第40話最終章.2


「痛っ!!」


 高い場所から落下してしこたま腰を打ち付けた。やっぱり遠距離は難しいと地面に手をつくとふわふわしている。


「うん? 絨毯」


 それもなかなか上質だ。いったいどこに転移してきたのかと顔を上げた途端、ギラリと冷たく光る刃が目の前に。


「ひっっ!!」


 腰を抜かし、ずりずりと後ろに下がりながら剣の持ち主を見上げるも逆光でよく分からない。


「誰だ! お前は」

「す、すみません!! ちょっと間違えて転移して……っあわあわっ」


 動転しすぎて思わず転移と口走ってしまい、自分の口を抑える。

 えっ、やばい。どうしよう! 

 もう一度転移する?


「転移? それにその声……もしかしてココットか?」

「えっ、どうして私の名前……」


 逆光で黒いシルエットにしか見えなかったけれど、目が慣れてくるにつれ顔がはっきりと分かるように。


「……エリオット卿!」

「やはりココットか。化粧とドレスで別人かと思ったぞ。それにしても、いったいどうしてここに」

「ちょっとお二人に頼みたいことがあるのです。カトリーヌさんはいらっしゃいますか?」


 私の問いに、ベッドの上でもそりと動く気配があり、布団の中に隠れていたカトリーヌさんが顔を出した。


「ココットさん!? えっ、どこから現れたの?」


 赤茶色の瞳をこれでもかと見開いて、少し乱れた髪でカトリーヌさんがこちらを見る。


 どうやら私はぴったり二人の家に転移してきたみたい。あの距離を誤差なく転移って奇跡的……なんだけれど、どう見てもここは夫婦の寝室。


「あわわっ、ごめんなさい。お取り込み中のところ、わざとではないんです!!」

「えーーと、状況が分からないんだけれど、とりあえず私達は取り込んでいないから落ち着いて」


 そう言ってカトリーヌさんはベッドから出てきて私の前に座り込む。テロンとしたシルクを素材の寝着を身に着けたカトリーヌさんは、柔らかな素材が素晴らしい曲線を拾い上げ、開いた胸元からは胸がこぼれ落ちそう。駄々洩れの色香も含めて私には縁のなにものだ。分けて欲しい。不公平だ。


 いやいや、今はそこに見とれている場合ではない。

 私はゆっくり深呼吸してからエリオット卿とカトリーヌさんを交互に見る。


「エリオット卿、カトリーヌさんはどこまでご存知ですか?」

「ココットが『裏路地の魔法使い』だということは話した。雇い主については話していない」

「ココットさん、あの時はありがとう。あなたのおかげで助かったし、今、エリオット様とこうやって暮らすことができている」

「お幸せそうでよかったです」


 以前にも増して肌艶よく色っぽくなられて。

 私も頑張ったかいがあった。

 って今はそれどころではない。


「今日はカトリーヌさんにお願いがあってきました。私は昨晩、夜会から連れ去られ、今港近くの倉庫に監禁されています。監禁した男達は、サンリオーニ国で頻発している誘拐や人身売買にも関わっていると考えられます」

「ちょ、ちょと待って。攫われて? 監禁? 誘拐に人身売買って情報が多すぎだわ」

「それに、そんな状況のにどうしてここに来たんだ? 騎士団に駆け込むことだってできるだろう? ココットの主はこのことを知っているのか?」


「ご主人様にはまだ話していません。この時間でしたらお城にいると思いますが、お城には護符が貼っているので転移できません。誰か伝言してもらうことも考えましたが、先に証拠を集めることにしたんです」

 

 私は、二人に倉庫の中でクルルと一緒に考えた推理を話した。

 話が進むにつれ、エリオット卿の眼光は鋭くなり、考えこむよう顎に手を当てている。


「王都内で連れ去りが横行していたのは知っていたが、まさかそこにリンドバーグ侯爵が関わっていたとは」

「エリオット卿、この国でのリンドバーグ侯爵の評判はどうなんですか?」

「領地に港を持っていて、カトリーヌの話では邸に高価な調度品、絵画、陶器が沢山あるらしい。最近やけに金回りが良いとの噂も聞いていたが、てっきり新しく始めた海運の仕事がうまくいっているからだと思っていた。まさか人身売買に関わっていたなんて……信じられないし見逃すわけにはいかない」


 力強い言葉が頼もしい。私一人で出来ることなんて限られているもの。信頼と地位のある人の協力は心強い。

 カトリーヌさんも、私の手をしっかりと握り「何をすればいい」と聞いてくれる。


「リンドバーグ侯爵が人身売買に関わっているという確かな証拠が欲しいのです。カトリーヌさん、私を侯爵邸に連れて行ってもらえませんか?」


 それは私だけでなく、カトリーヌさんにとっても危険なこと。

 隣でエリオット卿の眉がビクリと上がったけれど、見なかったことにしておこう。


「分かった。今日も家庭教師に行く予定だからココットさんも一緒に行きましょう。ちょっと待ってて、あなたの背丈に合うワンピースを侍女から借りて来るわ」

「ありがとうございます」


 カトリーヌさんは足早に出て行った。

 エリオット卿も寝着を脱ぎ着替えを始めたので私は背を向ける。


「お二人はもう結婚されたのですね?」

「異国で一緒に住むにはそれが手っ取り早かったからな。婚約は飛ばして籍だけいれた。結婚式は二ヶ月後だ」

「おめでとうございます」

「ありがとう。借りはしっかりと返す」


 衣擦れの音はすぐにやみ、ブーツを履く音が聞こえて来たので私はエリオット卿の方に身体の向きを変える。


「カトリーヌさんを巻き込んでしまって申し訳ありません」

「いや、彼女が納得していることだから構わない。でも三つ約束をしてくれ。一つは、もしカトリーヌが危険な状況になったら必ず転移でこの場所に返してくれ。俺にとってかけがえのない人なんだ」

「はい、必ず。お約束いたします」


「それから、リンドバーグ侯爵が人身売買に関わっている書類が見つかったら、俺にも分けて欲しい。俺が今護衛しているのは第三皇女で、その嫁ぎ先の公爵家はこの国の司法に代々関わっている。こちら側からもリンドバーグ侯爵家を追い詰める」


 頼もしい言葉に私は大きく頷いた。

 こうしている内にも人身売買が進んでいるかもしれないから、ユーリン国の司法が動いてくれるのはありがたい。


「分かりました。よろしくお願いします。それと、あと一つは何でしょうか?」


「ーー死ぬな」


 それは、今まで聞いた声の中で一番力強かった。


「俺がカトリーヌを思うように、ココットのことを大事に思っている人がいる。命は大事にしろ」


 私を大事に思ってくれている人。

 

 その人はいまどんな気持ちでいるのだろう。


 心配しているだろうな。

 ごめんなさい。

 

 その顔と声を思い出すと、胸が苦しくなる。

 声を聞きたくなる。

 会いたくなる。

 

 でも、……今はすべきことがある。

 

 私は滲んできた涙を手の甲でグイっと拭い、「はい」と答えた。


 私が魔法を使えるようになった理由は分からない。

 そもそも理由なんてないのかも知れない。

 

 ただ、これだけは分かる。

 今ここでこの力を使わなければ私は一生後悔する。

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