第7話アメリアと裏路地の魔法使い.2


 次の日、これほどお昼休みを楽しみにしたことはなかったと思う。


「アメリア、校庭の薔薇が見頃よ。クロード様が場所を取ってくださって、ライリーだけでなく私達も誘ってくれたの。フルオリーニ様も来られるらしいわ」


 クルルが翡翠色の瞳を丸くさせて、興奮気味に私の腕を引っ張る。三大公爵の一つコンスタイン家の嫡男であるフルオリーニ様は皆の憧れの的でファンクラブまである。


 クルルはフルオリーニ様を一目見るために休み時間の度に廊下に出ては、少しでもその姿を視界にとらえようと日々必死になっているほど。

 それに最近はしつこくまとわりつく厄介な令嬢もいて、フルオリーニ様の平穏を守ろうと躍起になっているようで。


「早く! フルオリーニ様をお待たせしてはいけないわ」


 もはやクロード様は頭の隅にも入っていない。

 興奮で頬を紅潮させるその横でライリーはふわりと笑っている。少しおっちょこちょいでのんびりしていて、それでいて思い込みが激しいところがあるけれど、そのおっとりとした雰囲気は周りの人間の心を和ませる。


「ごめんクルル、今日は私ブルーノ様と一緒に食べる約束をしたの」

「「えっ、ブルーノ様と」」


 友人二人は声を合わせ次いで顔を見合わせる。同じタイミングで瞳をパチパチさせると今度は私に目を向けて来た。


「「本当に?」」

「もちろん、昨日約束したもの」


 ちょっと胸を張って言うと、ライリーは「良かったわね」と優しく目を細め自分のことのように喜んでくれる。ランチぐらいで大げさな、と思わなくもないけど、きっと私のことをずっと気に掛けてくれていたんでしょう。


 クルルは少し訝しげな表情をしながらも、「後で詳しく教えてね」とだけ言う。早くフルオリーニ様の元に行きたいと顔に書いているから、私は笑顔で二人を送り出した。


 ………でも。

 五分、十分、十五分経ってもブルーノ様はこない。


 自分の席に座ってただじっとブルーノ様を待つ。

 カチカチと鳴る時計の針の音がやけに耳について。

 知らずに膝の上で握りしめていた手はじっとりと汗ばんでくる。


 ……約束したもの。

 一緒にご飯を食べるって。

 いいよって言ってくれた。


 カチカチ、カチカチ、

 うるさい針の音に耳を塞ぎたくなって、

 不安を打ち消すように昨日もらったアクアマリンの髪飾りに触れる。


「良く似合う」


 その言葉が耳の奥に響いて、どうしてだか泣きたくなってくる。


 もうこれ以上じっと座っていられなくて、私は席を立って隣のクラスへと向かうことに。


 廊下から窓越しに教室を見ると、ブルーノ様の姿は見えない。顔を左右に動かして何度も確認するけれど、やっぱりいない。


「どうしたのですか?」


 声をかけられ振り向くと、銀色の髪を首のうしろで束ね黒い用務員服を着た女性がいた。大きな黒縁の眼鏡の奥から私を心配そうに見上げてくる。


「あの、婚約者を探しにきたのだけれどいないようで」

「ブルーノ様なら裏庭のむくの木の下にいましたよ」

「えっ、裏庭に?」


 あれ、もしかして裏庭で待ち合わせって約束したのかしら? ううん、間違いなく教室に迎えに来るって仰っていたから、きっと勘違いなさったのね。早くいかなきゃ、とその女性にお礼を言おうとしてふと気が付く。


「あの、どうして私の婚約者がブルーノ様って知っているの?」


 私達は学園で一緒にいることは少ない。登下校もそれぞれの家の馬車でしているし、休み時間に額を寄せ合って愛を囁いたり手を繋いで廊下を歩いたこともない。


 女性は一瞬紫色の瞳を瞠目したあと、何かを誤魔化すように右手の中指で眼鏡をグイっと上げた。


「そ、それは。用務員たるもの生徒の人間関係は全員知っておかなければなりませんから」

「……全員? 二百人もいるのに?」

「はい!! 全員。しっかりと、それが私の仕事ですから」


 きっぱりと言い切るところを見ると本当に全員の人間関係を知っているようで。その自信あふれる態度に思わず(そういうものなんだ)と納得してしまった。


「分かりました。裏庭に行ってきます。ありがとうございます」

「いえ、でも……」


 最後に何か言いかけていたけれど、その言葉を聞かずに私は裏庭に急いだ。だってこれ以上ブルーノ様を待たせるわけにはいかないもの。



 たどり着いた先に確かにブルーノ様はいた。ブルーノ様が摘んだ苺を、小さな唇を開けて食べようとしているピンクブロンドの髪の令嬢と一緒に。


 ……ガタッ


 手に持っていたお弁当箱が地面に落ちて中身が散らばる。二人は驚いた表情で私を見た後、視線を交じ合わせ小さく笑った。


「どうしたんだ、アメリア」

「あら、アメリアさん。そんなに息を切らせてどうされたの?」


 水色の瞳に蔑みの色を滲ませ私を見上げる彼女の髪には、私と同じ髪飾りが着けられていた。はっとして思わず髪飾りに手をやれば、彼女はクスッと意地の悪い笑みを浮かべる。


「それ、着けてくださっているのですね。この前ブルーノ様に連れて行って頂いた宝石店で見つけて買って頂いたのです。ついでにアメリアさんにも買って差し上げたら、とブルーノ様にお伝えしましたの」


 彼女の瞳の色と同じライトブルーのアクアマリン。

 真っ赤な私の髪には合わないけれど、淡いピンクブロンドの髪にはとても似合っている。

 

「それにしてもせっかくのお弁当が台無しになってしまいましたね」

「本当だ。どうして弁当なんて持ってきたんだ?」

「……すみません」


 まったく悪びれた様子もないブルーノ様は、私との約束なんてすっかり忘れてしまっているようで。

  

 胸の奥が苦しいぐらい痛くなって、

 胃の奥が縮まり吐き気が込み上げてくる。

 身体の中を怒りや絶望や嫉妬やいろんな感情が駆け巡るのに、喉は詰まったようで声が出ない。


 ――もう無理。


 気づけば私は走っていた。

 裏庭を駆け抜け裏門を潜り、石畳みの上を走る。時折すれ違う人が振り返るけれど、それに構うことなくひたすら走り続けた。

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