第39話最終章.1


 ぼんやりと目を開けると、埃塗れの床が見えた。朦朧とする意識で暫くその茶色の木目を見た後、ガバッと身体を起こす。


「痛っっ」


 途端に首の後ろに鈍い痛みが走り、眉を顰めながらこの痛みは何? と右手で触れると腫れていた。

 凄く痛い、指先が触れるだけで痛いし、首を動かすと引っ張れるような痛みが首から背骨へと走る。


「起きた?」


 聞きなれない声がして、ぎょっとしながら声のした方を見れば、大きな翡翠色の瞳がこちらを伺っている。高い位置にある窓から入る微かな光の下、淡いピンク色のドレスに身を包んだクルルが心配そうな表情を浮かべていた。


「……ここはどこ?」

「分からない。でも、潮の匂いがするから海が近いと思う。あっ、扉はあそこにあるけれど、鍵がかかっていて開かないわ」


 クルルが指差した先には木の扉が。開かないと言われたけれど、自分でも確認したいからそこへ向かおうと立ち上がり一歩踏み出すと、ジャランっという鈍く重い金属音がした。

 足に感じる違和感に下を向けば、少し錆びた太い鎖が足首につけられていて、その先を目線で辿れば壁に打ち付けられた太い杭に繋がっている。


 何これ、と鎖を手で持ち引っ張ってみるけれど、もちろん外れない。

 ここは、早々に力づくで鎖を外すことは諦めて、記憶を遡ることにしよう。


「私達を襲った騎士が誰だか分かる?」

「名前までは知らないけれど、あの男達、リンドバーグ侯爵家の紋章を付けていたわ」

「リンドバーグ侯爵って、ナターシャ様のご実家の?」

「ええ、私王宮の会計課に勤めていて、ナターシャ様を何度かお見かけしたことがあるの。いつも侯爵家お抱えの護衛騎士を連れていたわ。あの二人じゃないかな」


 クルルの話によると、護衛達は普段はユーリン国の騎士服を着ているらしい。


「でも私達を襲った時は、騎士服を着ていなかったわ」

「皇家主催の夜会でナターシャ様の護衛をするにあたり、目立つ異国の騎士服を着るわけにはいかないから夜会に馴染む服装をしていたのよ」


 やっぱりクルルは詳しい。詳しすぎる。

 普通、そんなことまで知らない。


「護符についてもそうだけれど、どうして夜会での騎士の服装まで知っているの?」


 私の問いかけにしまった、と口を抑えるクルル。

 そのあと床に視線をむけて黙ってしまったのは、何と答えるべきか考えているようにも見える。


 護符の存在、護衛騎士の服装まで知っていて。さらに、この状況で泣きも喚きもしない冷静さ。


 一つの可能性が私の脳裏に浮かんでくる。

 浮かぶとそうとしか思えなくなってくる。


「……ねぇ、もしかしてあなたも魔法使い?」


 一秒、二秒、……たっぷり十秒たったところでクルルは顔を上げると、どこかさっぱりした笑みで肩をすくめた。


「ええ、そうよ」

「皇族の護衛をしていたの?」

「護衛なんて大したものではないけれど、いざという時のために待機していた。本当は勝手に庭に出ちゃいけなかったのに、あとで怒られちゃうな」

 

 やれやれ、と眉を下げるその表情は歳相応のもの。


「ご家族の方、探しているんじゃない」

「そうね。でも大事にはできないから、秘密裏に捜索していると思う。友人達は私がいなくなったって聞かされてないでしょうね」


 私のことはどうなんだろう。クルルのように皇族に仕えているわけじゃない。でも、フルオリーニ様はきっと心配しているだろうな。無事なことだけでも早く伝えたい。


「ねぇ、クルル」

「えっ、私の名前知っているの?」

「ええ、まぁ。あっ、私はココット」

「ココット、敬称はお互いなしにしましょう。初めて会った同胞だもの。私あなたと仲良くなりたくてずっと『裏路地の魔法使い』を探していたの」


 魔法使いってことは安易に話せないからから普通に出会ったぐらいじゃ分からない。クルルの気持ちは何となく分かる。私も、自分以外の魔法使いに会ってみたかったから。


「クルルは何ができるの? 護衛ってことは結界を作るとか、傷を治すとか?」

「ごめんなさい。それは言えないの。でもその二つではない」


 そうか、クルルの能力は皇族も把握している。もしかして護衛の切り札かも知れないし、それなら安易に話せないか。これ以上聞かないのが、きっと魔法使い同士のマナーでしょう。多分。


「それで、あいつらの目的だけど、どうやらココットみたい。さっき朝食のパンを投げ入れた時にそう言っていたわ」

「私? えっ、なんで? 身に覚えが……」


 ……ナターシャ様から恨みを買う覚え。

 …………ないって言えない。


 夜会のダンスもだけれど、公爵邸でのフルオリーニ様との会話も聞かれていたかも知れない。

 でも、そんなことで誘拐するなんて。


「ごめんなさい、クルル。私あなたを巻き込んでしまった」

「ココットが謝ることじゃない。私が悪いんだもん」

「とりあえず、ご家族も心配しているなら今すぐここから転移しましょう」


 こんなところ、それこそ一瞬で抜け出せる。でも、クルルは険しい顔をして首を振る。

 

「ここに閉じ込められているのは私達だけじゃないわ」

「えっ!?」

「あなたが気を失っている間、扉の向こうから数人の女性や子供の声がしたの。男達に『静かにしろっ!』って怒鳴られて今は静かだけれど」


 女性と子供の声。それってまさか……


「最近増えている女性や子供の連れ去りってもしかしてリンドバーグ侯爵家か絡んでいるっていうこと?」


 否定して、と思いながら口にしたのにクルルは大きく頷いた。


「人の連れ去りは密輸よりもずっと難しいわ。出国する時も入国する時もとにかく目立つもの。それを実行するとなると、それなりの力が必要だと思うの」


 確かに、拳銃や麻薬より嵩張るし、暴れるし、声も出す。大掛かりな組織が必要。


「でもナターシャ様がこの国に来たのは最近。ということはこの国にリンドバーグ侯爵家の協力者がいて、誘拐と出国の手引きはそいつがしている」


 私の言葉を肯定するように、クルルの大きな瞳がパチリと瞬いた。


「リンドバーグ侯爵家は港を持っているし、異国との繋がりが深い。人身売買の黒幕はリンドバーグ侯爵家で間違いないと思う」


 おお、ご主人様!

 「裏路地の魔法使い」作戦、成功かも知れませんよ。

 怪しい連れ去りが裏路地で多いなら、そこで見張っていればと思いついた作戦。計画通りには情報は集まらなかったけれも、結果よければ全てよし、だ。


 と、なると黒幕のリンドバーグ侯爵家まで捕まえなくてはいかない。


 自国の人間がしたことなら、フルオリーニ様に報告してこの場所を取り押さえてもらえば、男達から芋づる式に黒幕まで辿り着くことは可能。でも、黒幕が友好国の侯爵家となると、それなりの証拠が揃っていないと難しい。


「クルル、ここから転移するのは簡単だけれど、それではリンドバーグ侯爵家を捕まえられない。証拠を集めなきゃ」

「うん、その方法を考えよう。私も手ぶらで帰ってもお説教が待っているだけだし、協力させて」


 私達は頷き合い、そして床に転がったパンを見た。


「ココット、とりあえず食べる?」

「気があうわね。私もそう言おうと思っていた」



 それから私達は硬いパンを口の中でふやかしながら作戦を立てた。クルルの使える魔法は分からないけれど、この状況で役に立つものではないらしい。


「それで、これからどうしよう? ココット、いい考えある?」

「ユーリン国に私の正体を知っている人がいるの」

「えっ! バレたの」

「不本意にも。不覚にも。で、その人の奥様がリンドバーグ侯爵家で家庭教師をしているからとりあえず会いに行ってみようと思う」


 カトリーヌさんから貰った手紙の内容を告げればクルルは大きな瞳をさらに見開く。


「それって異国まで転移できるってこと? 凄い!!」

「うん、でもかなりの魔力が必要だから一往復が限界かな」


 この前手紙を貰って、地図で住所の場所を確認したからほぼその辺りに転移できるはず。これだけの距離は初めてで自信ないけれど、何とかなるでしょう。


「それで、転移したら暫くここに戻ってこれないから一人になってしまうけれど大丈夫?」

「部屋の隅に毛布が二枚あるでしょう。一枚を丸めてもう一枚をその上に掛けてココットが寝ているように見せかけるわ。もし、何か聞かれたらお腹が痛いって言っておく」


 そういうと、クルルは足の鎖をじゃらじゃら鳴らせて毛布を取りに行き丸め始めた。一緒に何とかそれらしい形にしたところで私はクルルの肩に手を置く。


「じゃ、行ってくるね」

「うん、気をつけてね」

「クルルも。無理はしないで」


 大きく頷き合ったあと、私はユーリン国へと転移した。

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