第35話ココットとフルオリーニ、それぞれの想い.6
ナターシャ侯爵令嬢がコンスタイン邸を訪れて一週間。
「ご主人様、またクラバッドがクシャッてなっていますよ?」
「あぁ、悪い。直してくれ」
「不器用ですよね―」
「はいはい」
私とご主人様は何も変わらない。あの日以降、ご主人様が何か仰ることはないし、私から言うことは何もない。
クラバッドを綺麗に直し、「では行ってらっしゃいませ」と頭を下げると、「そうだ」とまるで今思い出したようにご主人さまが呟く。
「明後日、城で夜会が開かれるのだがココット、お前も一緒に参加しろ」
「へっ? 私がですか?」
「パートナー同伴が基本の夜会なのだ。クリスティーナはサミエル様と出席で相手がいない」
「でも私、ドレスを持っていません」
「用意する」
「……どうしてもですか?」
私が渋い顔をしても、そんなこと折り込み済みとご主人様は表情を変えない。
「俺は騎士としては下っ端だ。夜会の間、あちこちに挨拶に行かねばねらない。今から何処ぞの令嬢を探すことは可能だが、その方を夜会の間中、壁の花として放って置くのは失礼だろう?」
確かに。ご主人様にエスコートして欲しい令嬢は沢山いるけれど、会場で放ったらかしにはできないし、婚約者でもない令嬢を挨拶周りに連れ歩くのはおかしい。
「ココットなら食事を楽しみながら文句を言わず待つだろう?」
「もちろん。ご主人様を待つのが侍女の務めですから」
「涎が出てるぞ」
「……失礼いたしました」
夜会への出席はデビュタントの時、一度だけ。あの時はお祖父様かエスコートしてくれたっけ。隅のテーブルに美味しそうな料理が並んでいたけれど、デビュタントの真っ白なドレスは会場内で悪目立ちしてガッツリと食べることができなかった。いや、私は気にせず食べようとしたんだけれど、お祖父様が許してくれなかった。これはリベンジの機会では。
「分かりました。おとも致しますし、私のことは全く、これっぽっちも気になさらないでください」
「……それは何とも複雑で心強い言葉だな」
ドン、と胸を叩くとご主人様はしょっぱい顔をして、私の頭にポンと手を置いてからいつものように馬車に乗られる。その仕草が気にならない訳ではないけれど、余計なことは考えず、再度私は深く頭を下げた。
そして夜会当日。
昼食を食べ終えた時からそれは始まった。薔薇の花が浮かぶ湯船に放り込まれ、ララさんが私の髪をガシャガシャ洗う。
「ラ、ララさん。自分でします!」
「ダメ。これも勉強よ。ココット、女性の侍女をしたことないでしょう? これも侍女の仕事のひとつなんだから、いい機会だと身をもって学びなさい!」
侍女としての勉強だと先輩に言われると、それはもう従うしかなくて。
「分かりました」
多少の疑問はあるものの、私は身を預けることにした。
髪は、洗い終わったあと桶に湯と香油を数滴垂らしたものを用意してそこに十分くらいひたす。艶が出て良い香りが漂うらしい。
身体も磨き上げて、こちらは手のひらで温めた香油をマッサージしながら揉み込んでいく。
「痛い! ララさん、痛いですよ!!」
「血の流れが滞っているのね。我慢しなさい」
「主人が痛いって言ったらどうするんですか?」
「言わないわよ。日頃から手入れしていたらこうはならないもの」
そういうものなのかな。いや、例えそうだとしても力を緩めて欲しい。そんな願いも虚しく髪と肌の手入れは夕方までかかり、空が茜色になる頃やっとメイクが始まった。
「ココット、準備はできた……」
「ご主人様〜!!」
私を迎えに来てくれたご主人様に半泣きで駆け寄る。
お仕事を終え、正装に着替えられたご主人様はとても凛々しい。銀色の瞳にスッとした鼻梁、いつもより整えられた金色の髪は、さぞかし会場で注目を集めることでしょう。
そんなご主人様だけれど今は少し頬を赤め惚けたような表情をしている。
「ご主人様! 何、ぼぅっとしているんですか! 緊急事態です!!」
「えっ、あっ、いや。き、緊急事態?」
「ララさんがコルセットをギューっとしたのです。それはもう恨みでもあるのかというぐらい」
私の必死の訴えに背後から冷ややかな声が返ってくる。
「仕方ないです。ココットのウエストが想定よりふっくらしていたからです」
「あー、食い過ぎだな」
「ララさんもご主人様も酷いです! これじゃ、ご飯沢山食べれません」
沢山食べるつもりなのに。それが目的だったのに、これはあまりに酷い。詐欺だ。
着せられたドレスは、紫色の光沢のある生地に銀色のオーガンジーを重ね合わせたふんわりとしたプリンセスライン。動くたびに銀色のオーガンジーが揺れキラキラと輝いて綺麗だ。それを際立たせるためか、胸元は金糸で刺繍が施されているだけでフリルやリボンは付いていないシンプルなデザインになっている。
問題はそのデザインを強調するためか、ウエストが引き締められていること。それなのに二人はそんなこと当然とばかりに取り合ってくれない。
「それにしても、ココットって目が大きいから、色を乗せて少し強調するだけで花が咲いたように華やかになるのね」
ララさんが満足そうに私の顔を見ながら呟く。それは……自分でも鏡を見て思った。磨き抜かれた肌、ハーフアップにして毛先だけ少し巻いた髪、バッチリメイクの私はいつもと別人。どこからみても立派な令嬢。
でも、問題はそこではない!
「ウエストを絞らないドレスにしてくだされば……」
「全て食い過ぎのせいだ。諦めろ」
「そんな! ご無体な……」
消え入りそうな声しか出ない私に、ご主人様はいつもと同じように呆れた顔をする。
「これをやるから機嫌を直せ、と言っても、ココットは食い物の方が喜ぶだろうが」
そう言いながらご主人様は私の背後に周ると、サッとネックレスを胸元につけてくれた。
ゴールドで花形をあしらったその中央にある大きな宝石は……?
「アメジスト、ですか? でも金色にも見えます」
「紫色のアメジストと、日の光のような黄金のシトリン、ニつの宝石が一つになったものでアメトリンという」
アメトリン、ですか。聞いたことないな。私、宝飾品に疎いし、……それも公爵家の侍女としてどうかと思うけれど。私の鈍い反応に豪を煮やしたように、ララさんがその価値を教えてくれた。
「アメトリンは凄く希少な宝石なのよ。特に、2つの色がくっきりと分かれていたり、それぞれの色の彩度が高いものは」
「そうなんですか」
とすれば、これはかなり高価なものでは。あとで返さなきゃいけないんだし、絶対無くさないようにしよう。
手のひらに乗せ、二度と見ないであろう宝石を、この機会にとばかり見てふと思った。
「紫色と金色、私の瞳とご主人様の髪の色を混ぜたような宝石……」
安易に口に出してから、しまったと慌てて途中で言葉を飲み込む。それなのに、
「あぁ、そう思って用意した」
当然とばかりにあっさり肯定されてしまった。どうしよう。そのあまりに自然な口調はかえっていつものように冗談にはできなくで、どうしようかと見上げれば、とろりと甘いハチミツのような視線とぶつかった。
公爵邸の馬車に乗って初めて潜ったお城の門はとてつもなく大きかった。ぐるりとお城を囲む白い煉瓦を積み重ねた城壁。その城壁につけられた扉は両開きの大きなもので、左右には見張りも兼ねた三角屋根の塔が聳え立つ。
門を潜ればまっすぐに道が伸び、目の前には大きなお城。そのお城の少し前で右に曲がり辿り着いたのは、緑の木々に囲まれた建物。窓が多く、所々にバルコニーが張り出していて、シャンデリアの輝きが外にまで漏れている。
馬車はその前で止まり、先に降りたご主人様が私に手を差し出してくださる。
今まで、どうしてご令嬢はあんなにエスコートを必要とするのかと疑問だったけれど、自分がドレスを着て納得する。腰から下が広がっているせいで階段が見えないし、とても動きづらい。
「ありがとうございます」
手を重ね、エスコートを頼りに馬車のステップを降り、地面に足がついたところでご主人様の腕へ手を掛ける。
そのまま流れるように入った建物は言葉を失うほど華やかなものだった。
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