。

「フッ、さすがに高い金を払っただけあったな、この薬」

 レジスは懐から茶色い小瓶を取り出した。片手で隠れてしまうほど小さなビンだった。

「本当に痕跡が残らない。誰も私が手を下したと見抜けなかった」

 葉の揺れる音がして、レジスは振り返った。バラの茂みの影にセリナが立っていた。

「セリナ。聞いていたのか」

 レジスは辺りを見回した。政略結婚の道具に使えないのは痛いが、跡継ぎはワルタがいる。レジスは護身用の短剣を探り当てた。

「おいで、セリナ」


 ハディスはわずかに顔をしかめて言った。

「ロレンス。いい加減その服をかえたらどうだ?」

「え?」

 ロレンスは初めて服の様子に気づいたと言うように、自分の姿を見下ろした。胸から腹にかけてべったりと血が付いている。最初に四阿で事切れていたセリナを見つけたのはロレンスだった。その亡骸を抱え、屋敷にまで運び、長い祈りを捧げ終わるまでロレンスは少しの休憩もとらなかったのだ。

「ああ、そうですね。そうします」

 見ると手にまで血がついていた。倒れていたセリナを抱き起こした感触が甦る。

「……とても軽かったですよ、彼女。まだ幼かったから」

 ぽつりと言ったロレンスに、ハディスはふうん、と曖昧な返事を返した。

「私がもう少し早く行っていればよかったですね」

「気にすんな気にすんな。お前が殺ったわけじゃねえんだ」

 ハディスは虫でも追い払うように軽く手を振って見せた。

「わかっていますよ。それで、ワルタの様子は?」

「ああ、全然ダメ。妹が死んだんだ。かなりまいってるな」

「なんとかなぐさめてあげてくださいよ。かわいそうに」

「あのな。俺が子供のご機嫌とるの、得意に見えるか?」

「確かに。ああ、そうだ、あれを見せてあげたらどうですか? 小さいとき私に見せてくれたじゃないですか。あの火の奴」

「あー、あれね。結構基でがかかるんだが、しかたないか」

 同じ過去を共有している者同士でしか理解できない会話を一通りすませてから、ハディスはふと思いついた。

「まさか、また滞在が一晩伸びるとかいうんじゃないだろうな」

「いえ、それは大丈夫ですよ」

 皆忙しい身でこの館に集まってきているのだ。泥棒が入ろうが館が爆破されようが、今度こそ明日には解散になるとロレンスは説明した。

「んじゃ、二人も死んでる件はどうなるんだよ?」

「なにせ非公式で極秘の集まりのことですから。うやむやにされて終わりです」

「ふーん」

「ああ、そうだ。この間セリナさんからの手紙を持ってきたメイドさん、どこにいるか知りません?」

 いきなり前の話題となんの関係もない言葉をぶつけられて、ハディスは内容の理解に少し時間をかけた。

「さっきすれ違ったが…… なんの用だ?」


 まだ血の痕跡も生々しい四阿で、レジスは落ち着かなげに腰を下ろしていた。そのうちに人影が二つ見てとると、そちらに走りよる。

「どういうつもりだロレンス枢機卿! こんな悪趣味ないたずらをして!」

 暗闇から現われたのはロレンスとメイドだった。メイドの持つ盆には二人分のゴブレットとクラッカー、そして赤いワインのビンが乗っている。

 レジスは、茶の紙をロレンスに突きつけた。

『またこんどおしゃべりしましょうね。くじにあずまやで待ってます』

 枢機卿は酒がつがれた自分のゴブレットを取り、語りだす。

「失礼とは思いましたが、勝手に机の上に置かせてもらいました。セリナさんにかかわる物なので、父親の貴方に返したほうがいいと思いまして。今回の事は本当に残念でした。私もせっかくセリナさんと仲良くなれたのに。ディスト卿の事もありますし、今夜は貴方と一緒に追悼の意を込めて語り合おうと思いまして」

「……」

 この男、どういうつもりだ? どこまで知っている? 飲み込んだ唾液が苦い。

 ビンがテーブルに置かれる様子をいつもと代わらぬ調子で見守っている若い枢機卿が、得体の知れない生物に映った。

「ああ、すみません。これからお酒をついでもらうので下がらないでくれます?」

 戻ろうとしたメイドを呼び止める声も穏やかだ。こいつ、本当に何も知らないのか?

 黙ったままのレジスをそのままに、ロレンスは静かに語り始めた。

「誰かが亡くなるのは嫌なものですね」

「ああ」

 レジスは生返事を返す。

「親しい人だとなおさら。どんな形でもいいからもう一度姿を見たいと思います。そう…… 化けてでもいいから」

「そうだな」

「こんな話を知っていますか? フレアリングに伝わる伝説です」

「……」

「フレアリングは戦と炎の民ですから、死後の世界の考え方も他国と違って荒々しいのです。そういえば貴方もフレアリングの血が混ざっていると聞きましたけれど」

 ロレンスの声がわずかに低くなる。とっておきの不吉を語るように。

「正当な恨みを持って死んだ魂は、神から自分を苦しめた者を一人だけ取り殺す復讐の権利を与えられるそうですよ」

 レジスは震える手でゴブレットの中身をあおった。

「その魂は激しい恨みのために誰にでも見られるようになるとか。様々な色に変じる炎のような姿だそうです、それは。そしてその魂に取り憑かれた者はもう逃れようがない……」

 低く抑えられていた枢機卿の声がもとの高さに戻った。

「聖職者らしからぬ考え方ですけれど、思うんです。いっそ、セリナさんがそうやって恨みを晴らしてくれればいいと」

 レジスは息をのんだ。ロレンスの後、肩の横に小さな炎が浮いていた。それは刻々と色を変えている。鮮やかな赤、透明に近い青、そして淡い緑。

 レジスは空になったゴブレットを取り落とした。耳障りな金属音を撒き散らして高足杯が転がった。

「どうかしましたかレジス卿?」

 穏やかな、とても穏やかな笑みを浮かべ、ロレンスは一歩前に進んだ。

「ひ……!」

 目の前に立つ青年がひどく禍々しい物に思えて、レジスは一歩後に下がった。鼓動が速くなる。不安定に色を変える炎は、消えるどころかさらに輝きを増したようだった。

 レジスはさらに後ずさった。そして四阿の床石と地面との段差につまずき、大きく体勢を崩す。

「っ!」

 上向きに倒れたレジスの頭は、茂みに包まれ完全に隠れた。やわらかく湿った物がかき回されるような音。茂みの暗闇から赤い血が流れ出て、月光に照らし出される。

 そばに控えていたメイドが長い悲鳴をあげ、館の方へと助けを求めに言った。

 一人残されたロレンスは小さく呟く。

「まさか、ここまでうまく行くとは思いませんでしたよ。少し驚かすだけでもいいと思っていたのですが」

 バラの茂みをかきわけ、倒れたレジスを確認する。セリナが半分だけ埋めた短刀が、レジスの首を貫いていた。自分が手を下したのではない証明はあのメイドがしてくれるだろう。

 バラの匂いで洗われた庭園に、血の香りが混じり始めた。ロレンスは右手に握られたままの杯を軽く掲げる。

「乾杯」

 杯につけられた唇が、嫣然とした笑みの形になっていた。


 ロレンスは庭園の中央に戻った。噴水の側ではロレンスの膝丈ほどもない小さな焚き火が燃えている。その前にワルタがしゃがみこみ、炎に見入っている。手にはハディスからもらったのだろう。数種類の薬品が入った袋を何個か持っていた。ワルタがその一つを火に入れると、薬品が反応して炎の色を一瞬鮮やかなグリーンに変えた。

 少し離れた場所に立っていたハディスがロレンスに気づいた。

「どうした、何か悲鳴があがったが」

「すぐにわかりますよ」

 さして興味もなさそうにロレンスが言った。

「楽しいですか、ワルタ」

 うなずいたワルタは笑顔だが、やはり少し辛そうだ。妹が殺されたのだから無理もない。

 悲鳴のもとを確かめようと、館から貴族達が現れた。

「何があったのですか、ロレンス睨下」

 人の死に際を見た者とは思えないほど冷静な声でロレンスが言った。

「レジス卿が亡くなりました」


 リンクスは結局二日半主人から離れていたことになる。それが長くてしょうがなかったというようにハディスの姿を見るや胸に飛びついてきた。

「ハディス様、ちゃんと御飯食べてました? 風邪引きませんでした?」

「あのな。お前は俺をなんだと思ってるんだ?」

「いいじゃないですか。心配してくれているんですから」

 ハディスはフウッと溜息をついた。

「しかし、自分の娘を殺すとはねえ。それで自分は事故死かよ」

「ま、自分の子供なんてどうでもいいって親結構いますからね、実際。孤児達の世話をしたことがあるからわかります」

「なるほどね」

 まだ胸でころごろ言っているリンクスを肩に乗せ、ハディスは純粋な土の香りを思う存分吸い込んだ。

「ああ、鼻が変になるかと思ったぜ、あの館」

「本当、ひどかったですね。バラと香水の匂い」

 あと、血の匂いですね。

 口には出さず心で呟き、ロレンスはクスクスと笑った。

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