第26話ココットとフルオリーニの出会い.4
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十三年前。
バートナム・アリストン男爵は避暑地から王都の端にある自宅へ向かう馬車の中にいた。隣には妻のジェシカ、向かいには娘のココットが少し退屈そうに窓の外を見ていた。
知り合いに勧められて家族で出かけた避暑地はアリストン男爵邸から北に四時間。大きな湖の岸辺にある別荘地帯の一角に宿をとり夏季休暇を堪能した帰りだった。
アリストン男爵邸は王都の南側に位置するので必然的に馬車は王都を縦断する。
「あぁ、明日からまた城勤務か」
「頑張ってくださいね、ココットとこの子のためにも」
ジェシカは少し膨らんできたお腹をさする。
身重の身体で旅行は、と躊躇ったものの、二人目ゆえの余裕と赤子が生まれたらココットに余り構ってあげれなくなるという親心から決行した。
裕福な貴族が別荘を構える土地で医者も常駐しているので問題ないと判断したし、実際何も起こらなかった。
「お祖父様とお祖母様、お土産喜んでくださるかしら?」
少し眠たそうに目を擦りながらココットが聞くと、ジェシカはクスリと笑う。
「お土産にしては随分とワインの本数が多かったようだけれど」
「仕方ないだろう。あれだけの品質のものを試飲させられたら一つに決めろという方が無理だ」
「だからといって全て買うことないと思いますよ?」
ジェシカが紫色の瞳を窄めると、バートナムは銀色の髪を気まずそうに掻き上げる。
ガタガタっという車両の音が小刻みなカタカタという音に変わり、馬車の揺れが小さくなった。背後に王都への入口である北門が遠ざかり、道は整備されたものに。
揺れが収まったことにバートナムは内心ホッとする。ココットを授かって十年。諦めた頃に出来た子供は、妻には言えないが男であれば良いと思っている。
無論、女でも嬉しいし、目の中に入れても痛くないほど可愛がる自信はあるが、ジェシカが跡取りを産んでいないことを気にしていたのを知っているだけに、その重荷を下ろしてやりたかった。
王都の北と南に位置する北門と南門を繋ぐように走っている通りは大きく揺れも少ない。このまま大通りを南下すれば自宅だと、バートナムは一息つき窓の外を見る。
北門に入って一時間ほどで城が見え、そこから二時間で邸につく。その二時間はバートナムが毎日通っている道。本来ならもっと近くに屋敷を構えたいが、貧乏男爵家にその余裕はない。幸い仕事は文官で体力は必要ないし、急な呼び出しもないので自分が我慢すれば良いと考えている。
城の近くには大きなタウンハウスが幾つかある。
タウンハウスでこの大きさなら領地の屋敷は如何程にと思うも、それは違う世界の話だと余りの差に羨む気持ちすら湧かない。
大通りだからという気の緩みがあったのかも知れない。いや、気を張っていてもあれは避けれなかっただろう。
突然、大通りと交差する路地から馬が飛び出してきた。千切れた手綱を引きずっているので、何かに驚いた馬が暴走したらしい。馬は大通りを円を描くように走り、近くにあった馬車の一つが避けきれず横転した。
その馬車が横倒しになる時にさらにもう一台の馬車が巻き添えとなった。馬車と馬車、馬と馬が重なるように倒れ馬の鳴き声と馬車が壊れる鈍い音が響き、車輪が外れ近くの壁にぶつかった。
バートナムの乗っていた馬車は突然倒れてきた馬車を避けることはできなかった。とっさに妻とココットに腕を回し二人に覆いかぶさるのが精いっぱいで、ぶつかってきた馬車の衝撃と馬の重みがバートナムの背にのしかかった。
それらは瞬き一つの間に起きたこと。幼いココットは父の腕と馬車の木片の間に挟まりかろうじて無傷だった。しかし、頭上では馬の嘶く声がする。あの場所で馬が暴れれば……
「ココット、動けるか?」
「はい、多分」
「ならば、あの割れた窓から外に出ろ! このままここにいては危ない」
ガラスが飛び散った窓はひしゃげていたけれど、歳の割に小柄なココットなら通れそうだった。
「お父様とお母様は?」
「あそこから出るのは無理だ。とりあえずお前だけでも出ろ! そして人を呼んでこい」
「分かった! 待っててね。すぐ戻るから」
ここは大通り、人など呼ばずとも周りに既に集まっている。それでもあえて呼んでこいと言ったのは、ココットが一人で馬車を出るのを躊躇ったから。父親の言葉に後押しされ、ココットは両親を助けるために、ガラスで擦り傷をおいながら馬車の外に出た。
「……あなた、ココットは?」
夫の腕の中に埋もれているジェシカにココットの姿は見えない。
「大丈夫だ、今外に出た。すぐに人が来るから……待っていろ」
さらに身体に重みが加わり、バートナムの声は掠れる。
外に出たココットはその惨状に驚いた。馬と馬車が重なり、それを大人達が退けようとしている。ある者は馬の手綱を引っ張り、ある者は馬車の破片をどけようと手を伸ばす。
「助けて! お父様とお母様が馬車の中にいるの!」
「何、この下にか? 分かった。おい、力のある者集まれ!! この娘の親がこの中に居るんだ」
声をかけたのは大柄な男。その男が声を掛けるとさらに五、六人の日に焼けた男達が駆け寄ってきた。
「親方! どこから始める?」
「とりあえず馬車の屋根をひっぺがそう。大工道具は持ってるな」
「勿論! 嬢ちゃん、任せな」
ゴツゴツした分厚い手がココットの頭をグシャリと撫でる。側にいた婦人がハンカチでココットの涙を拭い、ガラスで切れた手にハンカチを巻いてくれる。
手際のよい男達のお陰でバートナムとジェシカは間もなく馬車から引きずり出された。
「私は医者だ! そちらの夫人は妊娠している、すぐに手当を……」
騒ぎを聞きつけてか、誰かが呼んだか、医者が二人に駆け寄る。ジェシカは腰から下が真っ赤に染まり、バートナムは頭から血を流していた。余りの光景に息すらできないココットの目をそっと先程の婦人が隠し腕に抱く。
「大丈夫よ、もうお医者様がきたから」
「本当?」
「おい! しっかりしろ! まずい、男の方は殆ど意識がない。誰か! 布を沢山持ってきてくれ、止血をする」
切迫する医師の声がココットの耳に届く。早く助けて! 祈るような気持ちで手を胸の前に組んだその時、小さな男の子の声が聞こえた。
「こっちも見てくれ。俺はコンスタイン公爵の息子だ! 母が血を流している!!」
コンスタイン公爵と聞いて医師の手が止まった。
目の前にいる二人の患者は着ている服から見て裕福な平民か良くて男爵。ここでコンスタイン公爵夫人を後回しにしたら、どんなことになるか。
医師はしがない町医者だった。コンスタイン公爵家がその気になれば一日で仕事を奪われ街を追われる程度の身分。騎士団長を務める人格者らしいが、愛妻家だという噂も聞いたことがある。
「……分かった。公爵夫人の元へ案内してくれ」
「おい! 医者!! こっちはどうするんだ」
「傷口を抑えてとりあえず止血を。優先順位は女性が先だ」
男達は医者に何か言いかけたが、グッと唇を噛んで頷いた。それほど医師の表情が苦悶に満ちていたのだ。
医者は馬車の反対側に走っていった。ココットは幼いながらに、医者が苦渋の決断をしたことも、皆が両親を助けようとしてくれていることも分かっていた。
どれぐらいたっただろうか、ココットを抱きしめていた夫人の腕が震え、涙声が頭上から聞こえた。
「お嬢ちゃん、ご両親とお話しする?」
「お父様達、もう大丈夫なの」
女性の腕を払い除け振り返った先にいたのは衣服を真っ赤に染め青白い顔をした両親だった。
「お父様! お母様!」
走り寄りしゃがみ込んだココットの服も裾からどんどん赤く染まっていく。
「ココット、約束してくれ」
「お父様! 死んじゃいや!!」
「……愛しい我が娘。お前は俺達の宝物だ。幸せに、何があっても幸せになってくれ。お父様とお母様は……いつも傍でお前を見守っている。だから、一人じゃない……これからもずっと一緒だ」
視点の定まらない父親の瞳。ココットの瞳から涙が溢れ落ちる。
「ココット……」
「お母様!!」
「大好きよ、ココット。あなたの母親になれて幸せだった。あなたも、いつか誰かを愛し……愛され幸せになるのよ」
「いや、お母様!! 死なないで!! 助けて!! お医者様! いるんでしょう。お父様とお母様を助けて!!!」
血にそまった細い指がココットの頬にふれ、地面に落ちていった。
「いやーーー!!!」
幼い娘の普通な悲鳴があたりに響き渡った。
……その後のことはココットは何も覚えていない。
ココットが目を覚ましたのは、迎えにきた祖母の腕の中だった。祖母はぎゅっとココットを抱きしめた。その暖かい腕に包まれながらも、二度と両親に抱きしめられることはないと、ただひたすら泣き続けた。
そしてその夜、ココットに不思議な力が芽生えた。
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