第34話ココットとフルオリーニ、それぞれの想い.5
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城で、実にさりげなくかつ、わざとらしい偶然によりナターシャ侯爵令嬢と出会ったのはココットと湖に出掛けた次の日。
薔薇のような笑顔に茶色いふわふわとした髪、少しきつめの赤色の瞳が媚びたようにこちらを見上げくる。
世間一般的に言えば美人なんだろうが、俺は櫛を梳かしただけの髪と薄化粧で少し無愛想な女の方が好ましい。
とはいえ、王命とあれば笑みを貼り付け世辞を言わなくてはいけなくて。隣に立つ父親を睨み殺したい気持ちで初顔合わせは終わった。
そのあとも城で数度出会い、公爵邸での食事会の段取りが知らぬ間につけられた。唯一の救いは母もココットを気に入っていること。ココットとナターシャ嬢を会わせたくない俺の願いを聞いて、母は一日かかる仕事をココットに与えると言ってくれた。
ココットのことだ、知れば祝いの言葉を口にする。そんなの聞きたくないし、どうやってでも破談に持ち込むつもりだから進展まで教える必要はない。
それなのに、俺の空のカップにココットは紅茶を注いでいる。その表情を盗み見れば、いつもと同じ無表情で何を考えているのか分からない。
「フルオリーニ様のお屋敷にお招き頂き、私とても嬉しいですわ」
「それは良かった」
「素敵な薔薇ですね。私、薔薇が花の中で一番すきだわ」
「そうですか。では帰りに幾つかお持ちください」
帰りという言葉を強めたのは、早く帰って欲しいという俺の願望だが、ナターシャ嬢はそんなことに気付くことなく話し続ける。
「では、フルオリーニ様が選んでください」
そう言って立ち上がると俺の腕に指をかける。
「私、フルオリーニ様と二人っきりでお話するのを本当に楽しみにしていましたのよ。数年前に夜会でお見かけした時から運命を感じておりましたの」
真っ赤な唇で述べられた言葉にギョッとする。サッとココットを見ればいつの間にか後ろに下がっているたけれど、会話は聞こえているはずだ。
「そうですか。でも俺は花に疎いのでナターシャ嬢がお選びください」
「では一緒に選んでください。そこのあなた、鋏を用意してくれる?」
「……畏まりました」
ココットは頭を下げると踵を返す。その表情が見えないことに不安が込み上げ、小さくなる背中をじっと目で追ってしまった。
「フルオリーニ様、どうしたのですか?」
「あっ、いや。あの侍女は鋏の場所を知らないかも知れない。少しここでお待ちください」
俺は早口で言い残し、ココットの背中を追う。
思ったより早足で歩いたらしく、角を曲がった木の下でやっと追いつき腕を掴む。
「ココット!」
「フルオリーニ様、どうされたのですか?」
いつもと同じ顔、いつもと同じ声でココットは首を傾げる。
「そ、その。今日一日、母上の書斎にいるのでは無かったのか?」
「はい。その予定だったのですが、遅めの昼食を摂っていたところ料理長にこちらを手伝うよう言われまして」
あぁ、そこまではさすがに母上も予想していなかったか。いや、そもそも俺が想定すべきことだ。
ココットにはナターシャ嬢との食事会を知られたくなかった。この件はココットに知られる前に穏便に片付けようと思っていたんだ。それなのに、そんな俺の思いがまったく通じない。
「仰ってくだされば宜しかったのに。ご主人様の侍女は私なのですから」
眉を下げ少し非難を込めたその言葉に、俺の中でぷつりと何かが切れた。
「ココットの前で他の女とお茶などできるはずがないだろう!?」
思っているより大きな声に自分でも驚いてしまう。ここまでストレートな物言いをするつもりはなかったが、言ってしまったものは仕方ない。
冷静に、と深く息を吸いながらも、ココットの腕を掴む手に力が入る。
「どうしてそれが分からないのか?」
「……ユーリン国の侯爵令嬢というだけでもコンスタイン家にとって素敵なご縁ですが、ナターシャ様はご主人様を随分気に入っておられるご様子」
「俺が聞きたいのはそういうことじゃない」
ココットは馬鹿ではない。
少々常識から外れたところはあるが、あのボートの上で絡めた指の意味が分からないほど愚鈍ではない。
その証拠に、紫色の大きな瞳を覗き込めば戸惑うように左右に動く。
「以前も申しましたがご主人様は三大公爵家の嫡男。入隊してすぐに王族の護衛の任に就くほど将来有望な方です」
「それがどうした」
「私は公爵様に御恩がありますし、この邸に勤めるただの侍女です」
いつもの俺の前だけで見せる気の抜けた表情ではなく、感情を表に出さない侍女の顔でココットが俺を真っ直ぐ見上げた。
そんなこと分かっている。だからこそ、この状況をひっくり返したくてもがいてるんだろう。しかし、父上と交わした約束を口にすれば、ココットは俺への協力を止めるだろ。普段は適当過ぎるほど雑なのに、公爵家への忠誠だけは厚いんだ。
「早くお戻りください。ナターシャ様をお一人にしてはいけません」
「……ならばどうしてボートの上で俺の指を解かなかった」
細い腕がびくりと跳ねる。俺はその腕を辿るように手を滑らし、細く小さな指を握る。下を向いたココットは旋毛しか見えない。今、どんな顔をしているんだ?
「……離してください」
「では振り解け」
微かに指先に力が入るもココットは動かない。
「フルオリーニ様、こちらにいらっしゃったのですか」
後ろから声をかけられたのと同時にココットの手が俺の指から離れ、数歩後ろへ下がる。振り返ると、カツカツと石畳を踏む音と共にナターシャ嬢が近づいてきて俺の横に立った。
それと同時にココットは「失礼します」と言って小走りに屋敷へと向かっていった。
「あまりにお帰りが遅いので迎えに来ました」
「申し訳ありません、侍女に頼みたいことがあったので」
「そうでしたか。ではもう宜しいですよね」
貴族らしい微笑みを浮かべるナターシャ嬢に、愛想笑いで頷く。
この縁談を白紙にしたいと思いながら、王命を無視できるほどの豪胆にも非常識にもなれない自分に心底嫌気をさしながら。
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