第6話 好きな人

 ブタメンを食べ終えた俺たちは、引き続き図書準備室で放課後の時間を過ごしていた。


 俺は今、バッグから英単語帳を取り出してそれを眺めている。しかし眺めていると言ってもそれは便宜上眺めているだけで、実際は運動部の掛け声や吹奏楽部の演奏に耳を傾けているだけだった。

 一方藤井はというと、あらかじめ持って来ていた文庫本に目を落としていた。おそらく藤井は俺と違ってちゃんと小説の世界に没頭している。


 「……今読んでるのはなんて言う小説なんだ?」


 なんとなく藤井にそんなことを尋ねてみた。しばらく黙っていたのでさすがにそろそろ口を開きたくなったのだ。


 「あ、これ? ”青のゆらぎ”っていう小説だけど」

 「抽象的なタイトルだな」

 「恋愛小説だよ、簡単に言えば」

 「へぇ……。”青”っていうのはもしかして、青春的な意味だったりするのか?」

 「鋭いね、そんな感じだよ。高校生の甘い恋愛のお話。今度映画化するの」

 「意外とミーハーなんだな」

 「意外とね」


 どうやら藤井はそういう青春小説も読むらしい。てっきり推理小説とかコテコテの純文学とかを好んでいるのかと思っていた。


 「やっぱりそういうキラキラした学校生活には憧れるもんなのか」

 「そりゃあ、ね。憧れてるのかはわからないけど、やっぱりいいなぁとは思うよ。高校生なんだし」

 「それもそうか」


 たしかに高校一年生といったらそろそろ異性とか恋愛とかに具体的なイメージが湧いてくる年齢なのかもしれない。しかしながら俺は未だにそういったものに対する具体的なイメージが湧いていなかった。


 「川瀬も少しは興味あるでしょ? その……恋愛とか」


 藤井は本から目を離してそんなことを尋ねてきた。俺は少し考える。


 「……どうなんだろうな。まだよくわかってない。恋愛をしてる自分とか想像つかないし」

 「そうなんだ。……私は興味あるよ、恋愛」


 藤井ははっきりと言った。

 まさかそんなことをそこまではっきりと言ってくるとは思わなかった。藤井にも今まで一度や二度の色恋沙汰はあったのだろう。


 「いいことなんじゃないか。人を好きになるって簡単なことじゃないだろうし」

 「え、いや、誰か好きな人がいるわけじゃないよ? なんなら今まで誰かを好きになったこともないし。恋愛に興味があるっていうのは……その、こういう小説とかドラマとかを観てていいなぁって思うだけ」

 「なんだ。好きな人でもいるのかと思った」

 「い、いないし……」

 「……そうか」

 「……も、もしさ」


 藤井はそう言って少し目線を落とした。


 「もし私が、その……好きな人いるって言ったら、川瀬はどう思うの……?」

 「どう思う……?」


 なかなか答えにくい質問だった。しかしこの質問はしっかり考えてから答えなければならないような気がして、俺はしばらく時間をかけて考える。藤井に好きな人がいるとしたら……。


 「そんなに考えること……?」

 「あ、いや、すまん。簡単に答えられる質問じゃないから、つい」


 俺はなんとか考えをまとめてからようやく答える。


 「そうだな、もし藤井に好きな人がいたら、それはあまり好ましくない」

 「好ましくない? 嫌ってこと?」


 なんとなく恥ずかしくなって俺はつい藤井から目を逸らしてしまう。やはりこういう類の話題は苦手だ。


 「嫌、か……まあ、そういうことになるのかもな。そもそも好きな人がいるならこんなところで俺と戯れてる場合じゃない。仮にも俺は男なわけだし、万が一この状況を好きな男に見られでもしたら少なくともプラスにはならないだろ?」

 「マイナスだろうね」

 「そうだろ? 図書準備室で知らない男と戯れてる女とはあまり付き合いたくないよ」

 「ふふっ、たしかに。私も図書準備室で知らない女と戯れてる男とはあまり付き合いたくない」


 とりあえず意見が合致してよかった。ここであらぬ回答を言って藤井に引かれたりするのだけは嫌だった。

 俺が密かにほっとしていると、藤井はまた少し目線を落として何かを言おうとしていた。


 「……これって要するにさ、私たちは図書準備室で戯れ合ってる人は恋愛対象として受け入れられないわけでしょ?」

 「まあ、そうなるな、理論的には」

 「てことは私たちの場合、図書準備室で戯れ合ってる人としか恋愛できないってことだよね、理論的には」

 「……たしかにそういうことになるな、理論的には」

 「……うん、理論的には」


 不覚にも変な理論を打ち立ててしまった俺たちは、それからしばらくの間なかなか次の言葉を見つけ出せないでいたのだった。

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