第27話ココットとフルオリーニの出会い.5


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 五年後。ココットは十五歳になっていた。


 祖父母との三人暮らしにも慣れ、時折心に寂しさが翳りを落とすこともあるけれど、穏やかな日々を過ごしていた。


 しかし、その年の冬。


 流行病を街が襲った。

 体力の少ない子供や年配の者が幾人も死んでいき、ココットは祖父母を心配して過ごしていた。


 どうか無事にこの冬を越えれますように、そんなささやかな願いはある日小さな咳から崩れ落ちる。


 もともと身体の弱い祖母が流行病にかかり伏せってしまった。咳が止まらず食べ物が喉を通らないどころから時折血の滲んだ痰を出すように。


 王都内は薬が不足し、闇市で高額で取引されるように。


「お祖父様、隣町とその向こうの街でも薬は手に入らなかったわ」


 ココットは夕暮れ疲れた顔をしてソファに倒れ込んだ。その身体からは強いライラックの香りがするし、髪も湿っている。


「ココット、本当のことを言ってごらん。どこまで行って来たんだい?」


 帰ってすぐに風呂に入ったのに、まだ匂いがしていたのかとココットは眉を顰める。ずっとその匂いを纏っていたせいで嗅覚が鈍り自分では気づかなかったのだ。


「……王都全ての薬屋」

「お前! どうしてそんな危険なことを! その力が知られたらどうなるか分かっているだろう!」

「分かってる!! でもこれ以上誰も死んで欲しくないんだもの」


 ココットの悲痛とも言える声に祖父は口をつぐんだ。大きな紫色の瞳は潤んで今にも涙が溢れ落ちようとしている。


「……とにかく、無茶はするな。儂もお前の両親もそれを望んではいない」

「…………はい」


 それを言われると、何も言い返せない。ココットは仏頂面でそう呟いて部屋に戻った。転移する力はもう残っていない。それどころか、階段を登るのに足を上げるのさえ億劫だった。


 鉛のような身体をベッドに投げ出し、最後に行った薬屋の言葉を思います。


「薬が欲しければ闇市に行くしかないよ」

「もう、一つも残っていないの?」

「あと少しあるけれど、それはコンスタイン公爵令息に明日届けるものだから」


 ココットはぎゅっと拳を握り、そのまま手を額の上に持ってくる。


「……コンスタイン公爵令息」


 あの時医者を呼びにきた男の子のことだと思った。三大公爵の一つであるコンスタイン家の話は王都の端にいても耳に入る。


 公爵夫人は馬車の事故で右足を悪くしたが命に別状はなく、今も社交界の華として君臨している。子供は二人、男の子と女の子。つまり病気になったのはあの時の男の子だ。


 ココットとて、男の子に罪が無いのは分かっている。彼だけでなく、医者や周りにいた大人にも悪意はない。保身があったとしても医者にも家族があれば致し方ないこと。


 敢えて言うなら飛び出して来た暴れ馬が悪いのだが、それとて近くで子供が転んで大泣きしたこと、手綱が古く切れてしまったことが原因だと後から聞いた。不幸が重なった故の事故だったのだ。


 だから、コンスタイン公爵家に恨みはない。彼らも被害者だし、男の子が取った行動は至極真っ当なもの。


「でも、探していた薬が見つからない」


 闇市では高値で売っていると聞くけれど最近では紛い物、粗悪品も多く混じっていてそこで買うのは博打を打つようなもの。


「一つぐらい分けてくれてもいいじゃない」


 ココットはそう呟いた。




 次の日、医者は今夜が峠と祖父とココットに告げた。

 それを扉越しに聞いたココットは、辛うじて二回転移できるほどに体力を回復したことを確認し、夜中に自室から姿を消した。


 降り立ったのはコンスタイン公爵邸の三階。


 転移するにはある程度のイメージが必要。住所が分かっているだけではできないけれど、地図でおおよその距離を確かめれば、ほぼ近い場所に転移できる。


 コンスタイン公爵のタウンハウスはその豪奢な外観から有名で、転移に全く問題ない。大抵の屋敷の主人は最上階に部屋を持つので三階の廊下の端に転移した。


 暗いと思っていた屋敷の廊下は明かりが灯っている。普段からなのか病気の息子の看病のためなのかは分からない。ココットは沢山ある扉に順番に耳を当て、足跡を立てないよう慎重に廊下を進んだ。


 端から三つ目の扉に耳を当てた時、小さな咳が聞こえてきた。声質から考えて子供か女性。夫人ならいずれ夫の声もするはずと暫く聞き見を立てていたけれど、声は一つだけ。ココットは咳が止まるのを待って、さらにそれから十分待機してからそっと部屋の扉を開け身体を滑り込ませた。


 床に這いつくばるようにして気配を消すと、微かに寝息が聞こえたきた。そのまま姿勢を低くしてベッドに近づき月明かりの下でその部屋の持ち主の顔を確認する。


 金色の髪が仄かな明かりに照らされ、赤い顔をして眠っていた。そっと額に手を当てれば熱はあるけれどそれほど高くはない。

 歳は十歳ほどだろうか。あの時の男の子の面影が微かに残っている。


 ココットは静かに身体を起こし、ベッドサイドにある小さなチェストの上を見る。トレイの上に水差しとコップ、それから薬包が幾つか置かれていた。


(この子はまだ大丈夫。先程まで咳はしていたけれど、寝息は穏やか。時々ヒュッと喉がなるけれど熱はない)


 第一、部屋に付き添いの侍女がいない。何度か様子を看にくるかもしれないけれど、つきっきりではないなら軽症だろう。


 薬包は全部で六包。命とはお金で買える物だと思った。


 そのうちの三つをポケットに入れる。そして転移を……と魔術を発しようとした瞬間、屋敷の中にけたたましいベルが鳴り響いた。


「何? この音」

「魔術封じのベルだよ」

 

 落ち着いた声がベッドの上から聞こえ、ぎょっとしてみれば上半身を起こした男の子がココットをじっと見ていた。手には小さな剣も握っている。


「お姉さん、誰? 泥棒?」

「…………」


 冷静な銀色の瞳に見据えられて、心がギシリと軋みココットの心の中で何かが壊れた。


「……起きれるんじゃない。喋れるんじゃない」

「だから何だって言うの?」

「あんたみたいな患者が薬を独り占めするから、貧乏人は死ぬしかないんじゃない! 私の祖母はこの薬がないと死んじゃうの! あんたは何度私の肉親を殺せば気が済むの!!」


 その冷静な態度が気に入らなかった。

 自分で起き上がれるくせに。

 話すことができるくせに。


 ココットの中で行き場を無くして封じていた怒りが湧いてくる。


「何度も、って……」


 やっと現れた動揺した顔に微かに優越感を感じながら、ココットは言葉の刃を突き立てた。


「五年前、あんたが医者を呼びに来たから、私の両親は手当を後回しにされて死んだの! 今度は祖母が病に倒れて、王都中の薬屋を探してやっと見つけたと思ったらコンスタイン公爵に渡す物だから売れないって言われた。あんたがいなければお父様とお母様は助かったし、お祖母様もこの薬があれば死なずに済むの!!」


 はあ、はあ、と肩で息をしながらココットは目の前の男の子を睨みつける。

 男の子は眉を下げ、銀色の瞳を顰め今にも泣きそうな顔をして、それでもココットから目線を逸らさなかった。


「……ごめんなさい。あの時のお姉さんなんだね。俺……ずっと気になってて……」


 小さく呟かれたその声の頼りなさに、ココットはハッと我に返る。


(違う。この子は何も悪くない。それなのに、私はこの子の心に一生残る傷を付けてしまった)


 どうしようと、慌てるも一度口にした言葉は消えない。せめて、あれは不幸な事故だと、貴方は悪くないと伝えなきゃ、そう思った時勢いよく後ろの扉が開いた。

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